スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

なんで4人産めたのか考えてみた。


新年あけましておめでとうございます。

相変わらず騒がしい我が家、仕事始めとともにPCに触る暮らしに戻ったので、新年最初のエントリーを書こうと思います。

 

飛行機だか新幹線だかの中での舌打ち案件が炎上して騒がしいご様子ですが、私はどっちもどっちだと思うのでおいといて、昨日目にしたさっこさんのエントリー

妊娠・出産・育児という地獄 - 仕事は母ちゃん

を読んで思ったことを書いてみようと思います。

 

私も4児の母です。

やーもう分かるわぁ、うんうんそうだわぁ、と首がもげるほとうなづきながら読み進めておりました。妊娠中のしんどさ、産後の寝られない日々、子どもの体調不良、発達の問題や交友関係、進学、乳児期から長子小学生の今に至るまで、いろんな問題が起こっては通り過ぎまた違う問題が沸き起こり、これは一体いつまで続くんだろうかと思うこともしばしば。

 

上記のブログではなぜ子どもを4人もったのか、ということの答えとして、ご主人への信頼のたまものだとして締めくくられていました。

それを読んで、私はなんで4人産んだんだろう、とふと思い、夜中起きた三男坊を抱っこしてごろごろしながら、お布団の中で考えてみました。

 

うつらうつら考えながら、子どもを持ちたいと思う気持ちと、実際に子どもを産んで育てられるから産もうと思う気持ちとはぜんぜん別次元なんじゃないかと思うに至りました。

 

私は、兄とかなり年が離れているので一人っ子同然で育ちました。高齢の両親は自営の仕事が忙しく、またちょうど祖父母の介護も重なり、小学生の頃を思い出すと家にぽつんと一人、なんてざらだった記憶があります。実際には両親や兄たちと過ごした時間もかなりあったんだと思うけど、とにかく寂しかった、という記憶がかなり強く刷り込まれているように思います。

そしてそれは、兄弟姉妹のいる友人や親戚への羨望にもなりました。

年の近いお姉ちゃんと同じ部屋で寝てる親友がうらやましかった、寝るとき寂しくないんだろうなぁって。友人からしたら一人で部屋を使っている私のほうがきっとずっとうらやましかったのかもしれないのになぁと今になっては思うのですが。

 

寂しかった小さい頃、私はいつか家族を持ったら子どもを出来るだけたくさん、と思うようになっていました。

 

そして夫と知り合って結婚するに至って、周到な計画というのは特に無く出来たら産もうと思って4人目まで生むに至りました。色々考えてこれ以上は無理だなぁと思うのだけど、じゃあなんでここまで産めたのかな、というとそれは私の寂しかった幼少期のトラウマとか、子どもが欲しいと思う気持ちとか、そういう理由ではなくて、いろんな好条件が重なった結果だと思う。

 

私はたまたま安産が続いて妊娠やお産そのものに対してネガティブな記憶はあまりあありません。4人それぞれ分娩時間はそう長くなく、次の日にはしゃきしゃき起きて歩き回っていたほど。痛かった記憶はあるけど、だからもう二度と妊娠したくない、お産したくないとは思わない。むしろもっかいやってもいいなぁと思うくらい。

ものすごい難産だった友人はもう思い出したくないと涙を見せたりもするくらい、人によってはトラウマの残る可能性のあるお産を、4度もそうおおきなトラブルもなく乗り越えられたというのはものすごい幸運だったと思う。

 

それから、たまたま上3人がそれほどのハンディをおっていなかったということ。

上の子たちに手がかかるから、という理由無く次の子をと考えたのではないかと振り返って思います。これに関しては4人目の子がマルチアレルギーを持っていて医大病院への入院をしていたり現在も遠方への通院をしているので、そのリスクが5人目を考えない要因の一つにもなってはいます。

 

そして、年子男児2人、続いての娘と三男、4人の乳幼児期の、寝られない気が狂いそうな時期を何とか乗り越えられるだけの健康な体と周りのフォローがあったこと。

その間自分がおおきな病気をすることもなくすごせたことは幸運としかいえません。

 

フォロー体制については、夫は自営だし時間も不規則だしもともとイクメン向きな人ではないしで私の負担を全面的にバックアップしてくれる存在ではありませんが、近くにある双方の実家のそれぞれの家族たちや親戚のおばちゃんたち、近所のおじちゃんおばちゃん、幼稚園や学校の先生方、たくさんの人たちが私の育児をときに優しくときに厳しくサポートしてくれたので楽ではなかったけどまぁ何とかなってきました。

