スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「耐えて笑う素敵な母親の私」に溺れない、溺れさせないために。


昨日のエントリ

はてなブックマーク - 「かあちゃんは、笑え」 - スズコ、考える。

を書いてから、色々また考えていて、やはりここを補足しとかないといかんと思うので珍しく続けてのエントリを書こうと思いました。(仕事がちょっと暇だからでもあるけど)

 

昨日のエントリで、私は母ちゃんは笑え、と書きました。

辛くても苦しくても、子どもの前では笑わないかんと書きました。

 

それは、子どものことを考えた視点から。

母親のヒステリーに晒されることで子どもの心が傷つくことを避けたいから。

 

でも。

母親たるものいかなる環境にも甘えずに耐えて笑顔を見せよ、という話ではないんですね。

そう受け取られたら嫌だなぁ、それはちょっとなぁという気持ちでこの補足エントリを書き始めました。

 

耐える母、というと、貧乏や夫の横暴や舅姑のいじめに耐えながらそれでも涙をぬぐい子の前で笑顔を見せ、自分は腹をすかせながら子どもたちに食事を出し自分は台所で芋のしっぽをかじる、そんな戦前戦中の耐え忍ぶ母親像が浮かぶかもしれない。いやそこまで古臭くなくても、耐える母=美徳、というイメージで捉えられてしまうといかんなと。

 

笑うかあちゃんは、美徳ではないんですよ。

もしこれを美徳だと自分がとらえてしまったら、耐えて笑う私が素敵、というナルシシズムの餌食になってしまう。耐えて笑う私、が私そのもの、になってしまう。

そして、最終的には「子どもたちのために耐えて笑う私」が自分の生きがいになって、巣立っていこうとする子どもたちが離れていくこと(=耐えて笑う私が持続できない)に耐えられなくなるかもしれない。

 

そして、周囲がそれを美徳だととらえてしまったら、耐えていることを評価すれば良いということになってしまう。母親(を含む主な養育者)が感じているストレス要因を極力減らすための手助けの必要がないと判断されてしまう。

 

それではいかんのです。

 

子離れまでの時期には、子どもは十分甘えないといけない。そのために母親がぶれないことが必要だから、だからまずはストレスの要因を極力減らすことが必要。

そのためにはパートナーとの話し合いや家事育児の外注や…色んな手段があります。それはいろんな人が書いている、いろんな雑誌に載っている、ありふれたことだからあえて私は大きく書かないだけです。

 

でも、そのステップを経ても自分の思うような解決に至らないことはある。

どんな手段を使ってもイライラの元がなくならないことだってあると思うのです。

いや、そっちのほうが多いかもしれない。

 

そこらへんのことは過去のエントリ

育児のストレス、の一番て結局これじゃないか?と思ったこと。 - スズコ、考える。

とか

育児中に感じる、寝ている夫への殺意とその対処法。 - スズコ、考える。

夫にストレスを感じている、同志の皆さまへ。 - スズコ、考える。

「嫌なのは誰か」 ~自分が感じるストレスを減らすために - スズコ、考える。

あたりで書いてます。

こうやって並べるとストレスの話題多い……

自分がいかに溜めてるかが垣間見えますね。。

 

黙って耐える、というのは、問題解決からの逃げです。

まずは問題解決の手段ありき。その方法は家庭環境や子どもの性格や夫婦の資質や色んな要因が絡まっているので、こうすべき、という結論は誰にも出せません。自分たちにしか導けない。

でもそれを模索してもなお、ストレスの要因が残ってしまったら。

それを誰かのせいにしてイライラを募らせていても誰も幸せになれない。

 

だから、とりあえず子どもの前では笑え、なのです。

 

んで、違う場所でちゃんとストレスを解消するすべを自分で見つける。

笑うのは美徳だからでもなく、そうすれば自分が素敵だからでもなく、子どもがちゃんと甘えられる環境を作るためのただの手段です。

 

甘えられる環境が整っていれば、子どもたちはいずれ自然と自分たちから離れようとしていくのだろうなと思います。

そして、親自身も子どものために生きている自分に美徳を感じていなければ、その巣立ちを妨げることなく手を離すことが出来るのではないかな、と思うのです。

 

子どもの巣立ちを妨げようとする母親を子どもから引き剥がすのが父親の最も重要な役割である、というのは霊長類学者の正高信男氏の説。

  

父親力―母子密着型子育てからの脱出 (中公新書)

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 私も知識として知っていても、たぶんちゃんと常々意識をしておかないと簡単には子離れできないのだろうなと思っています。それくらい、生活の大部分を子どもたちのために費やしているのは事実だから。

こうやって言葉にして綴っていくのも、そのためのレッスンみたいなものだなぁと思ったりします。

 

育児や家事の負担を軽減して母親のストレスを軽減させてあげることも、母親の子どもへの依存心を減らす一助にもなり結果的に子離れを促すための役に立つと思うし、いざ子離れの時期に離れきれない母親のフォローをしてあげることも大事なお父さんや周りのサポーターの役目なんだろうなとも思う。

 

しんどいことにただ耐えてしまうと、その耐える行為に意義を見出さないと生きていられなくなってしまうと思う。

そうじゃなくて、一時的な我慢や配慮は子どもたちの環境を整えるための手段ととらえ、その空間でちょっと頑張った自分をまた別の空間でちゃんと癒してあげること、周りの人がそれをフォローすることが大事なんじゃないかな、と思うのです。

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