読み聞かせボランティアのための絵本を探しにいった図書館で、なぜかふと活字が読みたくなって向田邦子さんの随筆集を借りてきたのは先週のこと。
心地よい向田さんの文章を読みながら、あーまた最近ブログ書いてないなぁ、とふと思いました。
もともとTwitterをやってて言い足りないことを書くために始めたこのブログも、その時々の私の思いついたことを書くというまとまりのないものに行き着きつつあります。
まるで自分自身を体現しているようだと思ったりもしています。
やりたいやりたいと言いつつなかなか実現できないこんぺいとサロンも、本は集まったけれどなかなか活かせていない金平糖文庫もこのブログも、思いつきとその後の迷走ぶりは私の人生そのままのような気がします。
そして、それに対して「これではダメだ、頑張らねばならない」と自分に課してしまうのもまた、私を構成する大きな要素の一つで。それによって成されたものあれば、自分を追い詰める要素になったものもある。
先週末、そんな自分の中の「ねばならない」の壁が少し崩れるような、そんな経験をしたので書き残しておこうと思います。
「育児が、辛い」
きっかけは、次男のことでした。
特性の強い彼の扱いは、中2になり思春期を迎えてさらに難しくなっています。
これまで見られなかった反抗的な態度が出るようになり、また学校で頑張る反動が家で出るようにもなり。
そんな次男に対するいわゆる育児のストレスのようなものが私の中で堰を切って流れ出したのが、先週の金曜日のことでした。
Twitterで仲良くしてる先輩ママさんたちのグループDMにしんどさを書き連ねながら、涙が止まらなくなりました。
友人たちは口々に「とにかく休め」「逃げろ」「離れろ」「いろんなことをサボれ」と言ってくれました。
瞬時にそれを受け入れられるほどの余裕もなく、ただただスマホの画面を流れていくその言葉を眺めながらしばらく泣くことしかできませんでした。
「とりあえず、サボろう」
友人たちに愚痴を聞いてもらったこと、その後次男の担任が時間を作ってくれて少し相談したこと…
とりあえずその日の夕方には少し精神的に落ち着いて、助言を受けた「とりあえずサボる」をやって見る気持ちになりました。
本当は私が実家に帰るなりホテルにこもるなり、家族から完全に離れた方が良かったのかもしれません。
が、なにぶん受けてしまった仕事やしてしまった約束があるだけになかなかそういうわけにもいきません。
とりあえず、家事という家事は極力控えることと、育児という行為から離れてみようと思いました。
子どもたちには接するけど「お母さんとしての自分」ではなくて、ちょっと同席する大人、大きいお友達、くらいの感覚に設定を変えた感じです。
大きいお友達と、子どもたち
翌日土曜日。
私は小3三男と彼のお友達を連れて1日出かける約束をしていました。
中2次男は友人と出かける約束があり1日いない前提でした。
お金を浪費しやすい彼には普段は昼に出るときはなるべくお弁当やおにぎりを持たせていましたが、今回は「お昼ご飯代」と小銭を渡しました。
家でゆっくりしたいという小6娘に「お昼どうする?」って聞いたら「コンビニに行って買いものしてみたい」というのでまた小銭を渡しました。
中3長男は寝てたのでそのまま放置して、三男と出かけました。
午前中は三男がお友達と公園で遊ぶのを眺めながら読書に耽り、昼にお友達のママが合流して一緒にランチ。
午後は川遊びに行きたいというふたりを連れて別の公園へ。
お友達ママとおしゃべりをしながら遊ぶのを眺め、お友達にバイバイしてからは三男をサッカー教室へ送迎。
娘から「百均行きたい」と連絡がきたので拾って一緒に買い物をしてちょっとお茶。
三男を迎えに行ってから、夕飯もがっつり手抜きして適当に。
食後に三男がお友達に誘われた星空観察に合流。ぷらっとついてきた長男が行きたがってたお店に寄ってデザートを買って帰宅。
この間、いつもなら子どもたちに注意をしていただろうなっていう言動があっても特に何も言わず極力スルーしました。
「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」
1日私と離れていた次男は、もらったお昼ご飯代とお小遣いを足して前々から欲しがっていたゴジラ的な何かを手に入れてホクホクしてました。
お昼はどこで何をどうしたのか気にはなりましたが、あえて聞きませんでした。(おそらく私の実家でばあちゃんに何か食べさせてもらっただろうとは思いましたが)
スマホを見ながらゴロゴロしていた私のそばに寄ってきた三男が
「あぁ〜きょうはほんとうに楽しかったよ…」と呟いてうっとりしてました。
三男だけでなく娘も、そしていつも喧嘩ばかりの次男と長男もそういえば心持ち穏やかです。
家事も私がやらない分、それぞれが率先してサクサク動いていたようで不在の間にお風呂の用意や食器洗いも終わっていました。
リビングにきょうだい4人が集まると必ず起こっていた喧嘩がその日は起こらなかったのに気づいた頃、三男が私の横でニヤニヤしながら寝息を立てていました。
これで、いいのかもしれない。
子どもたちが外で困らないように、将来困らないように、辛い思いをせずに済むように。
「子どものため」と思いながら、いろんな防衛線を張り巡らせて育ててきたような気がします。
それが正しかったか間違っていたかはもう確認のしようがないのだけれど、少なくとももううちの子たちに対してはそれは要らなくなってきているのかもしれない。
子どもたちが楽しく喜んで過ごすために必要なものを用意するだけでもいいのかもしれない。
身につける必要があるものはもう手渡せたのかもしれない。
親としての役目が変わるターンに立っているのかもしれない。
そんなことを思いながら見た、幸せそうな三男の寝顔と眺めながら飲んだビールの味を、多分一生忘れない。