もうすぐ最終回を迎える「わろてんか」の続きでそのまま見ていた今朝の「あさイチ」は沖縄のお母さんたちのお話でした。
米軍機の部品が屋根に落下した保育園のお母さんたちが我が子を守るためには何ができるのか、と立ち上がったエピソードが語られ、お父さんたちを含めて「自分たちはこれまで魔法にかかってたんだ」「公の場で政治や基地のことを話すことをなんとなく避けてきた」と語っていた現地の方の声。
番組の中で何度も触れられていた「これは沖縄だけの問題じゃない」と言う言葉。
基地のあり方など政治に及ぶ批判的な視聴者からの投稿について「そんな話じゃないんだ、子供を守るお母さんの話なんだ」(うろ覚えですが)と反論していた井ノ原さん。
いろんな印象的な場面がある特集でしたが、その中ですごく興味を惹かれた発言がありました。
話していたのはゲストで登場していた国仲瞬さんという若い男性。沖縄に訪れる修学旅行生を対象にした対話型の平和学習を提供する会社を立ち上げている方だそうです。
この方の活動そのものについて私はよく知らずに番組を拝見していたのですが、現地を訪れた子たちに「モヤモヤしたまま帰ってほしい」と語っていたんですね。
現地でいろんなものを見て、聞いて、触れて、そして「大人が納得するような『僕達は〜〜と思いました』みたいな感想を導き出してスッキリしてしまうのは違う」とおっしゃっていて、おぉお!ってちょっと嬉しくなったんですね。
自分が小さいころから受けていた平和教育の時に感じていたあのモヤモヤとした違和感のような感覚を、こんなにはっきり言葉にされているのを聞いたのは初めてだったからです。
九州で生まれ育った私は小さいころから8月6日は学校に行く日で、そこで平和について学ぶ授業が行われていました。戦争体験者の方のお話を聴いたり、映画を見たり、先生が絵本を読んでくれたり、戦争について色々なことを学ぶ機会がありました。
長崎の原爆資料館や特攻の資料館など、周辺の戦争関連の場所へ社会見学に出向いて感想を言わされたり書かされたりすることも頻繁にあった子供時代。
「平和のために努力したいと思いました」とか
「戦争は絶対ダメだって思いました」とか
先生が納得するようなありきたりな感想を口にし、そしてそのたびになんとも言えないもやっとした感覚を覚えていたのですね。
その感想を口にしたらハイ終わり、切り替えていつもの楽しい生活に戻りましょうね、というあの感じ。
我が子が小学生になり、同じような授業を受けているらしいこと、そして参観の時に似たような、大人がわかりやすい感想を言ってその授業が終わる様子を見ていて、小さい頃に自分が感じて来たあのもやっとしたものを思い出したりもしていました。
それが今日、あの番組の国仲さんの言葉を聴いて、そうか、それだったんだ、とスッと腑に落ちるような感覚があったんですね。
国仲さんはご自身の開催する平和授業について「結論を出させたりしません」と仰っていました。結論を出してスッキリして終わるのではなくてモヤモヤとしたまま帰ってほしい、帰り道の雑談の中で「あのことをもっと話したい」と思ってほしい、と。
うちの子供たちは昨年、広島で原爆の痕跡を見て来ました。
意図的にその後まとめるような会話の時間はとっていなかったなぁと今思い返しているのですが、子供たちは時折、戦争の話題に触れることもあります。
先日は「わろてんか」の中で大阪の空襲の場面を一生懸命見ていた三男が「おおさかってどこ、ひろしまの近く?」と言っていたので、少し話したりしました。
「あさイチ」の中で現地の方が話していたのと同じように、思えば私も戦争のことを考えはするけれど日常的に意識して生活をしているわけではないし、言わないで暮らす魔法にかかっているのかもしれないなぁと思ったりもするのです。
平和授業で勉強したことや広島で見て来たこと、長崎で見たこと、支那に行っていた祖父が教えてくれたことや、この間会った親戚のおばあちゃまが話してくれた大陸からの引き上げの時のこと…
戦争のことは色々と知識として知ってはいるけれど、その点と点が繋がって私の中に根付いているわけでは多分なくて、あぁ、あのもやっとしていたあの時に、何気なく口に出してそれについて話す時間が自分にも必要だったんじゃないのか、とテレビの前で思ったりしたのです。
自分の中で勝手に落とし所をつけてスッキリしてしまうのではなくて、いつも、ずっと、どこかで考え続けることなんだろうと思う。
そしてそれは、沖縄のことや戦争のことだけではなくて、障害のことや育児にまつわることのような、他のいろんなこともきっと、そうなんじゃないかと思うのです。
タブー視されやすい話題だからこそ、ずっとモヤモヤしながら誰かと時折それについて話しをしたい、そう思った朝でした。