何となく5時過ぎに目が覚めて、Twitterを眺めてました。
誰かが怒ってるらしいのがわかりました。
怒りの先にあったのは「ADHDが遺伝すると病院で言われたから子供を産むか悩む」というツイートに対して「生むべきでない、ギャンブルするな」というツイートで。
次に目についたのは支援学校高等部の先生というアカウントを監視してます、というツイート。
昨日からフォロワーさんたちがちらほら、ひどいアカウントがあったと話してたのはこれか、と。
新しいアカウントのようだったのでホームからアカウントを全部遡って読みました。
辛いね、どっちも誰もかれもしんどいね。
ADHDの自覚があり(投薬なしで生活できてるので未診断ですが)ADHD児を育てる私としても、障害のある子を育てる親の私としても、どっちもザクザク刺さるしんどい話。
でも不思議と、どちらのツイートも見ててそんなに傷つきませんでした。
どちらも、ツイート主さんがとても悲しくて苦しんでる最中に見えた。
私は今そこにいないから、傷つかなかったのかもしれない。
ヒリヒリするような痛みがツイートから見える。
自分が抱えているものが苦しい
当事者に迷惑かけられてる
周りに迷惑をかけているのを見るのもしんどい
納得いかない人事が辛い
ふたりのツイートからは現在進行形のしんどさが見える、ダラダラ血を流してるように見える。
どれも、主語が「私」なら、どんどん吐き出してよかった辛さなのに。
『あなたの辛さを誰かのせいにしてるよ、大丈夫?』
『自分のしんどさで人を傷つけてるよ?気づいてる?』
これは、特性がありかつ他罰的な思考をしやすい次男に私がわりとよく言う言葉。
彼が自分のしんどさをうまく言葉にできないまま人に八つ当たりするたびに「主語を自分に置き換えてごらん」と話す。
『僕が学校で嫌なことがあってイライラしてたから言葉が悪かった』
『僕の意見を採用してくれなくて悲しかったから○○さんにひどいこと言ってしまった』
落ち着いてゆっくり、主語を自分に置きかえる。
叱られ過ぎて自尊感情が低いことが原因なのか、先天的なものなのか専門家でない私にはわからないけれど、自分の感情を言葉にするのが苦手な次男。
これは私も身に覚えのあることで、現在進行形の自分の苦しさがクリアに自覚できず、でも苦しさだけが自分にあってわけがわからなくて人に当たり散らしたことも何度もありました。
「私は」辛い
「私は」悲しい
「私は」この言葉に傷ついた
「私は」納得がいかない
「私は」親にされたことが嫌だった
ひとつずつ主語を私にして言葉にしていく。
自分の苦しさが私を主語にして見えてくる。
あなたの苦しさはなんですか?
それはどこにあるの?
誰かのせいだとしたら、それは誰?
主語を自分にして丁寧に言葉にしないと、怒りや苦しみをぶつける矛先を間違えてしまう。
次男が自分の抱えるもので苦しんだ末、無自覚に人を傷つけることが少しでも減らせるように、そして無自覚に人を傷つけることで自分に跳ね返ってくるものを少しでも減らせるように。
お母さんとしての私が気を付けているのはそんなこと。
周りが見えないくらい、周りを傷つけても構わないと思うくらい、今がしんどいのかもしれない。
でも、それでもそれゆえに人を傷つけることが許容されていいわけない。
障害のある人もない人もみんなそれなりに助け合って生きてる。
そのなかで傷ついたり納得のいかないことで苦しんだりしてるのはあなただけじゃないし、あなたが傷ついたことをあなたを主語にして言葉にしてもいいんだよ。
でも、その苦しみを理由に人を傷つけたらいけない。あなたの苦しみはあなたのものだから、それを塊にして撒き散らしたら必ず自分に跳ね返ってくるよ。
私は、我が子に、ハンディを抱えて生きていく子に、それでいいとは言えない。
自分の苦しみは自分で言葉に出来ないといつまでも自分の中から消えてなくならないから。
そのままでは人のなかで幸せに生きていけないんじゃないかと思うから。
特性も生い立ちの辛さもいろんな苦しみも、それゆえに不幸になるんじゃないよ。
それを不幸のままにしないで済むよう自分の言葉にして人に助けられ生きていってほしいと、私は我が子に対して思っています。