スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「今」の話をしよう


ツイッターでここ数日、北海道で電気無しの暖房がどうだ、という話がたくさん流れてきてた。

なんだかよくわからないけれど、今回の震災のときのような規模の停電が冬に起きたらどうだとかいう話から起こってるらしかった。

 

たくさんの反論の方が先に流れてきてた。

「今の北海道の機密性の高い家屋で薪ストーブは使えない」

「薪を今からどうやって賄うのか」

 

現実的に無理だろうよという、相当数の反論の後、さっきやっと、どうやらこれが発端らしいというツイートが流れてきた。

 

内容に関しては、もっともだと思うこともないわけじゃない。

今回のような規模の停電が起きたらどうするんだ、なんとかしないといけないだろうというのは至極最もだと思う。

 

じゃあなんで、これが荒れるんだろう。

 

根本的な要因は「どの時点を見てるか」じゃないだろうか、と思う。

 

過去にできていたことをいくら話しても、現実に即適用なんて出来ない。

気候も変わっているし、住む人も、街の状況も、自然の状態も何もかも違う過去のことをいくら持ち出してもそれが「今」の解決策としては生きてこない。

 

もし本当に北海道で「この冬にもし大規模停電が起こったら」という対策について考えるなら、「今」の北海道で、「今」の日本で、「今ここにいる」住民が取り組める対策する必要がある。

 

「過去」からスタートして「今」に合わせていこうとすると多分失敗しやすいんだろうなぁと思う。


今ここにいる人たちが取り組むことを想定してないと話が噛み合わないのかもしれない。

 

これ、子どもたちの周りや夫婦関係について考える時もよく起こることなんじゃないかな。

 

過去がどうだったとしても、「今」の「目の前」や「足元」をベースにして、「今ここにいる人」が当事者であるのだというところから考えを起こしていかないと詰みやすい。

 

もしなんか、いろいろもがいてるのに、いろいろやってみてるのに、なんかうまくいかないなぁってことがあったら、視点がどこにあるのか一度立ち止まってみるのもいいかもしれない。

 

どうあがいても、自分が現時点で立ってる「今」から全てがスタートしていくわけだから。

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