スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

見通しが立たない辛さから見える、次男のこと。

珍しく2日続けてのエントリです。

今日は、お風呂のお湯をバケツでくんでいるときに気付いたことと、今読んでいる本のこと。

 

残り湯を洗濯に使うようになりまして。

少し前にTwitterで呟いたのですが、どんどん増えていく食費と学費の捻出のため、微々たる努力ではあるけれどやらぬよりましだと水道代を節約しようと思い立ち、お風呂の残り湯を洗濯に使い始めました。

その方がいいのはわかってたけどずっと余裕なくて先延ばしにしてたのを、えいっと思い切って始めたのですね。

 

最初に使ったのは家にあったバケツ。

数日後にダイソーで使いやすそうなバケツを見つけたことで作業負担は飛躍的に軽くなりました。

 

我が家の洗濯は今は、夜家族がみんなお風呂に入った後と、朝起きてからの2回です。

お風呂の隣の脱衣場に置いた洗濯機に、ザバーンザバーンと何度もバケツの水を入れる作業をしています。

 

水を汲みながらふと気づいたこと

その日も朝まだ眠さを引きずりながらお風呂に残った冷たい水を何度か汲んだときでした。

バケツが便利になったとはいえ、スイッチを押せば水道水がバーーっと蛇口から出てきてくれるのに節約のためにと朝から重労働。

眠さもあってめっちゃめんどくさいんですね。

ザバンザバンと何度も水を汲みながらふと「これいつ終わるんだろう」と思ったんですね。

 

今何杯目かも覚えてません、数えたことなかったんですね。

適当に水を汲んで、洗濯機の中がいっぱいになったらおわり。

そんな風にやってたから、今私が汲んだ水が何杯目で、いつ終わるのかなんてわからずやってた。

 

ヘレン・ケラーのWATER!ばりにそこで気づいたんですね。

 

「あ、これ、見通し立たないからしんどいんだ。」

 

というわけで、次にバケツで水を汲むとき、1杯、2杯…と数えてみました。

我が家の洗濯機に洗濯物を入れて上から水を入れたとき、満タンになるまで6杯でした。

 

今何杯目か、を意識する。

その次の回です。

汲み始めから「今1杯目」「今2杯目」と意識してみます。

するとどうでしょう、意識せずにダラダラ汲んでいたときよりはるかに気が楽です。

3杯目なら「あとこれを3杯」と思える。

5杯目なら「あと1杯で終わり」と思える。

 

めんどくささとしんどさが一気に軽くなりました。

と同時に、色んな過去の記憶が思い出されてきました。

 

思い出すあれこれ。

まず思い出したのは、嫌で嫌で仕方がなかったマラソンのこと。

小・中学生の頃、体育や学校行事でやらされるのが大嫌いだった私は、いつの頃からか「〜時には走り終えている」と考えることを始めていました。

 

1回走るのに何分かかるか大体わかったら、あとはスタートからゴールまで、歩きさえしなければその時間を過ぎれば終わる。

 

校舎の時計を見ながら「〜時〜分には終わる」と思いながら走ったのを覚えています。

 

逆に、部活で顧問から「いいと言うまで走れ」と言われた時のあの苦しさ。

いつ終わるかわからないことを強いられるのは本当に苦しかった。

 

それを思い出した時、あ、次男のしんどさはこれかもしれない、と思ったのですね。

 

見通しを立てるのが苦手な次男のしんどさ

発達障害のある次男は、見通しを立てるのが苦手だなぁと見ていて感じます。

今日は夕方5時から〜があるから何時に家を出ないといけない、だから…という計画を立てて行動するかとか、自分が発した言葉をそこにいる人がどう受け取ってそれがどんな風に巡って自分に返ってくるかを考えるとか、そういう、少し先を見通して自分の行動を考えたり決めたりすることが苦手で、それゆえのトラブルがしょっちゅう起こります。

 

そういう、トラブルとして表面化することについては「あぁ見通しを立てるのが苦手なんだなぁ」と思って対処していたのですが、今日書いてきたような見通しが立たないゆえのしんどさについて考えている中で、もしかしたら日常的な不機嫌やパニックもここに由来するものが多くあるんじゃないか、と思うに至ったのです。

 

例えば、宿題の取り掛かりを極端に嫌がってパニックを起こしてきたのですが、それも「いつどんな風に取り組んだら宿題が終わる」という目処が本人の中で立たないから起こっていたんだろうなと。

 

1日ここまでというスケジュールを立ててあげるとできるようになったものもありましたが、それも目処が立てば安心できるから取り組めていたのかもしれません。

 

体調がちょっと悪いときに「すごくしんどい!!」と大パニックを起こしていたから病院に連れて行ったら大したことないと言われて帰る、というのを何度も繰り返したことがあるのですが、それもこの見通しのことと関係があるのかもしれません。

 

違和感や不調を感じたとき、大抵の人は自分に起こった過去の痛みや不調を思い返したり、家族のそれを思い出したりして「この程度だからこうすればいつには回復の見込みあり」と判断し、その後の見通しを立てて冷静に病院に行ったり薬を飲んだり休んだりすることができるのでパニックには陥りづらい。

 

でも、次男のように見通しを立てるのが難しい子にとって自分の不調が「この先自分の体がどうなってしまうのかわからない」という不安に繋がってしまうのかもしれません。

 

実はこれと全く同じことが、今読んでいる本に書かれていました。

自閉症 もうひとつの見方 「自分自身」になるために

自閉症 もうひとつの見方 「自分自身」になるために

 

 

まだ途中までですが、自分がぼんやり考えていたことがきちんとした言葉になって組み上げられていっているような、そんな本です。

 

この本の中では、周囲が「問題行動」と見なして消去する方向へ促そうとしてしまいがちなものに対して「そこには必ずその人なりの行動原理がある」と見なし、観察を続けていく姿勢が見えます。

見通しを立てることが同年齢の他の子よりも苦手な次男は、きっと、彼なりのやり方で生きていて、そしてこれから先も彼なりの方法を駆使して生きていくことになるんだろうなと読み進めながら感じています。

 

見通しを立てることがそれなりにできる人にとっては、苦手な次男のような子を見ていて「こうすればいいのに」とつい思ってしまうのかもしれません。

私も次男に、つい言葉で伝えてできるようになるよう促してしまうことも多々あります。

 

おわりに

でも、私がバケツの回数を数えただけでその次が楽になったのはもともと見通しを立てられる力を持っていたから。

それが難しい次男にとっては、知ったからといって簡単にできるようになるものではないのかもしれません。

 

