スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

誰かを見下すという心理に潜むものと自尊感情


TLに流れて来たのは、なにかのまとめなのかな、上司が部下に「菓子折り持って行くから買って来て」と頼んだらコンビにでポテチとかチョコとかおやつ的なものをがっさり買ってきてあきれた、という記事。「ゆとり」という言葉がタイトルについてたから、ゆとり教育の新人はこんなことやっちゃうよ的ネタとして上がってるんだろうなと思ったんですが、それを見て「人を見下してしまう心理」のことをちらほらと考えたので備忘録的にまとめておこうと思います。

 

発端の記事とまず考えたこと

あえてリンクは貼りませんが、気になる方は「ゆとり 菓子折り」で検索すれば多分見つかると思います。概要としては上記の通りなんですが、それを見てすぐ「見下す」という話が想起されたわけではありません。

 

まず考えたのは「分からなかったら上司に聞けば良いのに」ということと、でもこの上司に聞いても「なんでそんなこともわからないの?」って苦笑されて傷つきそうだなぁとも思って、もしこの子が過去に親や周りの大人からそんな対応を受けていたら「人に聞く」行為そのものを否定的に捕えて勝手に考えがちになるのかなぁとかそんなことでした。

 

「わからないことをわからないと言う」

「わからないと言われたら小馬鹿にせずに丁寧に教える」

「自分が何がわからないのかということを理解する」

「確信が持てないことは行動を起こす前に確認する」

 

等がそのとき考えたり、フォロワーさんたちと会話したりするなかで気づかせてもらったりしたことで、でもこれって結構に難しいしこれが出来る環境が整っている職場を探すのって難しいことなんだろなと思ったりもしています。

 

 

余談ですが、そういう意味では、前に勤めていた会社はとても分かり易かった。「ごめんなさいを言いに行くときは「もち吉の四角い缶」!」と明確なルールが決まっていたからです。(もち吉とは福岡県直方市と拠点とするおせんべいやさんです。参考:もち吉 あられ・おせんべい・おかき・和菓子のお店

 

環境の整備や個人の資質に関わらずこういうときはこう、という明確なルールが決められていることで個人の裁量で左右されたり空気を読む読まないが求められたりせずに組織が円滑に回し易くなる良い例だなぁと改めて思いました、もち吉

 

「そんなこともわからないの」

さて前置きが長くなりましたが、「人を見下す」というのが出て来たのはこの過程の中で本筋からは離れるのですが「わからない、どうしたらいい?」と聞かれた時や詳細まで言わずに指示していたことが自分の想定通りに仕上がっていないときに「小馬鹿にする」態度をとる人がいるよなぁと思ったから。「そんなこと自分で考えろ」とか「そんなこともわからないの?」という対応だったり、鼻で笑ったり、苦笑して小首をかしげたり。

 

自分がそれをやられたらとても傷ついてもうその人に聞きづらくなるなぁと思うと同時に、いやでも産後の夫の行動にそういう心理を抱いて自分が夫を小馬鹿にするような態度をとったことはなかったか、とも思えて来て、なんだこれ他人事ではなさそうだぞ、と私の中でグルグル思考が始まりました。

 

「自分の知っていることを知らない人がいる」という認識

まず大前提として、社会人としてはこれは意識しとかないと痛いんだろうなぁというのがこれ。自分が知識として当然のことのように知っていることを知らずに大人になっている人がいるかもしれない、という可能性。それは、自分が当たり前の様に受けて来た養育や教育を受けられずに育ってきた人たちがいるかもしれない、という、思いを馳せるという技術、意識。

 

もしくは、自分の脳みそと目の前のこの人の脳みそは同じ物ではない(同じ知識が入っているわけではない・同じ思考回路ではない)という、自分と他人とが違うということをしっかりと意識できているか、という自他の境界の問題。

 

それらを認識しておくことにより、「自分の当たり前」が常に通用するとは限らないと対人関係の中で手を抜いてはならない部分を意識しやすくなるのではないかなと思います。

 

見下すための「無知の確認」

知らなかったなら仕方ない、と思える上司であれば、その後の関係は上手くいくのかもしれません。が厄介なのはそうではなくて、無知ゆえの行動について、人を見下すために自分の中でそれを利用するケース。当該のまとめられた部下の菓子折りの件でこの上司が部下についてどんな感情を抱いているのかまでは書かれていないのでそれについて何か憶測することは出来ませんが、自分の身近な関係者のなかに人の無知を小馬鹿にして晒すような種類の人がいるなぁと。

無知を見下してしまう、というのはその人がその知識に本質以上の価値を見出しているからかもしれず、それはその価値でもって自分の価値が高まっていると思っているから、逆に言うと「元々の自分にはあまり自身が無いけれど後から入れたこういう知識やマナーを知っているという自負で自尊心を保っている」という悲しい実情があらわれている結果なのではないか、と。

