スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

ソーシャルメディアと子供たちと自他の境界線


朝からTLにながれてきたさっこ (id:plutan)さんのツイートを通して色々と考えてしまっていました。

 

子供たちとスマホやLINEについての見解、とても興味深く拝見しました。

気になる方は是非さっこさんのTLを覗いてみてくださいませ。

※さっこさんのブログやTwitterのホームは仕事用の大きな画面で開くとあたふたもしくはドキドキしてしまうので要注意です…。

 

未熟な子供たちとSNS

さっこさんのツイートの中で、LINEを通じた子供たちのすれ違いが紹介されていました。

要約すると…

NHKで特集されていた小学生のLINEトラブル、1人の女の子が同じグループの子にもらったぬいぐるみの写真をアップして「このぬいぐるみ、かわいくない」と投稿した。当人は「かわいくない?」と投稿するつもりが「?」を忘れてしまいグループ内で否定の意味に取られてしまってハブられ不登校になってしまった。

これが真っ当なコミュニケーションを身につけていたなら「どうして『可愛くない』なんてひどいこと言うの?」「ごめん、『かわいくない?』と投稿するつもりだったのにつけ忘れちゃった」とやりとりして誤解だとわかる。でも子供は会話にそこまでの労力を割こうとしない、ほんの一手間で解けたはずの誤解が解けずにいじめとなってしまう、未熟な子供に文字でしかやりとりができないLINEを自由に使わせている大人が悪いと言える。

こんな内容でした。詳細はさっこさんご本人のツイート(さっこ@太りたい人妻

@sakko_o)をご確認頂ければと思います。

LINEでのトラブル、長子が小学生の我が家ではまだご縁がないのですが、中学に入ったらスマホを欲しがるのかもしれず、今はそのときにどう対応するかを考える猶予期間のように感じています。

 

上記の連続ツイートはスマホを与えることの是非も含めたお話で、今後の参考にしようと思って読みながら私が気になったのはそこだけではなく以前から関心がある、自分と他人とのコミュニケーションのこと。

 

コミュニケーションに労力を割こうとしない子供たちという部分でした。

 

コミュニケーションに労力を割こうとしない子供たち

さっこさんは「一手間」という言葉を用いて表現されているコミュニケーションスキル。相手の言った事に違和感を覚えたときに「どうしてそんなこと言うの?」というワンステップを挟むことで会話の流れが代わり、相手のミスを相互に理解し、関係の悪化を防ぐという技術を子供たちが持っていない、という点を指摘されています。

 

このケースについては私は読んだその場でこう思ったんですね。

 

腹の中がどうこう、ではなく建前を持って相手に接している大人なら「なぜそんなことを?」って感じる発言に直面した時に「どういうこと?」と聞いてお互いの関係が崩れないように注意してその場をやり過ごしたりお互いの感情を抑えたりすることができる。

でも大人同士でもこれがうまくいかないケースもまたあるなぁと、その要素が「境界の緩さ」ではないのかなと。自分と他人の境界がうまく認識出来ていない人や認識が緩んでいるコミュニティでよく見聞きする一見して幼稚ないざこざも原理は同じだと感じています。

 

子供たちがコミュニケーションの中で誤解が生じないような、関係性が悪化しないような労力を割くことがないのもまた、この境界の緩さが関わっているのではないかと思うのです。

 

境界の緩さ、自他の境界の曖昧さ

自他の境界については以前なないおさんが記事にされていました。

nanaio.hatenablog.com

 

発達障害の子特有の性質、という捉え方をされがちかもしれませんが多分小さい子の多くは程度の差はあれ似たような傾向を持っているのではないかと思います。

 

小さい子たちの集まり、小学生の女子の輪…

「仲良し=意見を同じくしていること、あらゆることを共有していること」と感じているように見えることは割とよくあるのではないかと思います。同じ物を持つ、同じ意見を持つ、自分と同じである存在を仲間と見なす、境界線のないお互いに混じり合った状態を心地よいと感じてコミュニティを形成する。