そして、私と同じやり方で見通しを立てられない彼にとっては、日常のいろんなことがバケツの水を汲み続ける私の辛さと、顧問に言われて走らされ続けていた時の私の苦しさと同じように、重く苦しくなってしまうのかもしれません。

 

彼のことを、もっと知りたい、そう思えるような経験と、本との出会いのお話でした。

【したたか】という言葉の用法についてのアンケートから考えたあれこれ。

今日はTwitterでとったとあるアンケートのこと。

 

発端はぽろっと出た私の発言

 

女子同士の交友関係に長く悩まされてきた長女ですが、最近は一緒に過ごすお友達が複数できて安定しているようではあります。

それでも女子グループ同士の小競り合いなど教室の中でのトラブルは日常茶飯事らしく、その日も交友関係の愚痴を聞いているところでした。

 

母親の私が言うのもなんですが、彼女は惚れ惚れするほど自己肯定感が高く、強い根っこを持っているように見えます。折れないしなやかなメンタルは時に羨ましく、時に持たざる者の気持ちがわからないのではないかと不安になるくらい。

 

クラスの女子同士の攻防をすり抜けながらしっかりと自分を守っているように見える娘に出た感想が「娘ちゃんはしたたかだからなぁ」でした。

 

娘を思い寄せられた声

ツイートから少しして、マシュマロに私宛の声をいただきました。

私は母親に「したたか」と言われたらとてもショックなので長女さんに寄り添ってその発言を否定してあげたいです。
なぜその発言をスズコさんがしようと思ったのか、それを言って長女さんが何を得られると思ったのかを知りたいです。
自分で何かを調べる能力ですか?

 

拝見して【したたか】を悪い意味で捉えていらっしゃるんだな、と感じました。

 

【したたか】という言葉の意味

意味を共有した上でお話を進める必要がありますので、まず辞書を引きましょう。

 

[形動][文][ナリ]
  1. 粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。「世の中を―に生きる」「―な相手」

  1. 強く、しっかりしているさま。「―な後見役」「―な造りの家」

  1. 強く勇猛であるさま。

    1. 「力が強く勇気があって―な豪傑である」〈魯庵社会百面相

  1. 程度がはなはだしいさま。

    1. 「いと―なるみづからの祝言どもかな」〈・初音〉

  1. 分量がたいへん多いさま。

    1. 「国の事など―に申し居たるさま見るに」〈夜の寝覚・一〉

      強か/健か(したたか)の意味 - goo国語辞書

 

辞書の内容を平たく読む限り、けして悪い意味の言葉ではありません。

本来は「何にも屈しない強さ」「とても量が多い様子」を示す言葉だったのではと言われています。

上記では源氏物語などの古典が挙げられていますが、その強さや量の多さも良い意味で用いられているのがわかります。

 

ですが、本来の用法から変化してあまり良くない意味で使われ始めていることは私も知らぬわけではありません。

 

「言いなりにならず強情で扱いづらい」「ずる賢い」「計算高いという、本来の意味から派生したマイナスのイメージで使われることも増えているように思います。

 

こと女性に対して使われるときにその傾向が強いような気がします。

(ここら辺は言語学の文献をさらっていないのであまり掘り下げることは避けますが)

 

本来の用法通りの「粘り強く相手に屈しない強さ」と言うのは、同じ立場の人からしたら妬ましいものかもしれないし、目上の者からしたら扱いづらさに繋がりやすい。

社会の変容とともに、扱いづらい人間を表す言葉として使われ始めているのかもしれません。

 

どちらの意味で使ってる?

「したたか」という言葉について、良い意味で使うか否か、ちょっと傾向を調べてみたくなったのでTwitterでアンケートをとりました。

 

 

こんな結果が出ました。

個別にこんなレスをいただきました。

  • 単語の意味としてはマイナスのイメージだけど結構ポジティブに使っている
  • プラスの意味があることは知っているけどマイナスイメージで使うことが多い
  • プラスのイメージで使うことが多いが実際には状況や分脈による
  • 誤解されるリスクのある言葉のような気がする
  • マイナスイメージがあると知ってびっくり、褒め言葉だと思っていた。
  • 生き賢いという、良いイメージ
  • 峰不二子みたいなイメージ
  • 一筋縄ではいかない感じ
  • 抜け目のない放っておいても安心だ、という感じ
  • 語彙としてマイナスの意味で理解しているが「いい意味でしたたかだね」と使うことが多い。自分を守るための生き強さというイメージ
  • GLAYのa Boyで知ったので「生きる力が強い」みたいないいイメージ

 

アンケート結果からは約6割の方がマイナスイメージで使うことが多いようです。

しかし良いイメージを持つ方も少数派と言えるようなボリュームではありません。

 

掘り下げて考えてみる。

さて、ここから我々が汲みとるべきことは一体なんだろう、と考えてみたいと思います。

 

Twitterの私のフォロワーさんが主になっているたった5時間のアンケートですから、正確な統計とはとても言えません。

あくまでもひとつの傾向という捉え方として、細かな数字についてはざっくりとしか取り上げないことにします。

 

アンケートの結果6:3で、悪いイメージの方の方が多くいらっしゃいました。

 

ここで「悪いイメージの方が多いから、そちらが正解」と決められるでしょうか。

私はそれは危険だと思うのです。

なぜなら少なからず「良いイメージ」と感じている人がいるから。

 

では逆に「本来は良いイメージだから、悪いイメージは誤用である」と決められるでしょうか。

 私はそれも、とても危険だと思うのです。

なぜなら半数以上の方が「悪いイメージ」と感じているから。

 

では、我々が汲むべきはなんでしょう。

 それは

「解釈の分かれる言葉である」と理解しておくこと

ではないでしょうか。

 

こうやって言葉にするとそんな当たり前のこと、に見えますよね。

私も書いていてちょっと馬鹿馬鹿しさを感じてしまうほど、当たり前のことです。

 

でも日常生活の中で果たしてそれをどこまで意識して暮らしているか、ちょっと振り返ってみてほしいのです。

 

「あなたはしたたかな人ね」

と言われたとき、反射的に「自分が日常的にイメージしている意味」で受け取りませんか?

