スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「みんな持ってるもん!」口から出る言葉とお腹の中の本当の気持ち


今朝のTLに、子どもが「みんな持ってる」っていうことに関してのツイートがちらほらと流れて来ていました。

 

「みんな持ってるもん!だから買って!」

「みんな持ってるから!」「みんなやってるから!」うちでもしょっちゅう飛び交う言葉です。夫が「みんな行くって…」と飲み会の予定を入れていたり、実家の父が母に「あいつもあいつも持ってる!」とかつて携帯電話を買う時に言い訳していたように、年齢を問わず誰もが言う言葉なのかな〜と思います。自分の過去を振り返っても何かを求めるときや言い訳するときについ出ていた言葉ですしね。

 

「みんな」って誰?

子どもに「みんな持ってるから買って!」と言われた時、つい「みんなって誰?」と聞いてしまうことがあります。そうするとたいてい、大した人数じゃないんですね。「〜〜くんと〜〜くんと…」3人くらいで終わっちゃうことも多い。でもそこで「みんなってたったそれだけでしょ?」と返してしまったら、はいそこで終わりなんだよね、子どもはそれ以上言えなくなっちゃう。

 

でも自分の過去を振り返ってみた時。

「みんなが持ってるから」と言って親に求めていた色んなこと、それは「みんながやっていることに自分も迎合したい」という感情から発していた?

 

いやそんなことも無いんですよね。

自分が欲しいけどそれを素直に言えなかった、一人だけだけど大好きな子が持ってるからお揃いにしたかった、少人数だけどグループの中で自分だけ持ってなくて実はバカにされるような言葉をかけられていた、持っていないから仲間に入れてもらえないことがあって辛かった、持っている子たちのグループに入れて欲しかったけど持ってないから声をかけられずにいた…

掘り返してみたら、そんな色んな理由がお腹の中に眠っていたりする。

 

お腹の中の「ほんとの気持ち」

でもまだ小さいから、語彙が少ないから、自分の感情を言葉にするのが上手じゃないから、いやそもそも自分の感情そのものがどういうものなのかを考える訓練が足りていないから、だから、子どもたちはそのお腹の中にグルグルたまってる色んな感情のようなものが何かは分かってない、言葉にもできてない。

 

でもたまってるものがグルグルしてるのは分かる、そしてそれを解決するためにそれが手に入れば良いんじゃないかと解決法だけが見えている。でもなんて言えばいいのか分かんない。だから、口から出てくるのはほんとの気持ちとはかけ離れた「みんな持ってるから!」でもその「みんな」が親を説得できる材料じゃなかった、と突きつけられたらそこで手札は終わり。感情は言葉にならないまま、お腹の中でずっとグルグル。

 

口から出る言葉と「ほんとの気持ち」

私自身大人になるまで、このお腹の中にあるほんとの気持ちに気づく訓練をしてきてなかったなぁと思います。発する言葉と自分の気持ちがイコールではないのだと言う、そのこと自体に気づき始めたのもごく最近のこと。

小さな子どもたちがすごく疲れているときに欲しいわけでもないものを欲しがってごねたり(ほんとは眠いから抱っこして欲しかっただけ)、「ようちえんいきたくない」は幼稚園が嫌なんじゃなくてただまだ眠くてダラダラしたかっただけだったり、学校に行くのを渋っていた子がはっきりそう言えずに体調の不良を訴えたり、違う理由を口から発して登校を避けようとしていたり、そんな経験を通して、子どもの言葉を真っ向から受け止めちゃダメなんじゃないかと考えるようになりました。

 

その視点から見てみると、夫と口論になるときにお互いに言い合っていること、実家の母が私に言ってくる言葉、息子たちの周りの子どもたち同士の会話、いろんな会話の中で、本当の気持ちはそこじゃなかったのかも、と思える発言も多くあるんだなぁと感じることもよくあります。

 

