スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

虫を死なせてしまう子どもへのモヤモヤと「それでいい」という虫の先生からの助言


今日は、カブトムシのお話。

今年も虫ケース、増殖中です

夏休み。

今年も順調に虫が入ったケースが増えていく我が家です。

カブトムシやらクワガタやら、母さんは細かい種類はよくわからないのだけど、ふ化や越冬したものもいれば自分らで捕まえて来たり、近所の人が拾っては持って来てくれたり。

 

日々カブトムシ相撲だの綱渡りだのとこどもたちからいじくり回される我が家の虫たち。今年は今のところまだみんな元気でいるようですが、毎年足が取れただの羽根が折れただの共食いしたのかもしれないだので弱っていく個体が出てきたり、死なせてしまったり。

 

死なせちゃうことへの、モヤモヤ

親としてはそういう状況を見ていて「生き物を大事にしていない」「命を粗末に扱っている」ように受け取られ、ついつい横からあれこれ口を出してしまいます。見ようによっては、餌だけ与えてもてあそんでなぶり殺している、ようにも見えてしまって、モヤモヤとしてしまいます。

 

もちろん子どもたちも死んでしまえばそれを悲しんで、土に埋めてお墓を作ったりもしています。それはそれで一つの情操教育となるのかもしれない、とは思うのですが、いやでもその前に自分らのせいで死んでるやん、とも思ってしまって。

 

モヤモヤを、専門家に話してみました

以前、地元の博物館で虫博士としてコラムを書いたり子どもたちに指導したりしているおじさん先生にお会いしたときに、そんな気持ちを話してみました。

子どもが虫を殺してしまうことにモヤモヤしてしまうんです、と。

そしたら先生、笑って言うんです「それでいいんですよ」って。

 

それでいい?

たくさんの虫を羽根の先まで綺麗に標本にしてたくさん保存しているような虫愛好家の人が、虫を殺す子どもたちに「それでいい」という、とても不思議に思いながらお話を伺いました。

 

「虫には、痛覚は無いんです。だから、羽根をもがれてもいじり倒されても足がもげても、痛みを与えているわけではないんですよ」と先生。

 

いや先生、それでも結果的に命は奪っている訳で、と食い下がる私に笑いながら、ここにいる標本も全部自分が死なせた虫だからと先生。「大事なのは、関心を持ってくれることだから」

 

関心を持つということ

先生は丁寧にお話ししてくれました。

子どもたちが自分たちの興味の赴くままに虫を好き放題触ることは虫への関心を持ち続けるために大事な経験だから、ぜひ咎めずに好きにさせてあげてほしいということ。飼育も観察も色々と遊ばせることも、虫の生態を知って子どもたちがもっと虫を好きになるためにとてもよい経験になる。その過程で、足がもげてしまうことも、羽根を折ってしまうことも、死なせてしまうこともあるかもしれないけれど小さな子は仕方が無いし、それで叱らないであげてほしい。

大事なのは、その経験をもとに虫への関心を持ち続けてくれること。虫を愛でて、可愛がって、そして成長して虫そのものの命の大切さを自分で考えられる年齢になったら、その興味が今度は、虫が自然の中で生きられる環境を守っていこうという気持ちにシフトしていってくれること、それが自分たちの願いです、と。

 

興味を持たないことのもたらすもの

先生の言葉を聞いて、それを自分の中で何度も何度も反芻しながら、関心を持ち続けることの大切さを感じると同時に、興味を持たないこと、ひいては無関心の怖さもまたそこにあるように思えてきました。

 

私は、野鳥が好きでよくバードウォッチングに参加したり、ツバメの生態調査に協力したりしているのですが、その好きという気持ちを意識するようになってからあたらめて、野鳥が住む環境を守ることを意識するようになってきました。関心がなければ、川の葦原に興味を持つこともなかったかもしれません。そこを守る必要があることも、野鳥保護の観点から考えることがなければ、地元の人の利便性や効率や色々な、主に人間の都合だけでしか見ることはないかもしれない。

 

目の前の公園の環境が、虫に適しているのかどうか、今いる虫を守るために気をつけなければならないのは何か、それは、虫に関心を持っていないと考えられないことなんだなぁと。

 

興味を持たなければ、知識として身に付かない。知識として身に付いていないことは、自分の中で無いものとなってしまって何かの判断材料とすることも難しくなってしまうのかもしれない。自分の中に当たり前にあることを意識することは簡単でも、無いものを「あるかもしれない」と想定することはきっととても難しいことだから。

 

そして、誰も関心を持たなかったら小さな虫たちは私たちが知らない気づかないところで、そっと絶滅していってしまうのかな、いやこれまでにもそうやって、たくさんの種が興味を持たれないままいなくなっていったんだなぁと。

 

おわりに

今はまだいじくり倒してるだけに見える子どもたちだけれど、その興味や今得ている知識が彼らの中でどこかに残っていてくれたらそれでいいのかもしれないんだなぁとお話を聞いてからは少し離れたところから子どもたちを見守ろう、と思える様になってきました。

大人からしたら遥かに乱暴なその扱い方にやっぱりモヤモヤはしてしまうのだけれど、母から見たらGのつくあの黒いやつとそう違いもないようにすら見えるカブトムシたちのことをうっとりと愛でている子どもたちの姿、綱を渡らせては大騒ぎしている集団の歓喜の声、この興味を削がずにいたらいずれ色々な成長へと繋がっていくのかもしれないんだなぁと、どんどん増えていくカブトムシたちのケースを眺めながら考えたりしています。

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