 

もちろん、それまでのその人との関係やその人の性格、表情や声色、会話の内容など様々な要素が絡んでくると思うので単純化して話すのは少し難しいのですが。

 

良い意味があることをイメージしていた私は日常会話の中で娘の長所について言及する言葉として使いました。

しかし、その会話を「私が娘を卑下している」と受け取る方もいらっしゃいました。

娘自身は今回は意味を知らなかったのですが、もし意味を知っていてマイナスイメージを持っていたら私の発言を不快に思ったかもしれません。

 

もしそこで意図が違うことが発覚したら、私は娘に

「そんなつもりで言ったのではなかった」

ということを釈明せねばならないでしょう。

 

「そんなつもりではなかった」

長くなってきましたのでそろそろまとめていきましょう。

今回、アンケート結果から書いてみたいなと思ったのはそこなのです。

 

ひとつの単語に対して、捉え方の違う人がこんなにいるということが可視化されました。

同じ日本語という言語を話しているはずでも、必ずしも一つずつの単語の意味が全て共有されているわけではないのです。

 

「したたか」という単語以外にもこのような複数のニュアンスを持ち誤解を招きやすい単語はきっとあるでしょう。

言葉以外にも態度や仕草など人によって捉え方が様々に違っているものも存在するんじゃないかと思います。

 

 

「そんなつもりじゃなかった」

これは、発達障害のある次男が頻繁に発する言葉です。

本人がとった言動が、意図しない形で相手を不快にし、その怒りや不満をぶつけられたときによく言っています。

 

誰かを怒らせようと思って言ったりやったりしたわけではない行動が、マジョリティにとってはその意図がある行動であるがために誤解された、ということが起こってしまうわけです。

 

ここで次男と私達家族が把握しておくべきなのは「次男がマジョリティに合わせられるようになるべき」または逆に「次男のそれは仕方がないから諦めるべき」ではないと思うのです。

 

お互いに意識しておかねばならないのは

「自分とは捉え方が違う人間が共存しているのだ」

ということなんじゃないかと思うのです。

 

どちらが正しくどちらが間違っている、どちらが多数派でどちらが従うべき、ではなく、そもそもの捉え方は人それぞれ多様であって、決して一様ではないのだということ。

何らかの言動から自分がとっさに汲み取った相手の意図は必ずしも相手の本意とは限らないということ。

 

だから引っかかりがあったときにそれを確認したり、誤解させたときには謝罪や釈明をしたりする必要があるのだろうと思うのです。

 

私たちは残念ながら生まれた時から自分の脳みそしか持っていないので、どうしても基準は自分の脳みその中身になりがちです。それは仕方ない。

でも、周囲の人は自分の脳みその延長線上にいるのではなく、別の脳を持ち別の意思を持ち別の認知の仕方をしている他人であるということ。たったひとつの単語の意味すら共有しきれているわけではないということ。

 

それを知っているだけでも、意識しているだけでも、諍いを減らす一助になるのでは、と思ったりした次第です。

 

おわりに

娘はその後、自分で「したたか」の意味を実際にググって「うわ〜まんまやわ〜否定できんわ〜〜」と言っておりました。

娘が今後この言葉をどんな風に捉えて生きていくのかは私にはわかりません。

 

「強さ」とは場合によっては良い方向にも、立場や状況によっては悪い方向にもなり得ます。

娘にとっても、彼女の持つ強さは今は自分を守ってくれていますが、ときに無自覚に人を傷つけたり、妬まれたりする可能性もあるのではと親として心配になることもあります。

 

自分のように強さを備えている人ばかりではない、ということも、折に触れて言葉にはしていますがどこまで理解が進んでいるのかはわかりません。

いずれ、そこも意識できるような大人になってもらえたらなぁとこっそり願っているところです。

小学校入学を控えた親御さんへ、心配しなくても大丈夫だよっていう話。

 

年明けてひとつめの記事を書こうとしてこんなトラブルで消えてしまいました。

書き直そうかどうしよう迷いましたが、「データが全部ぶっ飛んだものをゼロから作り直したら前のよりずっと良くなる」というこれまでの人生で何度も泣きながら培ってきた経験則があるので、ちょっと書き直してみようと思います。

 

書こうと思ったのは小学校での配慮について。

きっかけはTwitterのタイムラインに流れてきた、ツイートでした。

それはこの時期になるとよく見かける内容のもの。

 

小学校の入学説明会の案内に子供を連れてこないでという記載があり、それに戸惑う方の声でした。

 

小学校の保護者なら子供がいるのは当たり前のこと、連れずに行くということは預け先を確保しなければならないのに、その記載は配慮不足に感じられても仕方ないのかもしれません。

 

この時期になると毎年、同じように入学準備段階にある親御さんによると思われる、学校からの案内の不備や対応の至らなさについてのツイートをよく見かけます。

 

私自身も同じように学校からのアナウンスに対して「それはちょっと無理…」と戸惑った経験があるのでその気持ちわかるなぁと思いつつ、批判が強まっていっていたり、それに対して不安を感じているような声を見ると心配になったりもします。

 

今日筆をとったのは、そういう、不安を感じているのかな、という方に向けてメッセージを送りたかったから。

 

長男が入学してから今日まで9年、小学生の保護者をやってきているのですが、その間我が家は私や息子たちの事情に合わせてたくさんの配慮を学校にお願いし、お世話になってきました。

障害に関するものももちろんありますが、そうではないものも多くあります。

 

学校にお願い事をするときのスタンスは、いつも同じです。

こちらの事情を丁寧に説明し、学校側の都合や事情を伺い、その上でお互いに無理のない落としどころを見つける。

 

障害のある人が合理的配慮を受けるための合意形成のプロセスについて以前書いたことがありますが、障害に関すること以外でも基本的な姿勢はそれと同じです。

合理的配慮を事業者などサービス提供側に求めるときには適切なプロセスを経ることが望ましいとされています。

①本人や保護者・介助者から、必要な配慮に関する意思表明をすること
②学校や企業、行政などがどんな配慮ができるか検討し、本人と話し合うこと
③どんな場面でどんな配慮ができるか、お互いに合意したうえで実施すること
④配慮を実施したあとも、定期的にその内容や程度について見直し・改善をすること

(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ

配慮を必要とする側が、必要な配慮に関する意思表明をすることがスタートです。

そして、それについて提供側が検討し、本人やその代弁者と話し合いを重ね、負担により不可能なケースについては本人側の納得のいく説明をし、代替案についても話し合い、お互いに合意した上でサービスが提供され、その後も定期的に内容を見直すためのコミュニケーションをとっていくことで双方にとって、また他の参加者にとっても過ごしやすい環境を模索していくことができるのではないかと考えます。

 

ここで重要なのは

「配慮を必要とする側が、必要な配慮に関する意思表明をすることがスタート」

ということです。

 

小学校という、限られた人員と予算で運営されている組織が多様な家庭環境の子どもたちに対応している場で、出されたアナウンスが自分に適しているとは限りません。

 

むしろ、適さないことも多くあるのではないかと思います。

 