「〜〜ちゃんなんか嫌い!もう遊ばない!」なんかその典型ですね。ほんとに遊びたくなくて言ってるんじゃなくて、自分の主張が通らなかったから相手を不快にさせたり相手をコントロールしたくて言ってる。こんな感じのやりとり、大人になっても結構あるんじゃないかと思う。

 

つい言ってしまう「みんなって誰?」

子どもたちがお腹の中の気持ちを言葉にするのがまだ未熟で出来ていないように、私もそれを引っ張りだしてやることが出来ていないことも多いな、と思うこともよくあります。日常のドタバタのなかで上手く時間をかけられないで一蹴するような結果になることも。

以前、「お小遣いが欲しい!みんなもらってる!」という次男を家事の合間に「みんなってほんとに??」と軽くあしらっていたら次の日自由帳にクラス全員分のお小遣いの有無と金額のリストを持ってこられたこともありました…。このときは腰を据えて一緒に話して、彼の熱意と現状とを話し合ってお小遣いをどうするか、いやそもそもなぜお小遣いが欲しいのか、等ゆっくりと話す時間を取ることになりました。

 

「聴く」練習と「話す」練習

次男のようにくじけずおかしな方向に邁進する子は簡単にはへこたれないかもしれない(そんなところは私譲りなんだろうなと目の当たりにして少し恥ずかしくも有りました…)けど、親の反応次第でくじけちゃうタイプの子(長男と娘がこんな感じです)だったら簡単に諦めて感情を言葉にできないまま抑圧しちゃうかもしれない、それは親としてもちょっと心配です。

だから、子どもたちがそのお腹の中のほんとの気持ちを言葉にできるようにゆっくりゆっくり聴いてあげる練習が大人にも必要なんだろうなと思う、それを経て子どもたちは「みんな持ってるもん!」の根っこにある自分の本当の気持ちを言葉にすることが出来るかもしれない。

その結果、親は子どもの抱えていた本当のしんどさに気づけるかもしれないし、子ども自身が自分のそのしんどさに向き合えるかもしれない。本当の解決策は物を買うことではなかったという結論に至ることもあるかもしれない。

 

「本当の解決策」

最後に書いた、本当の解決策ということ。

実はこれは私が子どもたちとの関係の中で何度か行き着いた結論でもあります。「欲しい」「いきたい」「食べたい」等々、子どもたちが発する欲求、それをそのままやってみたのになんだか満足げじゃない、上手くいかない、ということもこれまで何度も有りました。

欲した欲求、発した要望をそのまま実行するのではなくて、じゃあなんでそんなこと言ってるんだろうっていうことをゆっくりゆっくり掘り下げていった先に、全然違う感情が眠っていた、ということも有りました。最初に求めていたものは全く必要なかった、ということも。

私は大人で、自分でうんうんと時間をかけて考えることでその本当の解決策にたどり着けることも増えてきました。でもそれでもネットに色々と吐き出したり、夫に聴いてもらったり、友人と愚痴を言い合ったり、アウトプットをしなくてはほんとの気持ちに行き着けないことも多く有ります。

子どもたちも同じ。いやもっと未熟です。

何気ない「みんな持ってるもん!」の中に潜んでるかもしれない、本当の気持ちに自分で辿り着けるようになるまでの間の訓練を一緒にしていけたらいいなぁと、そんなことを考えています。

 

練習のためのおまけ

じゃあどうすればいいのと問われそうな記事を書いたので、過去の似たような、言葉の向こうにある本音のことを題材にして書いたエントリを貼っときます。

話し方や聴き方の基本的な対応の仕方は、このエントリで紹介した本を参考にやってみてます。相槌やおうむ返しを繰り返しながら、時間をかけて本人が自分の気持ちを言葉にできるまで掘り下げていく手法を練習できる本です。

 

以下2つは、言葉の向こうの本音に気づいた経験のこと。ご参考までに。

suminotiger.hatenadiary.jp

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