スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

育児のストレスのお話の、続きを書いてみました。


前回の記事がなんだかすごいブクマ数とアクセス数になっておりまして、次を書くハードルが自分の中で勝手にすごく高くなってるような気がしないでもないのですが、まぁそういうので気負うとロクなことがないので平常運転でなんとなく思うことを徒然と書こうと思います。

 

今日は、前回の記事の反響として「じゃあ夫はどうすればいいの?」という声がちらほらと見られたのでそれについて考えることを書きます。

 

私の記事を含むいくつかの記事について書いてくださった、ほう太パパさんのブログ。

じゃあ、ぼくら夫はどうりゃいいの?育児と言うより妻に苦悩する日々。 - ほう太パパの七転び八起き

 

これを読んで、私は「ここに真理が書かれているかもしれない」とブクマ&ツイートしました。

真理ってなんだ?というのを記事にしたかったのだけど、バタバタ忙しくて今日まで持ち越してしまった感じです。

 

この記事には、ものすごく正直なパパの気持ちが書かれているなと思いました。奥さんの気配で機嫌を察し、妻の求める「共感」のために改善策を言えないまま愚痴を聞くという苦行に耐え、罵られながら過ごしていたらある日、妻はヨガに出かけるようになり少しずつ良い方へ変わっていく。

 

あぁ、結局そうなんだよね、と私は思ってしまったのです。

妻は共感を求めている。自分がどんなふうにいま辛いかを知ってほしい。どんな大変さを抱えているかわかっていて欲しい。具体的なアドバイスが欲しいのではなく、ただ溜め込んだものを吐き出して、それを受け止めて欲しい。

夫はそれに答えたいと思っている。

ママピのこの記事、

がんばる夫たち ~その育児は「妻」のため?~ : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

のように、妻の気持ちに答えようと真面目にタスクをこなそうとする姿や、ほう太パパさんのように苦悶する姿、でもそうやってタスクをこなしても、苦行に耐えても、妻は「もう帰ってきたの?」「ちょっと聞いてるの?」とまくし立てているのかもしれない。

なんで妻がそんなに大きく出るのかって考えたとき、心の底には「私がこんなに辛い思いをしてるんだからそのくらい言ったって求めたっていいはず」という奢りがそこにあるんじゃないかなぁ。これ、私も自覚があるのです。疲れて寝ている夫に対して「私はろくに寝ることもできないんだから私の方が大変なはず!だから私のいいなりになってよ!」って。

 

でも、妻がそんな状態になってる時、夫が何をしても何を頑張っても、結局解決はないんじゃないかなぁ、と私は思っちゃったのです。

ブコメの中にもあった、女性はマイナス評価をする、という説。うん、まさしくそうだなぁと。何をやってくれたか、が評価対象ではなくて、自分が出来ないことを出来ているという、そのポイントだけで相手の方が楽だと思ってしまう。

 

この心理ね、歌手の綾戸智恵さんが介護中に感じたことを話しておられたのと同じだと思ったんです。

綾戸さんが、お母様の介護中、髪を洗ったりセットしたりする時間もなかったから短く刈り込んでいた時期があったと。介護に翻弄されて精神的にまいっていた時期、街を歩く、髪が短くない女性を見るたびに「あの人は介護をしてないんだろうな」と妬ましく思えたと、何かの番組で話しておられました。

 

夫婦関係に悩んでいる人は仲良く歩く夫婦が妬ましく見えるのかもしれない。子供に恵まれず苦しむ方が子連れ母子や子供の写真入り年賀状を見るのが辛いと話しているのを見聞きしたこともあります。

同じように、育児中精神的にしんどくなった母親たちは子供を連れた優しそうなパパの姿を見て妬ましくなったり、ゆっくり寝ているように見える夫に無性に腹が立ったりしてしまうのかなと思う。

これは、女は嫉妬深いとか妬みやすいとか、そういうのではなくて、何かの事情で精神的に追い詰められてしまうと誰でも陥ることなんじゃないかな、と私は思います。

 

じゃあどうやったら解決するんだろう、ということへのアンサーとして、ほう太パパさんの記事にその答えの一つがあります。

それは、奥さんがヨガに出かけるようになった、ということ。

え?と思うかもしれないけど、結局解決への糸口は夫婦間の共感でも話し合いでもなく、こういうとこなんじゃないかな、と思ったりする。

外に出たり、友だちと会う機会が増えたり、ネット上で吐き出せる場が出来たり、子どもたちが大きくなって物理的に楽になっていったり、そういう転機が訪れることで変わっていくのかもしれないなぁと。

乳飲み子抱えて家庭という深い井戸の底にいるあいだは、いつまでもその暗闇から抜け出せないようで辛いのかもしれない。そんなときに旦那さんにできるのは、ときに愚痴を聞きながら、求められたフォローをできる範囲で対応しながら、奥さんがその井戸から自力で這い出していく日を気長に待つことなのかもしれない。

