スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

インタビュー記事の中の、もうひとりの自分


先日より寄稿のご依頼などちょこちょことお話を頂いたのですが、その中にインタビュー記事のお話がありました。

情報サイトのnanapiさんより「結婚と出産に関して「しておけばよかった」と思うこと」についてご質問いただき、それぞれいくつかずつお答えしたものをまとめて頂いたもの。

 

公開された記事はこちらの2つ。

nanapi.jp

nanapi.jp

 

事前に確認をさせていただき、ざっくり目を通して気になる所をいくつか直して頂いてからの公開となったのですが、公開された記事の中の私、なんか違う人みたいだなぁと自分で書いたはずのことなのになんだか別人の話を読んでいるような不思議な感覚になりました。

 

いつもブログやTwitterで、一から十まで自分の言葉を使って書いている文章、今回のインタビューへのお返事もものによってはかなりの長文になっていたところを編集部さんが抜粋してまとめてくださっていて、それぞれ拝見しながら「おお〜こうなるのか〜」といちいち目から鱗な感じ。

 

校正の段階で目を通していたときにはざっくり読んでいたからかあまり感じなかったんですが、出来上がって公開された記事の中に居る私はなんだかすごく達観した出来る主婦って感じがして、こっぱずかしくて読みながらなんだかお尻がもぞもぞしてしまいました。(「人気ブロガー」とか紹介されてるし…)

 

自分が納得するような形になるようにモリモリ手直しをいれても良かったのかもしれませんが、今回はなんかその、いつもの自分とチガウ感じにまとまっていることが面白くて修正は入れずそのままにして頂いてます。

 

自分が経験してみて改めて思うのですが、自分が自分の言葉で書いたものでも恐らくはリアルの私とはかなりのかい離があるはずで、それが誰かに聞き取って書き起こしてもらうことで更にもっと変わっていくのだなぁと。

 

私がこれまで読んできたインタビューとして書かれている記事の中で得ていたそれぞれの対象者の印象、それは、その人そのものの印象としてすり替わって記憶されていることが多かったような気がするのだけれど、本当のその人とは違っていたのかもしれない、いや恐らくはかなり違っているんだろうな。

 

インタビューってまとめる方により印象は全然違っていくんだろうなと思う。今回はnanapiさんがとても好意的にまとめて下さっているのだけれど、同じ文章を書いても違う方向の印象を付けようと意図して書くことはおそらく可能なんだろうなと、その辺がマスコミの底知れなさなのかもなぁ。

 

印象ってどんな風に発信するかということや、それをどんな風に受信するかで全然違って行くんだろうなと思う。ブログでも書き方によってミスリードを生んだり誤解されちゃうことも多々あって、言葉で何かを伝えるということの難しさを日々感じていたりします。

そしてそれぞれの発信されたものを誰がどんな風に受信しているかで私の印象はまた違って行くんだろうな。

Facebookだけで私を知っている方、Twitterで私を知っている方、ブログだけを読んで下さっている方、ブログのなかの一部だけを読んだことのある方、そして今回のインタビュー記事だけを読んでいる方、恐らくそれぞれの印象は全く違っていて、そしてその印象は現実の私とはまた違っているんだろうなと思うと、いったい何人の私がネット上をふらふら泳いでいるんだろうとなんだか可笑しくなってきました。

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