冒頭で挙げた子どもを連れてきてはいけないという事例についても、恐らくは学校側には保護者がぞろぞろとみんな子連れできてもらっては対応に困る事情があると思われます。

しかし、おそらくは全面的に禁止というわけではありません。

 

やむを得ない事情がある場合は事前に丁寧な相談を持ちかければ、学校も対応を考えて何か打開策を見つけられるかもしれません。

 

例えば、特例として座席の配慮をしてもらったり、後日別対応をしてもらえたりする可能性もあります。

 

ここで学校に特別な負担を強いることになるかもしれませんが、それを当たり前と思わずに協力できるところで積極的に手を挙げていくことで信頼関係を保つこともできるのではないかな、と思います。

 

〜までに〜を用意して、っていうアナウンスが突然あるのに対応しないといけない!というのもTwitterでよく流れてきますが、あれももし用意できなくても事前に相談すればどうにでもなるものが多いです。

持ってこられない子向けに多めに用意するから大丈夫です、とか、複数持ってくる子がいるからもらえます、とか。

持たせられなくても連絡帳にひとこと書いておけば対応してもらえたりもします。

 

 

イメージとしては、学校と自分たちの間に子どもがいる感じです。

子どもを真ん中にした協力体制を築いていく感じ。

 

1年生の担任になる先生はベテランの方も多いので、入学前から気になることや不安なことは早め早めに相談しておけば色々と対応してもらいやすいと思います。

(私は年度当初の家庭訪問で「私自身が忘れっぽくて失敗が多いので持たせ忘れたりすることがあると思います」と担任がかわるたび毎回ぶっちゃけて、配慮をお願いしています)

 

ネット上には、学校やPTAに関するマイナスなイメージがたくさんあります。

この時期から入学後くらいまで、それが特に増えるような気がするのですが、そこで入学前に不安を募らせてしまう方が増えるのではないかなと余計なお世話ですが心配になったりします。

 

でも、自分の経験でもマイナスのことは何度でも発したくなるものだなぁと思うんですね。

長い保護者生活の中でものすごく辛い対応をされてしまったこともあるんですが、そのことはネットでもリアルでもいつまでも恨み節のように繰り返し言葉にしてしまうし、逆にたくさんいるとてもよくしてもらった先生方のことはそう何度も口にはしていません(感謝はしていますが)。

ネットに悪い話が残りやすいのも、そういうことなのかな〜と思ったりしています。

 

この時期からしばらく、対応に配慮が足りない!という情報がたくさん溢れるかもしれません。

それ自体は、つぶやくことが悪いとは思いません。

そこから改善につながることもあるかもしれないし、そうそうって話して気持ちが晴れることもあるだろうし。

 

でももし、そういう流れに触れて小学校に向けて不安が募ってしまうことがあったら、思い出してもらえたらなぁ、と思うので書き残しておきたくなったのです。

 

心配しなくても、大丈夫です。

学校にいる先生の多くは、こちらが丁寧に相談したり配慮を求めればそれに応じてくれるはずです。

(例外があることは存じてます…交通事故のようなものです)

 

困ったら、自分で判断したり不満を募らせる前に、学校に相談してみてください。

こちらから丁寧なプロセスを辿れば、先方が丁寧に対応してくださる可能性も高くなると思います。

 

もううちでは小学校の入学を経験することはここから先ありませんが、来年度は長男が高校生(になる予定)で、私も高校生の保護者デビューが控えています。

初めての高校、ドキドキです。

 

入学に際して発達のことも含めて、不安になることも増えてくるかもしれません。

お話をしたくなったら、いつでもTwitterで話しかけてくださいね。

 

それでは今日はこの辺で。(結局長くなりました)

忘れることのできない、大きな失敗をしました。

昨日、自分の人生の中でも多分これ以上はないんじゃないかと思うほどの失敗をしました。

やらかしたことのあまりの重さ、被害の大きさに眠れない夜を過ごしながら、私の脳裏に浮かんだのは「これを書きのこさねばならない」と言うことでした。

 

ことの詳細は詳しくは書けませんが、少しだけ。

年末の行事で知人や親戚、子供たちそれぞれの友人が多数いる場で次男がパニックを起こして暴れ、そして私がそれを止めきれず、彼の感情を真っ向からぶつけられたことで自分を保てなくなり大きな声を出してしまうにいたりました。

 

子供たちの友人たちはとてもびっくりしていたし、とても怖かったと思います。

 

なぜあの場をすぐに離れられなかったのか、なぜイレギュラーな状況が苦手だとわかっている次男のことをもう少し丁寧にケアしてやれなかったのか、なぜ他の子たちを守ることができなかったのか、自分の判断ミスや対応の不味さに涙が止まらなくなります。

 

次男が落ち着いた後、それぞれの子供たちに謝らせてもらいました。

謝って済むわけではないことも重々わかっています。

寝られず、頭痛が止まらず、体にも不調が出たのでこれは良くないと思いました。

 

次男のかかりつけの児童精神科の先生に初めて会った時に言われた言葉を今も覚えています。

「お母さんがしんどくなったらいつでもお母さんの分のケアもできるからね」

 

それまで次男を抱えて暮らしながらそんなことを言われたことは一度もなかったので、診察室で泣きました。

そこから今日まで、月1回の診察のたびに次男の状況にプラスして家族が今どんな思いを抱えているか、私の状態はどんなかもお話をさせてもらっています。

 

昨日の出来事は、強く記憶が残りやすい私の特性上、おそらくは一生消えないとおもいます。

そして、その場にいた人たちにも同じように消えない怖い記憶を残してしまった。

悔やまれて悔やまれて、時間が巻き戻せるならやり直したい、なかったことにしたい、と今もそんな思いが絶えず押し寄せてきます。

 

なぜこんなことを書いておこうと思ったのか、私にもあまり綺麗に整理はできていません。

ただ、書かないといけない、と思ったので書いています。

 

いつも子供たちの対応についてここに書き記してきている中で、どこか自分がしっかり頑張ってやれている親だという思い込みがどこかにあったようにも思う。

そんな風に褒めてくれるコメントをいただくこともある。

 

でも、そんなことない、こんな風に失敗を繰り返しては悔やんで、泣いて、子供たちに謝って、ちっとも立派でもなければしっかりもしてない、そんな親だということをここに書いておきたくなったのかもしれません。

 

寝られなくて、夫に話を聞いてもらいました。

夫からかけられた言葉は、一生忘れません。

 

「取り返しのつかないことをしてしまったけど、でも一度の判断ミスで全てがなくなったりはしないから、壊れたものはまた少しずつ積み上げていけばいい、またゆっくり始めよう」

