昨日、自分の人生の中でも多分これ以上はないんじゃないかと思うほどの失敗をしました。
やらかしたことのあまりの重さ、被害の大きさに眠れない夜を過ごしながら、私の脳裏に浮かんだのは「これを書きのこさねばならない」と言うことでした。
ことの詳細は詳しくは書けませんが、少しだけ。
年末の行事で知人や親戚、子供たちそれぞれの友人が多数いる場で次男がパニックを起こして暴れ、そして私がそれを止めきれず、彼の感情を真っ向からぶつけられたことで自分を保てなくなり大きな声を出してしまうにいたりました。
子供たちの友人たちはとてもびっくりしていたし、とても怖かったと思います。
なぜあの場をすぐに離れられなかったのか、なぜイレギュラーな状況が苦手だとわかっている次男のことをもう少し丁寧にケアしてやれなかったのか、なぜ他の子たちを守ることができなかったのか、自分の判断ミスや対応の不味さに涙が止まらなくなります。
次男が落ち着いた後、それぞれの子供たちに謝らせてもらいました。
謝って済むわけではないことも重々わかっています。
寝られず、頭痛が止まらず、体にも不調が出たのでこれは良くないと思いました。
次男のかかりつけの児童精神科の先生に初めて会った時に言われた言葉を今も覚えています。
「お母さんがしんどくなったらいつでもお母さんの分のケアもできるからね」
それまで次男を抱えて暮らしながらそんなことを言われたことは一度もなかったので、診察室で泣きました。
そこから今日まで、月1回の診察のたびに次男の状況にプラスして家族が今どんな思いを抱えているか、私の状態はどんなかもお話をさせてもらっています。
昨日の出来事は、強く記憶が残りやすい私の特性上、おそらくは一生消えないとおもいます。
そして、その場にいた人たちにも同じように消えない怖い記憶を残してしまった。
悔やまれて悔やまれて、時間が巻き戻せるならやり直したい、なかったことにしたい、と今もそんな思いが絶えず押し寄せてきます。
なぜこんなことを書いておこうと思ったのか、私にもあまり綺麗に整理はできていません。
ただ、書かないといけない、と思ったので書いています。
いつも子供たちの対応についてここに書き記してきている中で、どこか自分がしっかり頑張ってやれている親だという思い込みがどこかにあったようにも思う。
そんな風に褒めてくれるコメントをいただくこともある。
でも、そんなことない、こんな風に失敗を繰り返しては悔やんで、泣いて、子供たちに謝って、ちっとも立派でもなければしっかりもしてない、そんな親だということをここに書いておきたくなったのかもしれません。
寝られなくて、夫に話を聞いてもらいました。
夫からかけられた言葉は、一生忘れません。
「取り返しのつかないことをしてしまったけど、でも一度の判断ミスで全てがなくなったりはしないから、壊れたものはまた少しずつ積み上げていけばいい、またゆっくり始めよう」
失敗は苦しいです。
でも、失敗を繰り返さないようにするためにできることもきっとあるから、と昨日、次男と話しました。2人で失敗してしまった、やらかしてしまった、だから、お互い何ができるか考えよう、と。
自分の感情を捉えることが苦手な次男も、昨日は頑張ってなぜパニックが起きたかを一生懸命言葉にしてくれました。
家族はじっとそれを聞いてくれました。
失敗するたびに、いろんな人に迷惑をかけてしまいます。
いろんな人を困らせ、手を焼かせてしまう。
たくさんの人に嫌な思いをさせ、悲しませてしまう。
でも、失敗するたびに話を聞いてくれたり、励ましてくれたり、そばにいてくれる人も私の周りにはいます。
助けてくれる人たちが私にはいるから、だから、どんなに大きな失敗をしても少し休んで、またゆっくり始めていくことができるのだろうと思います。
願わくば、子供たちそれぞれにもそんな風に支えてくれる人ができますように。
願わくば、今私を支えてくれている人たちとこれからもお互いに支えあっていけますように。
今年も私の、不定期すぎる更新頻度の言葉たちにお付き合いくださり、ありがとうございました。
来年もきっと私は、いろんな失敗を繰り返しながら子供たちと暮らしていくのだろうと思います。その度にボロボロになって、そしてまた、それも言葉にしながら、生きていくのだろうと思います。
みなさま、よいお年を。
来年が幸多き年となりますように。
2019年の年の瀬に寄せて イシゲスズコ