スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「母乳?」ってつい言っちゃう、おばちゃんの気持ち


「ま〜可愛いわね〜、母乳?」

赤子を連れてて見ず知らずのおばちゃんらからそう問われた経験、思えば私もよくあったなぁとTLに並ぶツイートを見ながら思い返していました。発端がどこなのかわからないけど数日前からチラホラ並んでたこの話題、長男を産んだ10年ちょい前にも色んな掲示板やSNSでもこの話題は定期的に見てたので、妊産婦を取り巻くある意味で普遍的なトピックなんだろうな。

 

とりあえず、出さないと

長男を産んだ頃、右も左もわからない産院のベッドの上でとりあえず母乳出さないといけないようなどこから湧いてくるのかわからない使命感に追われながら授乳をしていたあの頃、寝付きが悪く長く寝ない息子たちに母乳が足りないのかもと睡眠不足でふらふらになりながらミルクを与えるも哺乳瓶を嫌がったりして気が狂いそうでてんやわんやしていたあの頃、なんとか母乳で育てながら1年くらいでギブアップして断乳しちゃってたあの頃、乳児を連れた私も親戚や近所のおばちゃんたちから何度となく「母乳?ミルク?」って聞かれてたんだけど、それについてどう思ってたかまではあまり思い出せないのは、そんなに嫌な思いもしてないからだったのかなぁ。

 

でもそれは私がなんとか繋ぎながらも母乳で育てることが出来ていたからでもあるのかもしれないし、それほど辛辣に責めるようなことを言う人が幸い居なかったからなのかもしれなくて、母乳が出ないことを身近な誰かに責められていたり、母乳が十分に出なくて辛い思いをしていたりしている人にとっては身を切られるような辛い言葉なのかもしれないな、と思います。だからこそこうやって何度も何度も、ネット上でその言葉に傷ついた人たちがその気持ちを言葉にして訴えているのだろうなぁと。

 

なんで気になるんだろう…

おばちゃんらがつい言ってしまっている「母乳?」という問いかけ。私はネットで過去にこの話題を見たときに実家の母に「傷つく人もいるから「母乳?」とか聞いちゃダメだよ」って言ったような気がします。母は「今は色々気を遣わないといけないのねえ」と変な顔をしていたなぁ。

でもそれでも母は多分、あちこちでついうっかり「母乳?」って聞いてると思う。近所のおばちゃんたちも相変わらず赤ん坊連れた母親を見たら「母乳?」って聞いてるんだろうなと思うし、おばちゃんらから更に上の世代のばーちゃんたちはもっと真剣に母乳かどうか話しかけてくる。これ、背景に何があるんだろう、って思った訳です。

 

戦中戦後の祖母にとっての母乳

戦中から戦後にかけて、どん底の貧乏の中で6人の子を産んだ祖母、その中の一人が私の母、体質的なものなのか遺伝的なものなのか環境ゆえなのか、祖母は充分に母乳を出すことが出来なかったそうです。私が長男を産んだ頃、認知症の初期の段階で記憶があれこれあやふやになりながらも鮮明に覚えていたらしいその当時のこと。

食べるものも乏しくて生活もやっとの中、母乳は全然出ず、飼っていたヤギの乳やおもゆを母乳の替わりに与えてなんとかしのいでいたこと、母乳がよく出るという産婦さんの話を聞いたら赤ちゃんを連れて出かけて行ってもらい乳をしていたこと…

新生児にヤギの乳!?もらい乳!?と今から考えたらあり得ないことの連続のその話の中、ばあちゃんは何度も何度も「ちゃんと母乳が出るんやねえ、ありがたいねえ」と私と生まれたての息子を拝むような仕草をしていたのが印象的でした。

 

母にとっての、母乳と粉ミルク

母もまた同じように、新生児を抱える私に自分の昔話を語って聞かせました。

祖母の体質に似たのか、母もまた充分な母乳が出なかったようです、本人は「同居のストレス」と言って譲りませんが。私の父方の祖母にあたる姑からいびられていた(本人談)母は母乳が充分に出ずに仕方なく粉ミルクも与えていたようです。当時は母乳よりむしろ粉ミルクの方が栄養価が高い、という風潮もあったような時期で世間の風当たりは強くなかったのかもしれませんが、当時の家計を仕切っていた同居の姑からは「乳が出ればただで済むものを要らん金がかかる」とよく愚痴られていたらしく。

そう主張していた父方の祖母はもらい乳に来る人がいるほどの母乳の泉だったようです。

 