 

 

失敗は苦しいです。

でも、失敗を繰り返さないようにするためにできることもきっとあるから、と昨日、次男と話しました。2人で失敗してしまった、やらかしてしまった、だから、お互い何ができるか考えよう、と。

 

自分の感情を捉えることが苦手な次男も、昨日は頑張ってなぜパニックが起きたかを一生懸命言葉にしてくれました。

家族はじっとそれを聞いてくれました。

 

失敗するたびに、いろんな人に迷惑をかけてしまいます。

いろんな人を困らせ、手を焼かせてしまう。

たくさんの人に嫌な思いをさせ、悲しませてしまう。

 

でも、失敗するたびに話を聞いてくれたり、励ましてくれたり、そばにいてくれる人も私の周りにはいます。

助けてくれる人たちが私にはいるから、だから、どんなに大きな失敗をしても少し休んで、またゆっくり始めていくことができるのだろうと思います。

 

 

願わくば、子供たちそれぞれにもそんな風に支えてくれる人ができますように。

願わくば、今私を支えてくれている人たちとこれからもお互いに支えあっていけますように。

 

 

 

今年も私の、不定期すぎる更新頻度の言葉たちにお付き合いくださり、ありがとうございました。

来年もきっと私は、いろんな失敗を繰り返しながら子供たちと暮らしていくのだろうと思います。その度にボロボロになって、そしてまた、それも言葉にしながら、生きていくのだろうと思います。

 

みなさま、よいお年を。

来年が幸多き年となりますように。

 

2019年の年の瀬に寄せて  イシゲスズコ

「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉とあの事件に寄せて(長いです)

今朝、Twitterを開いてタイムラインを眺めていたら、元農林水産相事務次官の長男殺害についての報道が流れてきていました。

目に留まったのは容疑者の妻であり息子を殺された立場である母親が「アスペルガーに産んで申し訳ない」と法廷で証言したという記事のタイトルでした。

 

この一連の事件に関して、実は私は報道から自分を遠ざけていました。

子としての私と親としての私。

どちらにも思うところがありすぎて、その思いが溢れて生活をおびやかしすらしそうで、怖かったからです。

 

今朝「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉を見て、PCの前で少し膝が震えました。

あ、これは、言葉にしておかなくてはならない、そう思いました。

 

うちの次男は、ADHDアスペルガーを含むいくつかの診断名を持つ中学生です。

私自身は診断はなく暮らしていますが、発達障害の特性を自覚している身です。

 

私の母親は教育熱心で小さい頃から私に惜しみない教育を与えてくれました。

その熱心さが暴走して私は母の敷いたレールの上でもがきながら高等教育機関に送り込まれ、都会に出て初めて母の呪縛に気づいて大きな挫折を経験したという記憶を持っていますが、母の記憶の中の私は違うようです。

小さい頃は素直に勉強していたのに20歳を前に突然反抗期が来て私のいうことを聞いてくれなくて色々と台無しにしてしまった子、それが、母の私への評価でした。(面と向かって言われました)

 

しかし、当然ながら母は外部にそんなことを漏らしません。

母の周りでは私はいつまでも出来のいい娘であり、そして私もまた、それを演じられるからこそ今も母とそれなりの関係を保って生きていけているわけです。

 

そして、そんな私にまた、神様が試練を与えたような息子が生まれました。

4人いる子供の中で、ずば抜けて育てるのが難しい子、それが次男でした。

小さい頃はほかの子に比べて落ち着きがないかなぁという程度でした。

心配して相談した先でも「元気がいいだけですよ〜」と言われていました。

 

難しくなってきたのは小学校中学年くらいから。

今思い返せばこの頃から自閉傾向がかなり目立ってきたように思います。

反抗的な態度が出たり、癇癪を起こして暴れたり。

あちこちに相談してもなかなか糸口がつかめない日々が続いて疲弊し切った頃、たまたま出会った相談先で病院を教えてもらい受診、そこで初めて発達障害という診断がつきました。

 

くだんの事件の報道の中でも受診して診断が下りたという記事がありました。

専門家につながっていたのになぜ、という声も散見されました。

 

そうなんです、病院に行って診断が下りたとしても、そこですぐに色々な問題が解決するわけではないんですね。

次男の場合も、診断が下りたことで何かが劇的に変わったわけではありませんでした。

そこから先、今日に至るまで、彼の周りにあるサポートは全て私が駆け回って取り付けてきたものです。向こうからやってきてくれたものは一つもありません。

 

サポート以前に、情報そのものも向こうからはやって来てくれません。

どんな制度があるかも、どんな助成金が受けられるかも、どんなことを学校に求めて良いのかも、全部自分で調べるか、親の会や仲間内のコミュニティで教えてもらうしかありません。Twitterにはかなり助けられました。

それら制度にも地域差があり、よそで受けられるサポートがこちらでは全く機能していない、ということもありました。

 

そして支援を掴む過程も、全てうまくいっているわけではありません。

かなり待ったのに思うような回答がなかったり、何度も電話をかけたのに折り返しがなかったり、繋がったのに次男と相性が合わずうまく続けられなかったり、そんなことの連続です。

 

そんなやりとりの中でも、日常は過ぎていきます。

学校で暴れたと連絡を受けたら対応し、家で兄弟喧嘩があったらその仲裁をし、本人やきょうだいのケアをし、そして休む間も無く支援を受けるために奔走する。

 

これが、発達障害を持つ子を育てる家庭の現状です。

 

私の周りにも、同じように奔走する父母の立場の友人が何人もいます。

みんな、自分もそれぞれに困難を抱えながら子供のため家族のために毎日を送っています。

 

そんな日々の中で、自分を保てなくなるくらい疲弊することもあります。

ボロボロで、悪い方悪い方にしか頭が働かなくなってしまう。

 

なんの心配もなく学校に通えている子を育てる親御さんが羨ましくなることもあります。

支援学校や就労の目処がある程度立っているように見える身体など別の障害を持つ子の親御さんを羨ましいと思ったことすらあります。

なんで自分にばかりこんな難しい子育てが課せられるのかと泣いたこともあります。

 

そして、誰よりも一番苦しんでいる息子に対して

「こんな風に産んでしまって申し訳ない」と思い、泣いたこともあるのです。

 

そして、そんなことを考えてしまったと、自己嫌悪に陥るのです。

 

支援がうまく入って次男も落ち着いて過ごすことができ、私の気持ちも落ち着いてくるとそんな落ちる方向への思考は起きづらくなります。

 

