スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

育児のストレス、の一番て結局これじゃないか?と思ったこと。


少し前にTwitterで「育児の一番のストレスは自分の思うように時間が使えないこと、だれかの時間軸に合わせて動くこと」というのが回ってきたのを見て、そうだなぁ、それは確かにすごいストレスだよね、と思った。

でも、一番か?と考えたとき、それで爆発するほどではないなぁと私は思ったのですね。確かにすごいストレスなの。トイレも自分の都合では行けない。子供中心、子供の時間軸に合わせていろんなことをセッティングしたり、予定したことがスムーズにいかなかったり。

でも一番か、と言われたら、も~~ってはなるけど今までマックスに爆発したときの要因にだったかと思い返すとなんか違うなぁと。

 

で、今日この記事が回ってきたんですね。

育児には積極的なつもりだったが… 妻が家を出た理由 :日本経済新聞

まだ前編だけなのでこの記事の内容についてはいろいろ言えないのですが、これを読んでいて奥さんがなんで耐えられなくなったんだろ、と考えたんですね。

旦那さんは朝の子供の準備や保育園への送りはやっていた。早く帰れた日のお風呂を約束していたが仕事を終えての帰宅は21~22時くらいでなかなか出来なかった、週1日の飲み会(子供が生まれる前よりはかなり減らした、らしい)と月2日の週末の趣味のスポーツ、で「自分は積極的に育児に関わっていたつもりだった」のに奥さんが出て行った、という話らしい。

続きが気になるところではあるけど、これを読んでて、奥さんのフラストレーションの要因って「何をしてたのか」や「何をしてくれなかったのか」なのかなぁとふと思ったのですね。

朝のバタバタした時間に子供の用意をしてくれるのは、フォローがないお母さんからしたらすごい助かるサポートだよね。そして普段から帰宅が遅い旦那が飲んで帰ろうと月の土日のうち2日削れても事実上の育児は多分、何とでもなるんじゃないかなぁと。実際、そんな環境やもっとサポートのない所で育児してる人もたくさんいるわけで。

 

でも私が同じ状況だったら、やっぱり同じようにダンナに腹が立つだろうなと思う。酔って寝てるところを踏んづけたいと思うと思う。なんで腹立つのか、を悶々としながらブツブツ呟きながらフォロワーさんと話してたらふと気がついた。

 

そうか。どのくらいやってくれたかじゃないんだなぁ、どのくらいやらないかじゃない。

「私は自分の都合で動けないのに自由に予定を組んでいるダンナに腹が立つんだ!」

ということ。これは日頃私が夫に対して感じてるストレスそのものでもある。4人の子どもたちがいて働いてる私にとっては、自分が自由に出かけられる時間、というのはまずない。友達から「~日空いてる?」と聞かれても身ひとつで空いてる日なんてまずないから、ないとしか答えられない。その誘いに乗ろうと思ったら、子連れていけるか確認し、連れて行けなければ(もしくは連れて行きたくなければ)夫や実家や義理の実家等自分の代わりに子供の面倒を見てくれる人に打診せねばならない。

 

かたや夫は。

何かの誘いがあっても自分のスケジュールと照らし合わせるだけでOKが出せる。もちろん、休日なんかの家族の予定に支障が出るようなときは一応私に相談はしてくれるけど、それは自分が担当すべきことを肩代わりしていただけますか?というお願いではなくて、私は当たり前にいる前提で自分が抜けていい?っていう打診だと思う。

 

あぁ、そこだなぁと。腹がたつのはそこなんだなぁと思ったのでした。

そして、過去10年近い育児生活を振り返りながら、私が最も夫に対して腹が立ち、かつストレスの素になっているのは多分ここだな、と気づいたのでした。

子供と一日中家にいるとか、自分の行きたいタイミングでトイレに行けないとか、寝られないとか、ご飯がゆっくり食べられないとか、育児をする上でのストレスってたくさんあるんだけど、でもそれそのものから受け取っているというよりは、「そうじゃなく出来ている人がそこにいる」ことへの苛立ちの方が大きくないか?と思ったりしたのですね。