叔母の、近所のおばちゃんの…それぞれの母乳にまつわる記憶

赤ん坊を連れていて本当に顔を合わせる人合わせる人、一定年齢以上の出産経験のある女性は口を揃えて「母乳は?」と問い、そして会話の中で自分の経験を語ってくれます。

母のようにいびられて苦労した人、母方の祖母のように頑張っても出せず困った人…

同居の姑にいびられたくない一心で必死に母乳を出そうと泣きながら授乳した、とか、母乳を出すために夫がこっそり当時高価だった牛乳を買って来てくれていたとか、それぞれの人にそれぞれの母乳についての記憶があり、そしてそれは長い育児経験のなかの最初のほんの1年ちょいのことだったはずなのに強烈な印象として本人の中に残っている。

 

辛い記憶もあれば、私は母乳で立派に育て上げたんだという自負もあり、良いも悪いも色々なのだけれど、彼女たちそれぞれにとってそれぞれの母乳にまつわる記憶が赤ん坊を見ると思い出されてしまうのかもしれない、それほど強い記憶なのかも知れません。

 

私にとっての、強い記憶

私は母乳ではさほど苦労をしなかったので「母乳?」に傷つくこともそうないままに乳幼児育児期を終えようとしています。そんな私が、ここしばらく新生児に会った時につい聞いてしまうこと、それが「よく寝てる?」「夜寝てくれる?」

 

なんでか考えたこともなかったのだけど、思い返せば赤ちゃん連れの知り合いに会うとついそれを聞いてしまっている自分が居ました。

「夜寝るかどうか」

それは、4人の子供たちがそれぞれに1歳すぎで断乳するまでは3時間以上続けて寝てくれることがなく、細切れに起こされては授乳していた私にとって、母乳より何より「寝てくれなかった、辛かった」が乳児育児の最大の辛さであり、強い記憶として残っているのだろうと思います。

睡眠不足でふらふらになりながら上の子たちのお世話に追われて昼寝の暇もなかったあの頃の大混乱の毎日を良く乗り切れたな…というのが自分の自負でもあるのかもしれません。

 

とにかく、寝なくて辛かったという記憶が鮮明にある私は、新生児を見るとつい「赤ちゃん寝てくれてる?」「お母さんゆっくり寝られてるかな」と気になってしまったのかもしれないなと思います。

 

結局は…

「寝てる?」って聞いちゃってる私は、多分「母乳?」って聞いちゃってるおばちゃんたちと同じ穴のムジナなんだなぁ…。相手がそれを聞いてどう感じるか、の前に、自分が気になってしまう自分にちらついてしまう過去の記憶の方が先に口をついて出て来てしまっているのかもなと。

 

そう考えると、母乳に関して、私たちの世代からは想像もできない色いろな経験をして来ているのがおばちゃん世代なのかもしれないな、と思うのです。

母乳だのミルクだのという話題を前に私が「そんなもんどっちだっていいじゃん、母ちゃんが楽な方選べばいいんだよ!」って声高に言えちゃってたのも、母乳がうまく出なくてもドラッグストアでもスーパーでも粉ミルクが簡単に比較的安価に買える現代だからなんだろうなと、なんだか自分の浅はかさがちょっと恥ずかしい。

 

私が話を聞いた数人からだけでも、その人それぞれの、母乳育児に関わる辛かった記憶や深い傷、トラウマになるような経験が出てくる。「母乳?」ってつい口に出してしまうおばちゃんたちはもしかしたら、みんなそれぞれ、つい口にしてしまいたくなるようなそれぞれのトラウマや強い記憶があるのかもしれません。

 

おわりに

辛かったから、強い記憶だから、だから相手を傷つけたっていい、っていう話がしたいわけではありません。言われて嫌だった、ということを口に出すなという話でもありません。口に出さなければそれが辛いのだということも分からないし、そうやって嫌だと言う声があることを知ったうちの母みたいな人が「理由はさておき言わない方が良いのね」って意識して気をつけてくれたら言われて嫌な思いをする人は減っていくんだろうなと思うし。

 

それとは違う次元の話として、昨日のエントリのように相手の言葉がグサッとささってしまうのは自分の中に何かしらのトラウマがあるのかもしれないということや、あの無神経に感じられる話題を新米母さんにぶつけてしまうおばちゃんたちの背景には過去への強い思いがあるのかもしれない、と考えること(だからって許せるものじゃないとは思うけど)、また自分もまた同じようなトラウマになるような記憶があれば似た行動をとってしまうかもしれないこと、そんなあれこれを意識してみるというのもまた一つ面白い視点なのかもしれないな、と、そんなことを考えたりしました。

 

おまけ。

suminotiger.hatenadiary.jp

スポンサードリンク