あの法廷での証言が付された記事のタイトルを見た時に思いました。

あぁ、あの一番ダークな状態の時の私だ、と。

そして同時に、あの状態が何年も何十年も続いた結果なのかもしれない、と背筋が凍る思いがしました。

 

私はあの事件に関して、誰のせいだ、という方向で考えることはできません。

Twitterにもニュースサイトのコメントにも、どちらの方向からの意見も並んでいます。

テレビを見ないのでなんとも言えませんが、軒並み父親に同情的な報道がなされている感じでしょうか。それに対してネットでは息子に同情的な意見も散見されます。

でも、やっぱり私にはどちらの方向にも考えることができません。

発達障害を持つ子を育てる親がどれだけの負担を背負わねば暮らせないのかも、発達障害の当事者が極端な思考の偏りを持ちやすいことも、どちらも身を以て知っているからです。

 

教育虐待のことについても触れているツイートがありました。

親による教育面での虐待が引き金になっている可能性もあるかもしれません。

私自身、親から似たような圧力を受けてきた記憶があるので、その苦しさがわからないわけではありません。

 

でも、親の立場になってまた違うものが見えたのも事実です。

知的に高いアスペルガーの子たちは公立の小中学校でその知識の偏りやコミュニケーションの違いによりなかなか周囲に馴染めなかったり、いじめの対象になりやすかったりしてしまいがちです。

それを避けるために、荒れている地元の公立中学校ではなく私立への進学を子供に勧め、受験に臨んでいる家族も私の周りにも複数います。

私自身も地元の中学より、母の強引な勧めで受験した進学先の高校の特進級の中の方がはるかに居心地が良いものでした。(母にそんな意図はなかったようですが)

うちも、もし通える範囲に次男にちょうど良い私立があったら受験を考えただろうと思います。(幸い地元の公立が柔軟に対応してくれているので今はなんとかなってますが)

子供本人と話して決めた受験でも、実際の受験勉強は時に子供にとって苦しいものになる可能性もあります。

その受験の過程が親と子それぞれ、どんな形で記憶に残るかもわからないな、と思うのです。

 

アスペルガーの中には、嫌な記憶は強く残り、良い記憶はあまり残らない特性がある子もいます。(うちの次男がそうです。私も自覚があり日常の中で意識しています。)

親子双方に特性があれば、それぞれの記憶と実際のやり取りに食い違いがあるだろうことは容易に想像ができます。

(これらを鑑み、私の親に対する記憶もおそらくはかなり私なりにディフォルメされている可能性があると考える必要があると思っています)

 

今朝、このブログを書くためにいくつかの記事を読み、そこに記された家族の様子を読みました。

それをそのまま書いてある通りに読み取るわけにはいかないのが発達障害の難しいところだなぁと自分や息子のやりとりを思い浮かべています。

親と子双方に、家族に、記事の中だけでは計れないとてもたくさんの思いや苦悩、挫折や、儚く消えてしまった希望や、いろんなものがきっとあるのだろうと思うのです。

 

ここに書き記してきたような発達障害当事者の特性ゆえの苦しみ、記憶の特徴、親もまた当事者である可能性や、またその親が社会の中で背負う負担の大きさ…

この事件は、今まさに現在進行形である我が家の問題とリンクしすぎているがゆえにここまであえて目をそらしてきました。

 

なるべく情報を自分の中に入れぬようにしてきましたが、今朝、法廷で証言したという母親の言葉を見て、このままにしていてはいけないと改めて思いました。

 

発達障害のある子を持つ親が、彼女のように「自分が産んで申し訳ない」などと口にしていいわけないのです。

もし耐えずその苦しみが襲ってきたとしても、それは決して公の場で口にして良い言葉ではないのです。

我が子に聞こえてはならないし、オープンにしてはいけない。

 

願わくば、そんな気持ちにならないような社会資源を望みます。

 

そして、そう思う日があったとしてもこらえていけるようなサポートを。

 

診断を受けた子がスムーズに入っていける、間口が広く開かれたサポート体制を。

診断を受けた子を持つ親が苦しまずに済むような明るい未来を。

 

逆に言えば、今それが整っていないのが知的障害を伴わない発達障害当事者の現実です。

診断のできる病院はどこも予約でいっぱいです。

知的な遅れがないので診断が遅くなりやすく、療育に通えないケースも多いです。

早期に診断を受けたとしても、療育は園児まで。

公立の小中学校でも支援体制は手薄で、専門的な知識を持つ教員も多くはありません。

相談支援も手いっぱいで、後回しにされがちです。

 

私は、ペアレントメンター として発達障害児を育てる親御さんの話を聞く機会があります。先輩として励ましたくても、こちらにくれば大丈夫だよ、と言い切れない現実がそこにはあります。

我が子でさえ、明日どうなるかわからないのです。

今はかろうじて中学に通えていますが、担任が変われば不登校になることも想定しなくてはなりませんし、そうなった時に彼の学習をサポートしてくれる支援をまた自分で取りに行かねばなりません。

高校に行けるかもわかりません、高校がどんなサポートをしてくれるかも霧の中です。

一般の就職ができるのか、障害者として就労を選ぶべきなのかも、何も見えません。

自分であちこちに足を運び、声をかけ続けなければ、誰も教えてはくれないのです。

そして、教えてもらえたとしても息子がそこに適応できるかは、誰にもわからない。

誰も、そこに進んで並走してくれはしないのです。

それが、知的障害を伴わない発達障害児の現実です。

 

(知的や身体など他の障害でも体制としては似たような状況ではあると思いますが、体験していないので正確なことは書けません)

 

あの事件から社会が何かを得てくれるなら、発達障害に対する理解と社会資源の拡充を、と求めます。

悪者探しをしても誰も救われません、少なくとも私たち当事者親子の救いには全くなりません。

 

私たちは日々もがきながら、なんとか繋がったなんとか助けてくれている人たちの手を手繰り寄せながらかろうじて生きています。

あの事件は決して対岸の火事ではないのです。

我が家の未来かも知れない怖さが私にはあるのです。

 

親が子を殺すような悲しい事件が二度と起こることのないような、支援体制の拡充を。

取りに来る力のある親の子にしか届かない支援ではなく、支援希求力の弱い家庭へも届く支援を。

公教育の中で発達障害の子どもたちが苦しまずに済むインクルーシブ教育・特別支援教育の更なる拡充、教員の資質向上を。

 

それが、私の願いです。

 

そして、それを訴えながら保護者同士横の繋がりを持ってお互いを支えていく。

私に今できることを粛々とやっていくしかないと改めて思っています。

当事者の、その家族の、その周囲の人々の、苦しみが少しでも減ることを願って。

スパイスでカレーを作りながら考えた、自分のためだけのご馳走を用意するということ。

ここ何回か次男のことから考えた話題が多かったのですが、今回は私のこと。

 