 

我が身を振り返る

私が、他人事じゃないぞ!と思った夫への対応。産後、夫の子どもたちへの対応について「そんなこともわかんないの!?」ってちょっといやな対応をしてしまっていた時期、その頃を振り返ると私も色々抱えてたストレスもあったしなにより、「育児にこんなに頑張ってる自分」に酔って自尊心を保っていた時期があったような気がする。

 

そういう意味では、誰かの何かの言動について「そんなことも…」ってお腹の中で小馬鹿にしてしまいそうになったときって自分の自尊心がうまく保ててないとかストレスフルだとか、そういうあんまりよくない状態だよっていう危険信号なのかもしれない。

 

思い出す、記憶のなかの「知識やマナー」

礼節に関わるような何かしらの知識、マナー、って小さい頃から祖父母両親周りの親戚…あちこちから口酸っぱく言われていたことがたくさんあったなぁと思い返されます。よその家にお邪魔したときに玄関先でどうするか、どんなものを手みやげにするか、出されたものにどう対応するか、冠婚葬祭ではどう振る舞うか、など家の中でも外出先でもあれこれ言われた記憶があります。それは、必要な知識として今の私の対人関係を円滑にするために活かされているものもたくさんある一方で、なんだかもやっとした嫌な感じもセットになって記憶されています。

 

そのもやっとした嫌な感情ってなんなんだろう、と考えるなかで思い出したのは、教えてもらうときに必ずと言っていいほど付け加えられていた言葉。「知らないと恥をかくから」「こんなのも知らないってバカにされるよ」という忠告でした。

 

なんとなく嫌な感じの正体

周りの大人たちが教えてくれていた色々なマナー、知識、技術、それらは私にとって必要な物でもあったのかもしれないけど、その原動力というか、教えねばならないと思う感情の奥にあるのは「一定の知識や技術やマナーを身につけておかなければ誰かに見下される可能性が高い」という危惧であり、その危惧が生まれる背景にはそうやって誰かが誰かを見下す現実を目にして来た過去があるということ、そしてその意識をもって躾ることで、与えようとしているそれらの大事ないろいろなことと一緒に「一定の知識や技術やマナーを持っていない人を軽視する」という思想そのものがそこにふわふわと浮かんで相手を取り巻いてしまうのかもしれない、それが、私が感じていたなんとなくもやっとした嫌な感じの正体だったような気がします。

 

誰かを見下す心理の中に潜むもの

自分そのものに自信があったら、つまり基本的自尊感情がきちんと培われた状態で成長していたら、知らないことに直面してしまっても適切に人に問うたりしながら自分が折れることなくその場を乗り切る事が出来るのかもしれない。

そう思うと、私にかつて「知らないと恥をかく」と何度も何度も言っていた私の周りの大人たちは自分より秀でているように見える周りに一生懸命追いつこうとジャンプしていたのかもしれないし、追いつけないことに傷ついてひがむ感情があったのかもしれない、つまるところ、基本的自尊感情が乏しいが故に誰かを見下すという行為でもって自分の社会的自尊感情を一定値まで押し上げることでなんとか自分を保っていたのかもしれない。

 

それは産後ヨレヨレの時期の私も同じだったのかもなぁと。元々低い自尊心を仕事や色々な活動でまかないながら生きてきたのに、産後は仕事も満足に出来ず身なりや社会的な活動にも満足に参加出来ずで地に落ちていた私の自尊心。それをなんとか生きるために保つすべが「育児をこんなに頑張っている」という自負だったんだなぁと。

 

おわりに

知らないということでマイナスの要素があるのはおそらく事実なので、対人関係を円滑にする為の知識やマナー、技術を学ぶことは成長の過程である程度は必要だと思うのだけど、でもそれが、誰かを見下したりするために使われているかもしれないと感じたら自分の中の危険信号が点滅してる状態なんじゃないかな、と思います。

 

またそういう人に出会ったら、距離を置けるなら置く方が懸命かもしれないとも思います。その人を変えることはできず自分が疲弊するばかりになってしまうから。

 

最後におまけですが、いわゆる一般常識と言われるような知識はその人の属するコミュニティや上に立つ人取りまとめる人の傾向にも大きく依存するものなので、これという最適解が毎回違っている可能性もある、とてもあやういものだという意識も必要だろうなと思います。理由付けが薄い「こうしていれば間違いない」という妄信は、そうしない人がおかしい、という心理に繋がりやすいものですから。

 

Amazonにあるのかな、と思ったらあった!これが「ごめんなさい」用の定番でした。 

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