スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

なぜ私が「夏休みの宿題を最初3日で終わらせる子」だったのか


夏休みです。

末っ子が入学して、小学生3人と中学生1人、4人がそれぞれ大量の宿題を抱えて帰ってきました。地獄の始まりです。

 

長男や娘は私が介入しなくても毎回きっちり終わらせるので声かけをする程度ですが、我が家の最大の山はそう、次男です。

 

次男の困難と私のスタイル

ADHD&ASD次男、毎年毎年宿題がコンスタントに終えられず泣いてきました。

1、2年生の頃は担任の方針で1日分がきっちり決まっていたのでそれをこなすだけでよく大した問題にはなりませんでしたが3年生になった頃から「コツコツできない」ことの影響がもろに出るようになりました。

 

目の前に人参をぶら下げられないと走れない超報酬主義の次男にとって、夏休みが終わる頃に宿題が終わっているという遠すぎる目標は視界には入りません。

 

夏休みの宿題は最初の3日で一気に終わらせてしまうスタイルをずっと貫いてきた私にとって、なぜそんなに宿題に困るのか理解不能。

「お母ちゃんには僕の辛さはわかんないよ!」と泣く彼に「うん、困ったことないからわかんない」としか言えない。寄り添いたくても理解し切れない次男の宿題への困難に毎年親子でストレスを溜めてはなんとか乗り切ってきました。

 

次男の今年の計画表

今年の夏休みの初めに彼が自分で立てた計画表は20ページあるドリルを平日の数で日割り計算して1日何ページ、それを毎日やれば終わるよね!というもの。

 

無理がありそうだけれどまぁやってみようとスタート。

 

案の定最初の2日、遊びに引きずられて早速計画が頓挫、頭を抱える次男に再度計画を練り直すことを勧めて、もう一度立てた計画は最初数日でドリルを数ページずつ、と多少の改良は見られたものの、やはりコツコツやる感じの計画。

 

そして今日、全くうまく進んでない宿題の山を前に次男と二人、途方に暮れました。

 

私「ねえ次男くん」

次男「うん」

私「君はやっぱり、毎日何ページかずつやるの、無理じゃない?」

次男「そうかな、そうだね…」

次男「1冊一気にやっちゃうほうができそう」

私「うん、どうだろう」

次男「それならできる気がする」

 

そこから小一時間、こもって机に向かっていた次男

あんなにめんどくさがっていたドリルが1冊終わったと嬉々として見せてくれました。

 

気づかなかった、私と次男の共通点

私は、次男と私は違うと思ってました。

宿題に困難を感じたことのない私は次男と違うと思ってた。

 

でも、よくよく考えて見たら根っこは同じような気がするのです。

 

私がなぜ最初3日で宿題を終わらせてしまっていたのか。

それは、私が飛び抜けて優秀だったからではありません。

私が、コツコツやるのは無理だと多分自分でわかってたから

毎日数ページずつやれない、ならさっさとやっちゃおう、と思ってたから。

 

私と次男に違うところがあるとしたら、今と昔の宿題のボリュームかもしれません。

私が小中学生の頃、良くも悪くも宿題に対する記憶がほぼありません。大変だったとか、宿題のせいで遊べなかったとか皆無。困るような量は出ていなかったと思います。

 

私も、多分自分がめんどくささを感じるほどの量が課せられていたらきっと次男と同じようにギリギリまで先延ばしにしてしまっていたと思います。

 

なぜなら今もそうだから。

依頼された原稿を締め切りギリギリまで先延ばしにしてしまうのは日常茶飯事。

本業でもいくつか仕事が舞い込んだらそれを小分けにしてコツコツはできません。納期やハードルの低さで優先順位をつけたらあとは一つずつを一気に仕上げてしまわないと終わらせられない。

 

なんだ、次男と同じじゃないか。

 

さてドリルを一気に終わらせて調子づいていた次男は、次に手に取った漢字と計算のプリント集のめんどくささにまた絶望している様子です。

スイッチが入って一気に終わらせる時をやんわり見守るしかないんだろうなぁ…

 

長男中学に入ると計画を立てて学習していくことが求められるようです。さてそれが次男にどんな風に影響を与えるのかはわかりませんが、コツコツやれなくてもそれなりに大人になれるとは思うからあんまり無理強いしない方向で行きたいな〜と考えたりしています。

 

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