たまにツイートをしていますが、最近、スパイスからカレーを作っています。

発端は多分、有賀先生の発案に影響を受けて我が家のキッチン周りを模様替えしたこと。

 


キッチン周りが使いやすくなって以来、ツイッターではリュウジ(@ore825)さんや作りおき食堂まりえ(@mariegohan)さん、山本ゆり(@syunkon0507)さんあたりの簡単料理アカウントを、Youtubeでは【かっちゃんねる】や【こっタソの自由気ままに】あたりの料理チャンネルをマメにチェックして着々とレパートリーを増やしております。

 


みんな大好き!あの人気メニュー サイゼリヤ風 辛味チキンの作り方【kattyanneru】

この辛味チキン何度作ったか…

かっちゃんねるの再現レシピはマジ神…(語彙力)

 

いろんなレパートリーが増える中で、チンするだけの簡単メニューはレンジに任せている間丸々手も頭も使わずに済むのが本当に助かっています。

コンロにかけていると焦げたり吹きこぼれたりを気にしなくてはいけませんが、電子レンジだとそれもなく。

レンジに入れていること自体まるっきり忘れてしまっていても(よくあります…)時間がきたらピピーっと教えてくれます…!すごく助かる!

 

その間に別の家事をやったりすることも多いのですが、レンジに家族の主菜を任せてコンロでは副菜作りや自分のためにちょちょっと酒の肴を作って晩酌を…なんて楽しみも始めたりしていました。

 

ラジオで初めて印度カリー子さんのことを知ったのはその頃。

ゲストとしてお話をされている中で基本のチキンカレーの作り方が紹介されていたのですが、これが驚くほど簡単。

 

東大院生のスパイス料理研究家・印度カリー子さんに3種類のスパイスだけで作る「スパイスカレー」を教わった - メシ通 | ホットペッパーグルメ

 

こちらにカリー子さんのスパイス解説や基本のチキンカレーのレシピが載ってます。

ひとりぶんのスパイスカレー

ひとりぶんのスパイスカレー

 

 

以前からスパイスカレーに興味はあったものの調味料を揃えるの大変そうだなぁとなかなか手を出せずにいました。

 

そして手を出せずにいた大きな理由がもうひとつ。

「食べたいのが私だけ」

 

そう、結婚して子どもたちが生まれて、ずっと私の料理は「家族のため」でした。

 

家族が喜んで食べること、栄養やその日の体調、家計…

さて今日は何を作ろうかと考えたときに浮かぶのはそんな項目。

 

毎度毎度自分を押し殺して家族のためにご飯を作るなんて殊勝なことをしてきたわけでは決してありません。

制約の中で私の好きなものや食べたいものはそれなりに作ってきましたし、疲れたときには盛大な手抜きも躊躇せずやってきました。

 

それでも「私しか食べないもの」をわざわざ作るのは時間的にも精神的にもなかなかハードルが高く、手を出そうとも思わないまま毎日が過ぎている感じでした。

 

どうしても印度カリー子さんのレシピで作ってみたくて、ふと思ったんですね。

「家族の分はレンジに作ってもらえばいいじゃない」

 

というわけで子どもたちの分は

まりえさんのキーマカレーを仕込んでレンジにお願いしまして。

その間に私は自分のためだけにせっせとスパイスカレーを作りました。

 

レンジにお願いしたキーマカレーを食べる子どもたちを眺めながら、すぐそばのコンロではスパイスカレーが煮込まれるいい匂いがしています。

 

自分のためだけのカレーは、ちょっと辛め。

甘めに作ったカレーに自分だけ上乗せでスパイスをかけるのよりずっと、美味しい。

お店の味さながらに出来上がった私のためだけのチキンカレーは本当に本当に美味しくて、何回かに分けて大事に食べました。

 

そのカレーを食べながら、自分のためだけに料理をするって贅沢だなぁと思うと同時に、家族のため誰かのための献立を考え作り続けることはじわじわと自分の自尊心のようなものを削り続ける日々でもあったんだなぁと思い返したりするのです。

 

そんなことをいうと叱られるかもしれません。

家族が聞いたら悲しいかもしれない。

 

でも、「みんなが食べられるもの」を作り続けるということを通して自分がじわりじわりと自分の食べたいものを押し殺してきたんだなぁと、それを、なんとなく言葉にして整理しておきたくなったのです。

 

家族がみんなで同じものを食べるのも、そういう形の幸せや楽しさがある。

でも6人いる我が家の家族は、好みも食べる量も食べられるものも、それぞれ全く異なっています。

大きくなっていくにつれ余計に、それぞれの食へのスタンスは多様になりつつある。

そんななかで、みんなが同じ時間に同じものを食べること「だけ」が当たり前の食事ではないということを考えるターンにきているのかもしれない、と思うのです。

 

我が家版ミングルの登場により、我が家の食事の風景は大きく変わりました。

それまで私がキッチンにこもってご飯を作り、できたよーと呼ぶと子どもたちがそれぞれ配膳の手伝いに来て、箸を出しコップを出し、全員揃っていただきます、でした。

 

今は、私がキッチンであれこれ用意しているとテーブルにふらっとやってくる子もいればこない子もいます。

私が何品か作っている間に、最初にできたものをおかずにササッと食べてまた自室に戻っていく子もいれば、最初から最後まで座ってコンロの前の私と喋りながらゆっくり食事をする子、ある程度で揃ったところでワンプレートに取り分けてテレビの前に座って食べる子…

一人の子が毎日同じ様子というわけではなくて、それぞれが日によっていろんなスタンスで食べている感じです。

 

その食事の取り方の変容と並行して、献立も変わりつつあるようです。

以前は「みんなが食べられるもの」がメインだったのですが、最近はそれぞれが好むものだけでなく、家族の中のだれかが嫌いで絶対に食べない(でも他の家族は好きなもの)も作りやすくなってきました。

 

食べることが大好きな三男は毎日の夕ご飯の献立や出てくる順番を確認して、自分の食べたいおかずのところでテーブルにつくよう自分のスケジュールを調整しているようです。(栄養のバランスとかは1食単位では考えてないし、そもそもかなり適当です)

 

我が家の食事風景の変容に伴って、私もこれまで何となく我慢する形になっていた「自分のためだけのご馳走を用意する」ということが楽にできるようになってきました。

 

