今日はお休みなのですが、ブログを書こうと思ってPCを立ち上げております。
なぜそんなことをしているか、というとですね、昨日Twitterに
「以前からブログを読んでいてなかなか更新されないなぁと心待ちにしていたのだけどTwitterをやっているのを知ってフォローしたらたくさんつぶやいていてうれしかった」
というリプライを頂いたのです。
私、なんでかわかんないけど自分のこのブログはTwitterありきという感覚がずっとあって。
確か元々はツイートを繋げる機能もなかったようないにしえに「脳内を垂れ流すようなことをいくつもツイートするくらいならまとめて書いた方が良かろう」と思って始めたんじゃなかったかと、まぁそんな発端だったからというのがあるからなんですが。
アフィリエイトを仕込んでいるといっても子供のお小遣いよりも少ないくらいの額だし、ツイッターで書いて済ませちゃってるなぁっていう感じもあって最近は本当に更新の頻度がガッタガタだったのですが、心待ちにしてくださっている方がいらっしゃるのだということを知って「スズコ、もうちょい頑張ります」な気持ちになっていたりする、そんな祝日の朝でございます。
さて、前置きはこのくらいにして。
今日は、昨日の夜私に起こったことを書いておこうかな〜と。
「夫くんのご飯はいいの?」
私もたまに母から「夫くんのご飯はいいの?」と聞かれる。「自分でお金を稼げる40過ぎだ成人なんだから自分でどうにかできますよ」と答えるときょとんとされる。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2020年11月20日
確か流れてきたツイートをRTしてのツイだったと思うのだけれど、RTが1000を超えていて、あぁみんな色々思うところあるツイートだよねえ、と思ったりしておりました。
私の母は70代で、保守的な父の家に嫁いできてすぐに父の祖母の介護をやらされたような人で、父は家事らしいことは何一つしない人です。
どっぷりその世界に浸っているので未だに父の食事から身の回りの世話は全部やっていますし、父もそれを当たり前と思っているような、そんな人たちです。
続くツイートでは父が自分でお弁当を買った話をしていて母の方がどっぷり浸かってる印象になってしまってますが、実際には父は台所に立つこともしませんし、その日はたまたま機嫌が良かっただけで、虫の居所が悪ければ母の用意した食事に手もつけずに帰るまで自室から出てこなかったりするような、そんな人ではあります。(だから母もやむを得ずそうしなければならなかった、という背景があったりもします)
そんな両親の元で育ったので私も結婚当初は夫の世話は私の仕事と思い込んでいた節があって、あの頃からちゃんと関係を整えとけば良かったな〜と後悔している部分もかなりあります。
夫、色々できるのに家事育児は私がやる前提になっちゃってる向きがかなりあるので。
それでも、やっぱり子供達を育てる中で私の負荷が増えすぎてキャパ超えてギャーーーってなるのを何度も何度も繰り返して、子の将来のためにもちゃんと意識改革をしていかねば、と数年かけて立て直しをしている、いまの我が家はそんな状況です。
「家でご飯食べるの?」というLINE
昨日、夫は午後から友人と遊ぶと言って出かけていました。
子供達も世話が必要な年頃ではないし別に彼が遊びに行くこと自体は何の問題もないのでどうぞどうぞ、ではあります。
困ったのは、夕方になっても帰ってもこないし音沙汰もなかったこと。
晩ごはんの準備をそろそろ始めようかと思っているのだけど、夫が食べるかどうかが気になります。
食べないなら夫の分を作らなくていいし、遅く帰って食べるつもりなら彼のぶんを残しておけるような献立にしておく方がいいし。
この時点で私、ちょっと怒ってました。
晩ごはんの用意のことを考えずに連絡もよこさない夫に。
イラっとしながら「家で晩ごはん食べる?」というLINEを一通、夫宛に送りましたがしばらく既読はつきません。
もう知らんわ、と思いながら、それでも「残しておけば帰ってから温め直して食べられるだろう」という献立を選んで、晩ごはんの用意をしました。
「連絡してくれないと困る!」…あれ?
ご飯を済ませ、残った分を保存容器に移して後片付けをしながら、私のイライラはさらに増していました。
「ご飯いるかいらんかわからんと困るって前から言ってるのに」
「帰ってきたら、ちゃんと連絡してってまた言わないと」
そう思いながら湯船につかったところで、フッと母のことを呟いたツイートのことが脳裏をよぎったんです。
あれ、それでいいのかな、って。
私はあのツイートの中で自分で、夫のことを
「成人なんだから自分でどうにかできる」
と評していたはずで。
だったら晩ごはん自分でどうにかしてもらったらよかったやん?
別に私がやってあげる前提で考えんでもよかったやん?
確かに連絡がつかずに食べるか食べないかわかんないのは困る。
でもいつまでも待たずに調理のタイムリミットがきたところで
「連絡つかないから食べない前提で用意するね」
と一言送って放棄してもいいやつだったんじゃないか、と思ったんですね。
掘り下げて考えてみえてきた、自分にかかっている呪い
高校生の息子が同じこと(連絡なしに晩ごはんの時間に帰ってこない)をやったらどうするかなぁ、って考えてみたんだけれど、やっぱり同じように「適当に食べてね」で終わるなぁ、と思ったりしました。
(そして多分彼は自分で適当に用意して食べるだろうし、過去にその経験もあるからかいるいらないはちゃんと連絡をくれる)
息子に対しては当たり前にそうするだろうことを、なぜ夫にはやろうとしてなかったんだろう。
母とのやりとりのツイートを思い出す。
これこそまさに、いまだに私にかかっている呪いみたいなもんなんじゃないか、と。
夫のご飯を私が用意する前提で考えてしまっていること、それを放棄してはいけないと思い込んでいること。
母と話しているときに「自分は脱した」という思い込みでつい話してしまうのだけれど、まだまだこうやって自分の中に根深く残っているものがあるんだなぁというのをまざまざと感じてしまい、ああああああと湯船に沈みたくなった、そんな夜でした。
おまけ
お風呂から上がって寝室に入る頃にふらっと帰ってきた夫。
「ご飯どうするかわかんなかったからLINE送ったよ」
と声をかけると「気づかなかった」とスマホを開いて慌てて確認してました。
ご飯あるの?と聞かれたから「残ったのは冷蔵庫にあるから食べたいならチンしなよ〜」と丸投げしてお布団にインしたのですが、どうやら自分で食べてたみたいです。
もし残ってなかったら「ないよ、適当に食べて」でいいんだろうし、それすらやりとりする必要もないのかもしれない。
自分でご飯を作ったり、あるものを温めて食べたり、カップ麺にお湯を入れたり、コンビニで買ってきたり、深夜営業のファミレスに行ったり。
その時点から夫に取れる選択肢はたくさんあって、どれも出来るし、どれを選んでも構わない。
いいオッサンになってる夫から、その選択肢を奪ってるのはむしろ私の方なのかもしれないんだよなぁ、と改めて考えたりした、そんなお話でした。