スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

トイレットペーパーが切れたのに補充しなかった自分を救ったホルダーの進化と、さらなる構造化


「トイレットペーパーが切れたのに補充しなかったら半殺し」

昔観たテレビで俳優の哀川翔氏が自分の子育ての流儀を話している中でそう言っていて、そうだそうだ自分が入った時に切れてたままだと前に入ったやつ誰だ!って思うよなぁと思ったことがあって。

 

じゃあかくいう自分はと言われたら、哀川翔の子供だったら何度半殺しにされていたかわからない。

 

なぜ補充しないのか、その理由は簡単、恐ろしくめんどくさかったから。

そんなことと思うかもしれないけれど、本当にただただめんどくさかった。

 

あのカチッとはまっているのを両手を使って外さないといけない。

そして芯を取り出し、さらにどこかに置かれている新しいトイレットペーパーをひとつ取り(場合によっては包みを破いたりする必要もあり)カチッとハマめないといけない、あぁめんどくさい。

 

最近のホルダー、ものすごく簡単に芯を取り出して交換ができるじゃないですか。

いつだったかの記憶はおぼろげだけれど初めてあれに出会った時にものすごい衝撃を受けたのは覚えてます。

すごい発明だ!!!って感動したの、トイレの中で。

 

実はそれ以来、切れているのに補充しなかったことってないんです。

それくらい私にとっては大きな革命でした、あのホルダーの進化。

 

夫との暮らしが始まる時にトイレの内装をどうするかという時にもトイレはあのホルダー!絶対あのホルダー!とこだわったほど。

 

そんな我が家ですが、あんなに交換しやすい(と私が感動した)ホルダーを設置しているにもかかわらず切れたまま放置されていることもしばしば…

 

キーーー!って思っていた頃もあったんだけど、自分をふりかえって思う。

うん、面倒なことはやらないよね。

私の血を引いてる子がやるわけないよね、言っても言っても改善しないなら、現状を見直すしかない。半殺しにするわけにもいかないから。

 

トイレを改めて眺めてみたら、補充用のトイレットペーパーは見た目を意識してトイレの高い位置の棚に隠すようにおいてた、うん、それやめよう。

 

ホルダーのすぐ下の座ったまま手が届く位置にトイレットペーパー置き場を作ったら補充率は飛躍的に上がったし、もし切れてても自分がすぐに手を出せるからイラっともしない。素敵。

 

今度は交換した後の芯をあちこちに放置される事案が発生した。

さてどうしたもんかと思って改めてトイレを見回すとゴミ箱は便座に座った状態から手が届きにくい位置にある、しかもフタがあるので捨てるためには立ち上がり、フタを取り、捨て、フタをするというステップがいくつも必要になる、良くない。

 

座ったまま手が届く位置にフタの無いゴミ箱を置くと、そこに順調に芯が溜まっていくように。

 

 

気長に、何度も何度も、切れたら補充しなさいねと伝え、できていたら褒め、というのもひとつの方法なのだろうと思う。そして、これまでしつけと言えばその方法(特に前半の伝え続ける部分)を指していたんじゃなかろうかと思う。

 

最近の自分の中の流行りでもあるのだけれど、「家族の一員としての役割を意識してほしい」という考えのもとで交換することをひとつのタスクとしてとらえ、自分が交換することで家族も助かる、役に立っている、という意識づけをしていくという方法もひとつだろうなとも思う。

 

でも。

効率よくできるものはそうする、やりやすいようにしておく、そうやって作業そのもののハードルを下げていく作業をおろそかにしない方がお互いに楽よな〜と思うのです。

 

洗濯を長男に教えるとき、割高なので避けていたジェルボールを導入しました。

「洗剤を入れる」という面倒で曖昧なタスクがひとつ簡略化されたことで洗濯機を回すハードルは確実に下がり、今は自分の部活のものは自分で、ときに家族のぶんも一緒に回してくれるようになりました。

 

作業を面倒なままにしてその方法でやるように求めてスムーズにいかないとき、その作業そのものを簡略化できたら。

何度も同じことを言ったり、めんどくさくて避けたことを責めたり、やってないことにイラっときたり、そういうのがだんだん減っていくんじゃないかなぁ、それだとお互いに楽じゃないかなぁ、と思ったりしています。

 

「ワンタッチ」素敵な響き。 

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