 

この幼稚なコミュニティから、段々とお互いの間にある境界を認識し、自分と相手が違う人間であり違う思考回路を持っていることを意識して関係性を保つようになっていく、さっこさんが上記のツイートのあとに書かれていたような「会話に違和感を覚えた時に確認するような一手間をかけられるようになること」もまたその発達のなかで獲得していく能力なのかもしれないなと思います。

 

自他の境界の話が発達障害の子たちと絡めて語られる事が多いのはその発達のアンバランスさから年齢相応の自分と相手との境界線の意識が持てない、距離感をうまく保てない、自分に向けられた言葉をうまく処理できない、という問題が起こってしまうからではないかなと思います。

 

 

自他の境界線が緩いことの弊害

年齢相応の発達をし、コミュニケーションスキルを上達させてくると会話の中で違和感を覚えても「それどういう意味?」「そんなこと言われたら悲しい」などの切り返しを行ない、相手の真意を問うたり、相手がそれで自分の発したことの意味に気づいてとりなしたりする機会をお互いに得ることができる。

 

でも発達障害や生い立ちの事情など様々な要因から自分と他人の境界線をうまく認識できないまま大人になってしまったり、未熟だということを認識できないまま周りと関わってしまったりしてしまうと、それが原因でトラブルに繋がってしまうこともまたよくあるように思います。

 

例えば…

自分が何か提案したことについて反対されたら意見への反応ではなく「自分を否定された」と受け止めて傷ついてしまう

仲良しだと思っていた人が自分以外の人と仲良くしているのを見たら傷ついてしまう

手料理に「こうした方がいいんじゃない?」って改善案を言ったら全否定されたように反応されてしまう

 

小さな否定や改善案をそのままに受け止めたり聞き流したりすることができずに「自分そのものを否定された」ように受け取ってしまう、受け取られてしまう、実は私もこれまでに何度も経験して来たことです。

 

改善はなかなか難しいですが、もしうっすらとでも自覚があれば「自分はその傾向があるのだ」という意識を持つことで感情の暴走にブレーキをかけることも出来るようになったりするのではないかと思います。

 

ここには自尊感情の問題も絡んでいるので切り分けが難しいことではあるのですが、そんな風に未発達の状態で大人になってしまったり、未発達の子供がそんな技術を要する大人の世界に踏み込んでしまったりすることで問題が大きくなってしまうのではないかなと考えています。

 

自他の境界の緩さとソーシャルメディア

子供たちの間で社会問題になってしまっている、スマホやLINEの使い方、それに起因するいじめ、不登校

我が家でも他人事ではなくアンテナを張っている状態ですが、私は現段階では全否定するというスタンスではなくまぁ所詮道具だしという感覚ではあります。スマホの便利な使い方と同時に、スマホを通じてのいじめ、コミュニケーション能力の未熟さゆえの誤解や暴走はあり得る、その怖さもまた教えていかねばならないことなのかもしれないと考えています。

今回色々と考えたことで見えてきたこと、それは、子供たちのどこが、どんな風に未成熟であるのかを大人としてしっかり見極める必要があるのだろうなということ。

 

スマホを持つ、LINEを利用する、その使い方を習得するのは子供たちにとってそう難しいことではないと思います。

でもそれを「使いこなす」だけの能力が育っているのか、ということ。使いこなすというのは便利に利用するだけではありません。起こったトラブルに対処する能力までを含めて考える必要があるのではないかと思います。

 

自他の境界線の意識がしっかりと育たないまま、コミュニケーションスキルが充分ではないまま、その使い方だけを覚えて便利な部分だけを享受しようとしていることで弊害として起こってしまうのが様々な子供たちを取り巻くトラブルなんだろうなと。

 

今後うちの子供たちがどのタイミングでスマホを手にするかはわかりませんが、その時点でどこまでの発達を遂げているのかは注意深く観察し、また話し合わねばならないことなのだろうと思います。

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