アホ息子たちの経験から得る知識について書いた前回の記事をなんとなく読み返しながら、ふと気がつきました。
オレオレ詐欺に引っかかる高齢者も同じなんだろうなと。
ニュースではたびたび言われてる、新聞にも書いてある、ATMに行けば回りにはポスターがたくさん貼ってある。
知識としては、そういうことが起こることも知っている。どういうふうに持ちかけられるかも、どんな被害にあった人がいるのかも知っている。
でも、それがわが身に降りかかるとは思ってない、から実際に降りかかったらまんまとだまされてしまう人もいる。
同じ構図だなぁと。
それは、高齢者って子どもみたいに馬鹿よね、って話ではなくて、結局はみんなそうなのかな、と思ったのです。
私自身、最初の妊娠がわかってから生まれるまでの長い間、いろんな知識をつけていたつもりでした。でも実際にうまれてみたら、目の前のその赤ん坊に翻弄される毎日、本やネットで得た知識は多少の助けにはなったものの、私の大変さをカバーできるほどのものではなく手探りの日々でした。
人はいつか老いていくことも、年寄りがどんな病気になっていくのかも、田舎で生まれ育った私は良く知っているはずでした。癌も認知症も脳梗塞で倒れる人も間近で見ていたので、どんなものか分かっていると思っていました。
でも実際に自分の親が倒れたと聞いたとき、救急搬送されたとき、動揺して何も出来なかった自分がそこにいた。
育児経験が無くベビーカー連れを叩く人、介護経験が無く高齢者を叩く人、ネットでたくさんそういう人を見る。本人達に叩いている意識はたぶん無い。努力すれば配慮すればいいだけのことをなぜしない?と思っているだけだと思う。
その人たちもきっと、妊娠期間が約10ヶ月で、陣痛がきて子どもが生まれること、帝王切開というので生まれる人もいること、生まれた子は母乳かミルクかを飲むこと、はいはいしたり歩くようになったりすること、は知識としては知っていると思う。
年齢が上がっていくと体のあちこちにガタが来ること、高血圧や糖尿や癌などがよく見られること、それぞれがだいたいどんな症状であるかということ、だいたいの寿命、そんなことは知識としては知ってるだろうと思う。
でも。
その知識をたとえどれだけ持っていても、自分が育児を経験してみなくては、自分が介護を経験してみなくては、自分が老いを経験してみなくては、その人たちがどんな困難を抱えているかは絶対に分からない。
分からないから言うな、ではなく、絶対に分からないということを未経験者は知らねばならぬと私は思う。
分からない、だからこそ、これくらい出来るだろう、これくらいすべきだろうという判断やその押し付けは社会的弱者に対してしないようにしたいと思う。
都心部のベビーカー論争については、弱者が配慮せねば改善しないという環境にもう限界が来ていると思っているけどそれはまた長くなるので置いとく。
私は、いろんな経験をしてきた。
でも父親になったことはないし、息子になったこともない。
女の子だけの母親になったこともないし、ひとりっこの親になったこともない。(正確には1年8ヶ月だけそうではあったが長じたひとりっこの親ではないので違うと思う)
老いたことも、うつ病になったことも、足の骨を折ったことも、癌になったこともない。
わからないことだらけだ、という自分を改めて見つめなおしながら、2013年のブログを終わります。
よいお年を。スズコ。