GWの最終日、まだ朝早い時間に近所の公園に行くときのこと。
3歳の三男が三輪車に乗って行きたいといいました。
公園はすぐ近く、まだ車や人の通りも少ない時間帯なので、本人の希望通り三輪車を漕がせて、すぐ側をついて歩いて公園へ向かっていました。
次男と娘は先に走って公園へ。長男と私が三男の前後を彼が一生懸命三輪車を漕ぐスピードに合わせながら進んでいました。
公園までの一本道は少し上り坂になっていて、小さな三輪車を漕ぐ三男は直進が精一杯の状況で、少し先で立ち話をしているおばちゃんが2人。
このまま行くと三男のルートとぶつかるなぁ、彼はうまく避けられるかな、漕ぐのをやめて降りて押していくかな、私は三男がその立っている2人をどうやって避けるのか、いくつかの選択肢を想像しながら様子を見ていました。
必死に漕ぐ三男が、ふと顔を上げ、その2人に気づきました。
そのとき
「とおりま~~~す!よけてくださ~~~い!!」
と彼は大きな声で叫んだんですね。
私は一瞬、え??って目が点に。
前を歩いていた長男もビックリして立ち止まり、後ろを振り向きました。
三男はニコニコ笑いながら「よけてください~~~」とペダルを漕いでる。
おしゃべりしていたおばちゃんたちはその声にクスクス笑いながら
「あらあらごめんね~はい、よけたよ~がんばって~」と見守ってくれました。
おばちゃんたちの側を「ありがとう~~」と笑って通り過ぎる三男を見ながら、私と長男はあっけにとられて漫画みたいに口をポカンと開けていたんじゃないかと思うほど。
それから長男がぷっと吹き出して「よけてくださいとか普通言うか!」と爆笑していました。
うんうん、君には先ず出てこない発想だよね、とその様子を眺めながら思いました。
私も先ず出来ない。自分がどんなに大変な状況で歩いていたとしても、自分が避けることしか思い浮かばなかったと思うし、これまで子ども達にも、先回りして避ける選択肢を取るよう促してきたと思う。
でも三男は、自分が曲がれなさそうだと思ったとき、そこにいた動けそうな人に「避けてください」とお願いし、快く避けてくれたその人に笑顔でお礼を言った。
すごいなぁ、と、たった3年しか生きてない小さい人に感心してしまった、人間歴36年の私。
先日のエントリ、「甘える練習」 ~長男に教わったこと。 - スズコ、考える。の中で、長男により甘やかされている(長男曰く「甘える練習をさせている」)三男坊。
僕は困ってるんだ、と思ったときに素直に人にそれを告げて甘えさせてもらった。
彼はいまの段階で、私や長男がなかなか出来てない、自分が困ったら人に甘えることがもう出来ているのだな、と改めて感じました。
でもこれが助長されて、自分の力で出来ることも周りになんでも頼るようになっちゃうと良くないよね、それはただのわがままな困ったちゃんだよね、と思うわけです。
私は大人だから、これはいま自分の力ではちょっと無理があることだ、これはいま抱え込んでしまったら周りに迷惑を広げてしまうことだ、と頭で考えて、じゃあここは頼ろう、ここは自分で頑張ろう、というのを筋道を立てて考えているんですね。
それは私が甘え下手で周りに迷惑をかけてきてしまったから、そうやって理論的に考えて整理しないとうまく人を頼れないから、という理由もあるのだけど。
じゃあいま、とりあえず困ったら誰かに甘えるということを知っている三男が、なんでも人に頼っちゃうダメ人間にならないためにはどうしたら良いんだろう、その境界線はどこにあるんだろう、と、そんなことを考えています。
私や長男が甘えることが下手でいまそれを少しずつ練習しているように、三男はどこまで甘えて良いのかをこれからいろんな人と接する中で学んでいくのかもしれないなぁ。
その経過をこれからゆっくり観察しながら、また新しい発見があるのかもとわくわくしたりしています。面白い発見があったら、また報告しますね。