 

もう一つかなりおおきな要因といえること、それは、私が公共の場で子連れで嫌な思いをしたことが極端に少ないから。

これは地方在住だからというのもおおきな要因なのですが、子供達が大騒ぎしても泣き叫んでも、近所のおじいちゃんおばあちゃんたちはほほえましく見守ってくれたり、スーパーの店員さんたちや他のお客さんも優しく接してくれたり、子供達を邪険に扱われたり邪魔にされたり舌打ちされたりすることはほとんど無く周囲の人たちに接してもらってきました。

車移動が基本の地域なので混んだ電車に乗ることもないし、長時間飛行機に乗せたことも無いし、街といっても子連れでは博多くらいまでしか連れて行ったことはないので経験したことがないのだろうと思いますが、泣く子を抱えていたたまれなくなってその場を逃げ出す、などの経験がないので、子供がいるということに対するネガティブなイメージが薄いのかもしれません。

 

また、子供がいることで仕事へのマイナス要素がないこと、保育園や幼稚園に入れないというような不安要素が無いこと、等も次の子を産むための敷居をあげなかった要因ではないかと思います。

 

書き並べてみると、本当にいろんな要素がそろっていたのだなぁと、自分の幸運さや周りの人たちのフォローのありがたさを痛感します。そして逆に言えば、この中のどれか一つでも欠けていたら、私は4人も産めなかったのではないかと思います。1人も産めなかったかもしれない。

 

少子化だから、いろんな人たちがいろんな目線で子供を増やすための方法について考えているのを見聞きすることがよくあります。

でもそのどれもが、その人が経験してきたことから抽出されたことで、パターン化するのってすごく難しいんじゃないかなと私は思います。だってここに書き並べたような要素をじゃあ揃えたらみんな4人も5人も産めますか?って言われたらたぶんそうじゃないと思う。潜んでいる別の要素が邪魔をすることも後押しすることもあると思う。個々のケースでぜんぜん違う。

 

お父さんがもっと家にいられるようになるならもっと子供を、と思う人もいると思う。でも都心部の男性サラリーマンがみんな残業がなくなったら少子化じゃなくなるか、国が補助金をたくさん出したら、子沢山家庭が免税対象になったら……いろんな要素が考えられるけど、私は、これ、って答えはないと思う。

残業が無くなって早く退社してまっすぐ家に向かって家事育児するパパばかりではないと思うし、それを望むママばかりでもないと思う。免税で助かる人もいると思うし、児童手当も我が家ではとてもありがたく頂いてるわけで、意味ないわけじゃないと思うし。

 

パターン化して語ることはすごく難しいんだけど、でも少なくともいえることは、免税とか補助金とかそういう国ができることじゃなくても、周りにいる子供連れの人が少しでも嫌な気持ちにならないように配慮するだけで少子化を打開する一つのアクションになるのかもしれないよ、ってこと。

公共の乗り物の中で子供の泣き声でいらっとして舌打ちしたくなる日もあると思う。でもそのときに少しだけお母さんを、お父さんを、泣いてるその子を、責めずにいることもまた、社会的な一つの活動なのかもしれないなぁと。あやしてもあやしても泣き止まない子を抱えて追い詰められた親御さんが、責められず暖かく接してもらったその一つの経験が、育児を少し楽にするかもしれない。次またもう一人と思うことにつながるかもしれない。それはもしかしたら、お金も使わないで出来るものすごい社会貢献なのかもしれないと思う。

いや、一方的に非子連れが我慢すべしとは思わないよ、子供の泣き声を不快に思う人のほうが多いと思うし。そこは、お互いが過去も将来も含めて迷惑をかけあうかもしれない存在として配慮しあうしかないとは思う。

 

舌打ちを我慢して見守ったその赤ちゃんが、その子の弟や妹が、将来自分や自分の大切な人を助ける一人になるのかもしれないし、と思ったりするのでした。

 

2014.01.07 追記。

夜中に見ていたテレビ番組の中で、不妊治療をした末に妊娠された方を拝見し、この悩みもまた私には無かったものだと気がつきました。妊娠することのハードルがなかったことも、私の産めた理由の一つに加えておこうと思います。

 

 

改めて、本当に偶然の連続なんだなぁと。

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