スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

役員やってるけど目立つのが好きなわけでも得意なわけでもないよ。


noteにも記事

役員仕事を楽にしたい。 | イシゲスズコ | note

を書きましたが、私は4人の子供たちの関係であちこちの役員を夫婦それぞれ毎年いくつかずつ請け負っています。それぞれの経緯はそれぞれ自ら手を挙げたり頼まれてやむを得ず引き受けたり色々です。

 

年度末~ここしばらく、twitterのTLにも役員関連の話題がちらほら。

最近そういう関係の方のフォローが増えたからかもしれませんが、以前からお付き合いのあるうちの子たちと同年代のパパママさんたちも入園や入学を経てかかわりを持つ機会が出ての声も多くなってきました。

 

このあいだ、入学を控えたママ友と話しているときに学校の役員の話になって。

そのときに「私は目立つのとか苦手だから無理!」と断言されてしまってなんかそこから言葉に詰まってしまいました。目立つの得意だからやってるわけじゃないのになぁ…と。

 

実際、引き受けている役割によっても違いは有りますが役員の仕事は人前に立つことではなくて、地味な事務仕事だったり、会議への出席だったりが主です。人前に立つというのもPTAの本部役員とかなにかの会長や部長とか、それなりに重要な役職に就いたときくらいで、実際には前に立って話す機会のない役員もたくさんあります。

 

でも、内情を知らなかったら役員と聞くと目立つことをしなくちゃいけない、と思わず思う方も多いのかもしれないな、と思いました。

 

そんな話しを、うちの子とは別の小学校に子供が通っている友人と話していたとき。

彼女はPTAの執行部役員をやっているのだけど、その話しの中で私がぽろっと「目立つのが好きとか思われてるのかなぁ、やだね」と言ったら彼女は突然ポロポロと涙をこぼし始めました。

子供のためと思って引き受けてやるからには頑張ろうと思っていたけど、そんな彼女のことを陰で「目立つのが好きだからあぁいうのやれるんだよね」と言っている人がいる、と。

 

なんかね、むなしいなぁと思っちゃったのです。

 子供のためと思ってやってること、ボランティアだからと参加してること、その役割の中にたまたま表舞台に立つことがたまにあるという、それだけで「そういうの好きなんでしょ」って陰で言われてしまうこと。

実際に、承認されたい欲求というのかな、長という立場にたってちやほやされたいから引き受けてる人がゼロではないと思う。でも少なくとも私の周りの、保護者がやる役員の役割ってそんなにちやほやもされないし、社会的な地位に繋がるわけでもない。

うちの地域では一昔前はPTA会長というと地域の名士がなってた時期もあったらしいけど、今はそんなの関係なく、時間の融通が利いてできる人がやる雑用係という側面が大きいと思う。実際の仕事内容も、保護者との立ち位置も。

 

そんな雑用係を引き受けて、その大変さの中にそれなりの楽しみとか自分なりの成果を得て前向きに頑張ってるだけなのになぁ。

 

私は、前のエントリ

できる人が、できることを、できるだけ。 - スズコ、考える。

でも書いたけど、役員に限らずいろんなことはやりたい人やれる人がやればいいし、やりたくない人やれない人はやらなくて良いと思ってる。

上のエントリは育児にかかわる内容が多いけど、ボランティアとか地域の活動とかも根本は同じだと思う。それで回らないなら、それはその組織に問題があるのであって、やれない人を引きずり出すのではなくてシステムを見直す必要があると思ってる。

 

役員の仕事も、目立つのが嫌だという人、人前に立つのが苦手な人ができる仕事も見直せばたくさんあると思うし、知らないだけのことも多いと思う。

 

実際、最初に私に「目立つのが嫌だからやりたくない」と言っていたママさんにうちの小学校の役員の仕事の詳細を話したら「それならできる」と理解してくれて、入学式の役員決めのときに手を挙げてました。

 

もし現状で、目立つところに出る役しか無いという学校や園があるなら、仕事内容を見直してみると良いと思う。細分化して手分けすれば、それぞれの環境や事情や性格に合わせた役割分担にすることはそう難しくないんじゃないかな。

各役員の負担をなるべく同じにしてしまうことは私は反対。個々人の能力もそのときの環境も違うから、負担が違うものが存在していいと思う。ただこれは、また別のボランティアと言うものに対する意識付けが必要だけどそれを話し始めると長くなるからまた次回。

 

さいごに。

 

やっている人が「やってやってる」と奢ることも、やってない人が「あの人はやりたいからやってるんだ」と揶揄することも、どっちも本質が見えてないんだろうなと思う。

 

PTA、何のための組織ですか、と改めて思う。

保護者と園や学校がかかわるための組織、その中心で、その人たちが活動するのは何のため、誰のためですか?と。

 

全部、こどもたちのためだよね。わが子だけじゃない、その学校や園に属する子どもたち全体へのボランティア。その、一番大事なことが抜け落ちたまま、役員になることとかPTAの存在意義とかが議論されてるような気がしてならないというのが本音です。

焦点をこどものため、ということに絞れば無駄はもっと省けるんじゃないかなと私は思います。

 

こどもたちの環境を少しでも良いものにするため

 

ここを見失わないようにすれば、慣例に縛られたり、ボランティアという意識からかけ離れた規律が無理やり作られていたり、1人1役に無理やり当てはめて不協和音が響き渡ったりすることなく、PTAという組織そのものの現状はもっと良くなっていくのではないかな、とぼんやり考えたりしています。

 

追記。そんなエントリを書いてたらひこさんがこんなずばりなツイートをされてたので引用。

 

ほんとそうなのです。嫌いじゃないからやってもいいよ、引き受けるよ、というのと、好きだからやってる、の間にはものすごい隔たりがあって、後者より前者のほうが圧倒的に多い。

けっきょくやりたくてやってるんでしょ、じゃないの。前者は、やれるから引き受けてる、なんだけど、この違い、なかなか説明するの難しい。

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