 

夫は夫で、たぶん独身の頃より遊びに行きたいのをかなりセーブしてるんだろうとは思う。飲みに出るのもかなり減ったし、子供の行事と重なって誘いを断るのも何度も見てきたし。だから、夫なりのストレスも我慢もしてるんだろうなとは思う。

ただ、私の目から見てその程度が自分よりずっと低い、それなのに我慢してるように言われたりして、楽してるように見えて腹立たしいんだなぁと。

 

ここまで来て、じゃあ夫に私と同じような子供に対する対応を受け持ってもらえばいいのか?と思ったんだけど、それは彼の仕事の仕方やつきあいの頻度から考えても難しい。常時任せる、ということはできないから、どうしても私が主になるしかない。

そして子どもたちが育って行くに従って今のように子守メインの育児ではなくなっていってるから、子守要員がもっと必要かというとそうでもない。事実、最近上の子たちが小学生になってからは休日は家族で過ごすより学校や幼稚園行事やスポーツの試合等々子供の行事で埋まることが多いから、家にいて子守り、という頻度はかなり減ってきてる。

 

結局、夫にこのストレスの素について知ってて欲しいのだな、というのがまず一つ。

そして、それを知ってもらった上で「あの人には無理なことを求めてるんだよ」ってことを私がちゃんと理解することなんじゃないか、と思った。夫が私から見て自由に予定を組めているように見えることは、あくまでも結果なんだよね。彼がそうしたいと思ってやってるわけではなくて。

 

冷静に考えたら無理なことを相手に求めてるからいらってきちゃう。これって八つ当たりと同じだなぁと。

長男次男が年子で生まれて一番しんどかった頃に近所にいる義理の姉がすごく羨ましかった時期があって、同居の親に育児をたくさん手伝ってもらって、家事も母が大半をになってて、つわりでしんどいからって一日中育児も家事も放棄して寝てても母が何とかしてくれてて、本当に羨ましくて、一番しんどい頃は妬ましくて姿を見るのも辛かった。彼女は何も悪くないのに。あぁ、あの時の妬みに近い感情なのかもしれないなと、そんなことも考えた。

 

同じように、旦那さんの仕事や資質やいろんな事情はおいてけぼりで、周りと比べてやってないように見えたり、自分のしんどい気持ちが先走っちゃって無理な理想を掲げて余計にしんどくなってたりするママさんもいるんじゃないかなぁ、と思ったりする。

あぁ、これ、前に書いた オットという他人に抱く幻想 - スズコ、考える。 にも繋がるね。

 

イクメンブームや周りの「育児してそうな旦那さん」と比べたり、自分の中の理想に囚われたりして、結果的に目の前の夫そのものを見ずにストレスを感じてしまう、というケースは結構多いんじゃないかと思う。

もちろん、そういうのを感じさせない立派な旦那さんを見つける、というのがベストなのかもしれないし、そうしなかった自分が悪いという話なのかもしれない。でもさ、もう結婚しちゃったんだもん、子どもいるんだもん、いわゆる勝ち組のみなさんの分岐点だった「選ぶ」ところにはもう戻れない。

だったら、今の環境からお互いのベストを見つけながら、子供にとって居心地のいい家にしていくしかないんだよね。私一人が頑張ればいい、私が我慢すればいい、じゃなくて、私が考え方を変えたら楽になるかも、という感じ。

 

そして、それに呼応して夫が少しずつ変わっていくのも、また見ていて面白いものでもあるのです、いひひ。

 

でもそんなに簡単に割り切れない!ってときはこちらをどうぞ。


うちの「前向きな家庭内別居宣言(期限付)」 - スズコ、考える。

スポンサードリンク