「自分以外の家族が食べないもの」を「自分のためだけに作る」

そのとても贅沢でワクワクする時間、これまであまり意識してこなかったけれど、私にとっては必要な精神安定のための材料だったんだろうなぁと思います。

 

なんかとりとめもないけれど、今日はこのくらいで。

次男(が)行方不明(になってしまったと私が思った)事件を振り返る。

ぽかっと1時間ほど時間ができたので、なんかブログでも書こうかなと思い立ちました。

 

突然ですが先日、次男が行方不明になりました。

いや、正確には「私は行方不明になったと思った」です。

忘れてしまうのもなんなので、備忘録として書いておこうと思います。

 

次男が、忽然と姿を消しました。

学校が休みの日、彼がひとりで某所へ行く予定でした。

私は朝、予定より少し早い時間に彼を送り出し、当然そこへ向かったものだと思っていました。

が、帰る予定の昼になっても彼は戻ってきません。

おかしいと思いつつ、もう中学生の彼を慌てて探すのも…と思いました。

もう彼から手を離していこうというブログを書いたばっかりじゃないか、と思っていました。

お腹が空いたら帰ってくるだろう、そのうち戻ってくるだろう…

 

そんなことを思いながらお昼ご飯の片付けをしていたら、次男の友人が我が家を尋ねてきました。

午後から遊ぼうと待ち合わせをしていたのにそこに来ない、と。

 

約束をしてたのにすっぽかすなんて!とまたイラっとしました。

お友達には「じき戻るだろうからちょっと待ってて」と家で待つように伝えたのですが、彼が怪訝そうな顔をして言うのです。

 

「途中で(次男)くんの自転車を見たんです」

 

彼が自転車を見たと言うのは、午前中に次男が行く予定だった場所でした。

 

平静を装いつつ、何かがおかしいと頭の中がぐるぐる回りました。

彼が訪ねるはずだった相手先に連絡をすると「次男くん?それが来てないんだよね、自転車はあるから近くにいるのかと思ったんだけど見当たらないの」との返事。

 

何かがおかしい!

とりあえず、自転車を確認しに行きました。

あります、鍵をかけた状態で次男の自転車が置いてあります。

でも彼は見当たりません。

 

頭の中をいろんな可能性がよぎりました。

対人トラブル、事故、犯罪…

 

車で周辺を周りました。

夫に連絡して「これは警察に連絡したほうがいいんだろうか」と確認しました。

「とりあえず夕方まで帰らなかったらそうしよう」と彼は答えました。

なんて悠長なことを!次男はもうすでに何かに巻き込まれているかもしれないのに!

と腹の中で思いながら、いや冷静であれと言うもう一人の自分がいました。

 

「次男くん帰って来たよ」

車でウロウロする私の電話がなり、家にいる家族からそう知らされました。

とりあえず安全が確認できたのだとわかって、ハンドルを握る手から力がガクッと抜けそうになったのを覚えています。

 

結論からいうと、彼は訪ねる予定のところについたけれど予定より少し早かったので散策をしようと思い立ってうろついているうちに道に迷ってかなり遠くまで行ってしまっていたそうです。

ひと気のない山の方まで入ってしまい、たまたま出会った地元の方に事情を話して公共の交通機関を教えてもらい、なんとかそれで帰り着いたところだったと。

 

私が心配して探し回っていたことを知ると次男は、とても申し訳ないことをしたと悲しい顔をして言ってくれました。

 

私の中で顔を出した、不安

こうやって文字で書き起こすと「一件落着」感がものすごく出るのかもしれないのですが、当時の私にはそんな気持ちは全く起こりませんでした。

こんなことをしでかしてしまう彼に対してどうしたらいいんだろう…

行方不明状態の彼を探し回る中で私の中で顔を出した不安は、どんどん私の中で大きくなって私を支配しようとしていたような気がします。

 

明日も行ってらっしゃいと彼を送り出していいんだろうか、大丈夫だろうか…

どんな手を打てばいい?何を用意すればいい?彼にどう対応すればいい??

 

頭の中をそんな色々なことがマーブル状に混じり合ってぐるぐるぐるぐると回っている感じ。

 

マーブルの不安はだんだんドロドロと沼のような色になって、私の中を渦巻き、体の中全体に広がっていくような気がしました。

 

不安に囚われて見えなかった、次男の成果

ちょうどその頃、遊びに来ていた三男のお友達を迎えに、その子のママがやって来ました。

次男のこともよく知っている彼女に何気無く今日の出来事を話しました。

「もう、どうしたらいいんだか」と愚痴る私に彼女が笑って言いました。

「でも次男くん、自力で人頼ってバス乗って帰ってこれたんでしょ?初めてのところから。それすごくない?百点満点だよね」

 

漫画みたいに大きなハンマーで頭をガーンと殴られたような感じがしました。

これ、いつも自分が言ってることじゃないの!

 

「失敗は仕方ない、でもリカバリーできればいいんだよ。」

 

次男に自分がなんども何度も言って来たこと。

彼はそれをちゃんとやってのけていたのに、私は自分の不安に囚われてそれがちっとも見えなかったんだなぁと。

 

おわりに

次男に、とても心配だったこと、でもそれに囚われて君ががんばって帰ってきたことを褒めてあげられなかったことを詫びました。

気づかせてくれたお友達にも足を向けて寝られないわ…とおうちの方角を思わず調べたりもしました。

 

私の不安というのはなかなか根が深いもののようです。

その根の深い不安が、なぜ4人いる子のうち次男にだけより強く発動されてしまうのか、私にもよくわかりません。

 

ただ、今回のように自分の中で不安がどんどん大きくなる前に誰かに聞いてもらうってやっぱりすごく大事なんだろうなと思います。

Twitterで書くだけでも違うかもしれない。

不安モンスターは外に出さないと自分の中でどんどんどんどん大きく膨らんで私をすぐに支配してしまう。

 

苦しい時に「ちょっと聞いてよ」って言えるお友達がいること、改めてありがたいなぁと思っています。

 

おまけ

余談ですが…

今回次男がいなくなったことで自転車を置いたところの周囲の知り合い(彼が中学への登下校の時によく通るあたり)に「次男見てませんか」と声をかけさせていただきました。

そのいく先いく先で「あのしっかりした子よね」「いつも元気に挨拶して、声をかけてくれる優しい子ね」ととても肯定的な次男の評価をいただきました。

 

皆さんがとても彼のことをよく思ってくれていて、あの私が見ている「いろんなことができない次男」は、誰かにとってはそうじゃないんだな…と改めて自分が一部しか見えてないことに直面し、親としても人としてもまだまだだなと痛感するきっかけにもなったのでした…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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