2つの自尊感情から改めて自分を振り返る。
前回のエントリ
職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。
では色々な反応を頂けてとても参考になっています。
そのなかで、Twitterでもおつきあいさせていただいているあすさんのツイートをまとめられているこちら
感謝の押し売りをしてくる人に足りない”社会的自尊感情”とは? - Togetterまとめ
を読んで色々と考えた事、そしてそこから改めて振り返った自分の事を今日は書いてみたいと思います。
あすさんのツイートを読んで、自分の母親もまさしくこの「〜してあげた」という感情を強く押し出す人だった事を思い出しました。
してあげたことへの感謝を強く求める
自分が居なかったらどうなるかと周りを脅す
体調が悪いとアピールして私を心配して欲しいと求める
仕事で受けた良い評価について何度も話したりと自分がいかに周囲に求められる存在かをアピールする
ということが物心ついたときから良く有りました。
記事を読んでみて母は「基本的自尊感情」が少なく、「社会的自尊感情」が大半を占めているんだろうなと思った。
だからこそ家庭でも明確な感謝を表明されないと執拗なほど要求してくる。
明確に認めてくれる人が居ないと母の自尊心は満たされないんだなと思った。
— あす (@chihoku) 2014, 12月 15
この表現で、母のそれらの行動に納得が行きました。
そして、職場で泣いてしまっていた自分のことも。
このまとめのコメント欄にも書いたのですが、「社会的自尊感情が足りない」から感情を押し売りにする、というよりは「基本的自尊感情が著しく乏しいから社会的自尊感情で過剰に補わなければ生きてくことすらできない」のではないか、と。
私が叱られて泣いてしまっていたのは、自分の人格を責められていると感じていたから。乏しい基本的自尊感情を補うために人より多くの社会的自尊感情を必要としていて、それを得る場所の一つが職場、仕事で好評価を得ることで自尊心を満たしていたのかなと。
それが、自分のミスにより叱られることで「その評価をもう得られない」と絶望していたのかもしれない。相手はただ、起こったミスについて責め、改善を要求していただけなのに。
そしてその理論で行くと、母が近所のお婆ちゃんたちに過剰なまでに優しく声をかけてまわることも、私が学校の役員やボランティア活動に積極的に手を出そうとしていることも、納得が行くような気がするのです。
無意識のうちに、低い自尊心をそこで補おうとしているのかもしれません。
心理学の用語なのであくまでも私のなかでの解釈ですが、基本的自尊感情という根っこがしっかり張った木のようなと、周囲との関係で増えたり減ったりする社会的自尊感情と、その2つの自尊感情のトータルが一定の値以上に保たれていることで安心して生きていけるのかもしれないなと思いました。
前者が著しく乏しいと、それを後者で補おうと躍起になるのかもしれないし、補えないとポッキリ折れてしまうのかもしれない。心が折れる、ってそういうことなのかなと。
過去の私のように職場で叱られて泣いてしまったり、承認欲求を募らせて周りを困らせたり、謝れず人を上手く頼れず感謝を上手く表現できずに周りを不快にさせてしまったり。
自尊心の低さが招く周囲への不協和音。
それを自分のせいだと気づかないで周りに嫌われているとか良くしてもらえないとか感じてしまう本人の困難。
私は、前回のエントリでそれを「自分が甘えていた」と表現しました。
でもそれは、多分私が気づくことで一段階段を登ったから、登った所から過去の自分を振り返ったからこそ言えることで、その「甘え」を自ら自覚することや周囲に指摘されて気づくことは多分とても難しいことなんじゃないかと思います。
私が何度も叱られながら「泣いても許してもらえるわけじゃない」「甘えるな」と言われても受け入れられずずっと泣いてしまう理由がわからないままだったみたいに。
私は自分がそうだからかもしれないけど、基本的自尊感情が低いからダメな人間だ、とあきらめたく無いなと思うのです。
低い基本的自尊感情を過去に戻って取り返すことはもう出来ない。
社会的自尊感情を満たすために承認欲求を募らせて周りに過剰な感謝の押し売りをしてくることは迷惑、でも人のために何かをするという行動そのものを取り上げればメリットは少なからずあるのではないかとも思う。
鍵は、気づいているかいないか、ではないかな。
前回も書いたように、気づいたことで階段を一歩登っていると思う。
気づくことで、自分がしようとしている行動にはどういう背景が有るのかを知ることが出来る。
知ることで、その行動がエスカレートしないよう周りを困らせないようセーブすることが出来るかもしれない。
今の協力者である夫に「そんなわけでこんな風に不安定になることがあります」と説明したり「そんなわけで一緒にテレビを見て共感してもらえると嬉しくなります」と具体的にお願いしたりすることもできるようにもなる。
そうやって、自分の中の小さな自尊心と上手くつきあいながら生きていけたらいいなと、改めて自分の過去を振り返りながら思いました。
子育てに手遅れは無くいつでもやり直しがきくように、私もここから、誰かの手助けを得て自分に足りない物をうめることがきっとできるはずだ。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2014, 12月 15