いやそもそもね、僕たちはどうしたらいいの?って思える旦那さんってもう出来ることをしてる人なんじゃないかと思うんですよ。ダメ亭主はそんなこと、多分考えもしないから。それにね、ほう太パパさんのブログを読んで私が思ったんですよ。こんなピリピリした家でいいのかな?って。安らげないでしょ?お互いに。 

 

妻として女として、じゃなくて、家族の構成員として、家を家族の居心地の悪いところにするのは良くないと私は思うのです。自分がそうしてしまって、夫と子どもたちに当たり散らしていた時期があったからこそ思うのです。うちの旦那さんはどうしたらいいのとか悩まずこんな家やだって帰ってこなかったですけどね、仕事忙しいとか色々理由つけて。素直な人です、泣けるほどに。

 

だから、妻の側も夫をサンドバッグにするのではなく自力で井戸から這い出すことを考えなきゃいけないんじゃないかな、と思う。

私の経験上、上に書いたように自分以外の誰かがひどく妬ましくなったときは精神的な赤信号が点滅してる時だと思う。もしそうなってしまったら、その時は非常事態だと思った方がいい。育児を担うのは自分と父親である夫、というのは理想だと思うけど、非常事態にそんなことは言ってられない。夫がすぐに応じられないなら、実家でも友だちでも公的な機関でもいいから、自分が楽になる方法をすぐにとったほうがいい。その時に「母親なんだから甘えるな」「まず父親がしっかりしないと」なんて声はスルーして、とにかくほかへ助けを求めたほうがいい。

旦那さんの方も、もし奥さんがそうなってたら危険信号だということをわかってもらえるといいな、と思うです。

 

私は妻として、ずっと焦っていたような気がする。あそこの旦那さんはこんなことをしてくれているのです。ネット上で見た~~さんの旦那さんはここまで分担してくれている。でもうちの夫は…と。

理想的なイクメンに自然となってくれる夫を選ばなかった自分の点数が下がってしまうような、悪い評価をもらっているような、そんなバツの悪さをずっと感じていたような気がしていました。その心理は、前回の記事の勝ち組という表現に現れていたなぁと振り返って思ったりするのです。

その引け目が、もっとしてくれるはず、もっと誇れる父親になってくれるはずなのに、という夫への苛立ちになっていたような気がします。

 

でも冷静に考えたら、そんな馬鹿な話ないなぁと思うのです。

子どもたちへの評価が母親への評価ではないように、夫がどうなのかもまた、私への評価とは違うんだよね。そして、夫を誰かと比べて採点している人なんて誰もいないのに、自分が勝手に悪いように評価して腹を立ててた。

 

私の家庭が、家事育児負担が夫婦間で平等にわけられていて、お互いが空気を読んで自然に家事育児をフォローし合うという、理想的な教科書通りの家庭になる必要なんてないんだよなぁと思うのです。

私という個人と、夫という個人と、そしてその子どもたちと、その一人ひとりがみんなで幸せなら、私の家の中が幸せなら、誰が何をどのくらい負担するかなんてどうだっていいんじゃないかなぁと思うのです。

両親の負担がフェアじゃないと子供に影響が、という方もいるかもしれない。そうかもしれないけど、でも不満を抱き合ってるのも良くないと思う。

家の中が先進的な模範的な理想的な家庭になることは子どもたちの将来のためにメリットもあると思うけど、そこに囚われて今ここが平穏な場所でなくなってしまったら、基盤からダメになってしまうと思うのです。

 

ネットでいろんな情報が得られるようになって、それまでテレビや雑誌で芸能人の私生活とかを見る程度だった「理想的な家庭像」が、もっと身近に手に入るようになった。Twitterでも日々、うちの夫は…ってツイートがちらほら。イクメンパパさんたちの日常もFBに日々アップされ、ライターさんの書くコラムやブログの中には理想的な家事育児分担家庭が描かれている。

そういうのを見ながら、自分の家と比べるなという方が無理なんだよね。どうしても流されそうになっちゃう。

でも、それはやっぱり幻想だと思うの。断片から勝手に理想像を作り上げてるだけで、その家庭それぞれの環境や条件や性格や事情や、そういうのは全然違う。

 

これは子どもそれぞれに対する育児の姿勢でも言えることなんだけど、周りと比べたり知識が増えて頭でっかちになるとどうしても理想像と現実のギャップに押しつぶされそうになって苦しくなったりする。それで「なんでできないの!」って子どもに対する苛立ちが出てしまったり。

 

でも、今この状況で暮らしている夫、今この状況で生まれてきた子どもたち、今の私、その、今ここ、今この人たち、をちゃんと見ないといけないんじゃないかなぁと思う。

 

オットという他人に抱く幻想 - スズコ、考える。で書いたこと、そのまんまの結論に至っちゃった感じだなぁ。

でもこれ、大事なことだからたびたび思い出して、日常的に意識しといたほうがいいんじゃないかな、と私は自分への反省を込めてそう思います。夫婦お互いに。

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