わんこがやって来てはや1ヶ月。
保護犬としてかなり警戒心の強い彼は1ヶ月経った今も物音にビクッとし、家族に対しても警戒している状態。
でもすこーしずつ周りに興味を持ったり、名前を呼ぶと顔を上げたり、小さな変化に家族で大喜びする毎日を送っております。
さて、前回はわんこの講習を通して考えた「良き親であるということ」について書きました。
今回は、わんことの暮らしを通して考えた、思春期の子どもたちとの暮らし方のこと。
「思春期の子がいるお家は、犬飼うといいらしね」
わんこを引き取って数日経ったくらいでしょうか。
お友達にそのことを話したらこんなことを言われました。
「思春期の子がいるお家は、犬を飼うといいらしいね」
そのときは何でか深くは話さないまま終わってしまったのですが、なんとなく印象に残っていました。
ブログを書くにあたってググって見たら「思春期は(中略)8歳頃から17、18歳頃までの時期に相当」と書かれていました。
なるほど、我が家のお子さんたち(9歳の三男から16歳の長男まで)は思春期真っ盛り。
なんとなく印象に残っていたわんこと思春期の関係、一緒に暮らす中でどういう意味なのかな〜と考える毎日が始まりました。
わんこと思春期の関係① お散歩
わんこがやって来てからの劇的な変化のひとつが、朝晩の散歩でした。
うちに来た柴犬、元々の性質もあるだろうし保護されるまでしつけもされていないようなのでトイレシートでのトイレができない状態です。
つまり、排泄は全て外。
本当なら老後のことを考えてトイレシートでするよう訓練した方が良いというのはわかっているのですが、まだ信頼関係もできていない状態だし、年齢(10歳いってるかも、と獣医さんに言われました)を考えても無理強いをするのは控えたい。
というわけでとりあえず当面は外でのトイレを前提に暮らそう、ということになりました。
柴犬の性格上、自分の住まいとみなしたところでは絶対に排泄をしません。
散歩で外に出るまで何時間でもじっとトイレを我慢しているので、朝晩の散歩は欠かせない日課となりました。
余談ですが、どんなお天気の時でも欠かせないので、先日の台風10号の時は暴風が少しおさまるタイミングを見計らって風雨に晒されながら散歩しました…
さて、そんな日課となったお散歩。
ちょうど夏休みの時期ということもあって、子どもたちもついて来たいと熱望し、ぞろぞろと家族総出のおでかけになることも多くありました。
前に飼っていた犬は体格が大きくてまだ小さかった下の子たちはリードを持ったこともなかったくらい。
今度のわんこは小型で力もそう強くないので、子どもたちも自分が自分がと交代でリードの取り合いです。
「散歩に行くよ〜」と私が声をかけたら、その時家にいて暇なのがぞろぞろついて来ます。
お兄たちはポケモンGOやドラクエウォークのついででもあるみたい。
中高生になって一緒にお出かけ、というのもほとんどなくなっていたのに、わんこが来てくれたおかげでそれぞれの子達と私の二人きりで散歩、なんていう贅沢な時間を過ごせることも。
家ではなかなか二人で話す時間も取りづらくなっていく時期に、わんこを挟んで一緒に歩きながら学校のことや彼女のこと、将来のこと、ちょこちょこと会話したりして、なんか良い感じです。
わんこと思春期の関係② 一緒に面倒を見る仲間
わんこが来てからのもう一つの変化が、関係性の変化です。
これまでは親であるオットと私、そして子である子どもたち、という構成の我が家。
4人の子どもたちの間でそれぞれに、お兄ちゃんと弟とか、微妙な関係性はあったものの、子どもたちの中では自分たちは「お世話されるもの、育てられるもの、面倒を見られるもの」という感覚だったと思います。
それが、わんこが来てから「お世話するもの」の存在が登場した。
子どもたちにとっては大きな変化だったと思います。
これまで魚類や両生類爬虫類は飼って来たものの、お世話といってもそれほど丁寧にしているでもない子どもたちなのですが、相手が哺乳類となると「ほっといて死んじゃった」というわけにはいかない気持ちになるのかもしれません。
愛らしい外見と動きでお世話したい気持ちになる、というのもあるかも。
とにかく何かしてあげたい、自分に懐いてほしい、そんな気持ちになったらしい子どもたちは、それぞれのスタンスでわんこに接しようとします。
エサを用意して食べさせたり、散歩に行ったり、どんな風に接したら怖がらないか相談したり。
中高と進学してそれぞれ外で過ごす時間や自室にこもる時間が増えつつあった中で、わんこがやって来たことでわんこのいるダイニングに自然と集まる子どもたち。
これまでは面倒を見る親と見られる子ども、という関係性だった我が家。
それが、わんこを中心にして「お世話する仲間」になっているような気がしています。
予期せぬ副産物ですが、兄弟喧嘩も「わんこがびっくりするから」という理由でかなり減りました。
わんこのおかげで、なんとなくみんながちょっとずつ優しく、そしてちょっとずつ繋がりが深まった、そんな感じがしています。
おわりに
文頭の友人の言葉の本当の意味するところは結局よくはわからないけれど、我が家なりの結論として「思春期の子がいる我が家にわんこが来てくれてよかった」と思っています。
子どもたちにとって「お世話するもの」となってくれたわんこ。
でも私にとってはなんとなく「子の思春期を一緒に並走してくれる仲間」が増えたような気がしています。
我が家に来てくれたわんこと、これからまたどんな風に並走していけるのか、ワクワクするスズコ42歳の秋です。