TwitterのTLに、運動が苦手な子はボディイメージを掴みにくいのではないか、体をよくぶつけたりしてしまうのもそれが関連しているのでは…という話題が並んでいました。発達障害児の親御さんたちと困難のある子たちを支援している専門家の皆さんの会話の中のこと。
それを眺めながら、そう言えばと我が身を振り返ると確かに私も家具に体をぶつけたり、手に持っている物が棚や壁に当たったりすることはしょっちゅう。手足に見に覚えの無いあざを発見することも日常茶飯事です。あぁこんなところにも片鱗が…と。
そしてそんなボディイメージを掴みづらい私はやっぱりな感じですが運動が苦手な子供でした。走るのも遅く球技も大嫌い。
でも今の私、ミニバレーサークルに入っていたり、山に登ったり地区運動会のリレーで走ったり、わりと体をよく動かす生活をしています。先日は長男と話しているときに「母ちゃんは体育で2をもらったことがあるほどの運動音痴だ」と言うととても驚いていました。彼曰く、彼が知っているほかの同世代の保護者母さんたちの中でわりと運動が出来るような印象があったと。
クラスでも底辺だった運動音痴だった私と今の私、何が違うんだろうというのを考えてみました。
体育が2だった子供の頃の私
小学何年だったか記憶が定かではないのですが一度だけ、通知表の体育が5段階評価で2ということがありました。それ以外もほとんど3ばかり、良い評価をもらったことは皆無でした。
運動は小さい頃から本当に苦手で、走るのはいつもクラスで一番遅く、逆上がりがやっと出来たのもみんながとっくに鉄棒に飽きてから。球技をすればプレーに穴をあけてみんなに謝りたおすはめになり。唯一得意だったのは遠投くらい。ほかは何をやってもみんなに遠く及ばなかった記憶があります。
マラソン大会ではいつもビリ。一生懸命走ってもどうせみんなに追いつけないからとふざけながら走ったりして先生からひどく叱られたこともありました。(今になって振り返ると、これは低過ぎる自尊心ゆえに傷つくのを避けたくてそういう行動に出ていたのかなと思ったりします)
体育の時間は苦痛で仕方なく、マラソン大会なんて地獄、大勢の前で情けない姿を見せねばならない運動会は晒し首みたいなものだと思っていました。
なぜか入った運動部で覚えた面白さ
転機が訪れたのは中学のとき、先輩に誘われてなぜか入ったのが練習が厳しいと噂されていたらしいソフト部。一日7キロのランニングやタイヤを引っ張ってグランドを何往復もするような、今から考えたらなんで中学生女子がそんなことを…みたいなメニューを課せられる日々。顧問は筋肉隆々の元国体選手だった体育教師、というマンガみたいな環境の中で弱音を吐くこともずる休みすることも許されず、ただただ毎日体作りにいそしんだ2年半でした。
だからといって足が極端に速くなるわけでもなくエラーばかりの私は劣等生で、私を追い越して下の学年の子たちがレギュラーに選ばれるのを応援する日々でした。
その中で覚えたのはゲームの戦略を考える面白さ。控え選手としてスコアラーをやっていた流れで、相手チームの特徴を調べて攻略法を考えたり、自チームの個性が活かせるような動きを考えてはみんなに提案して勝ちに繋げる面白さを知りました。
そうやって戦略を考える中で自分の不得意な部分をどうカバーしていくかを考え、実践して試合に出してもらえるようにもなり、3年生の県大会で劣勢だった試合を自分の機転で途中からひっくり返したときの快感は未だに覚えています。
体育が2の私が、リレーの選手に…
高校では文化部、受験に向けて勉強メインな日々になったのでそこからしばらくは運動らしい運動はせずに大人になり、結婚や出産に至るまで大した運動はせずに過ごしてきましたが、産後少ししたころから地区の運動会や子供たちの運動会で競技に参加する機会が出てくるようになりました。
足の遅い私、なるべく走る競技は避けてきましたが人数が足りないからと駆り出されることも。そしてある日「年代別対抗リレーの選手ね」と近所のおばちゃんに肩を叩かれてしまいました…。体育が2の頃から私を知る夫はとても心配してましたが「まぁ怪我しない程度に走りきれば良いよ勝てなくても」と現実的なご意見。でもどうせ出るならちゃんと走りたい。
そこで調べました。走り方。読みました、それ関連の本。
読みあさって、研究して、そして挑んだ運動会当日。飛び抜けて速かったとはとても言えない結果だったけど、私の走る姿を見た夫は「足が遅いようには見えなかった!」と驚いていました。
体の動かし方を知るということ
未だにスポーツが得意ではありません、苦手です。
でも、好きです。
子供たちと一緒にサッカーをして走り回ることもあります。
山登りの楽しさも最近覚えました。
保護者の会でミニバレーに挑戦してみたり。
どれも共通して言えることは、体の動かし方を理解しているから出来るということ。
訳も分からず強いられたり見よう見まねでやるのではなくて、事前に丁寧に理論を調べ、体の動きを考え、手はこう、足の動きはこう、この動きでこんな作用が、と脳内で何度もイメージして、そしてそれを形にしていく。だからそれなりに出来て楽しめるんだなぁと。
小さい頃はそれが見て簡単な指導を受けただけでは掴めず、どうやって動いて良いか訳が分からないままだったんだろうなと思うのです。どうしていいかが分からないまま、出来ないを積み重ねていっていたんだなぁと。
発達性協調運動障害
不器用だったり運動が苦手だったりする種類の困難を「発達性協調運動障害」というそうです。これが運動音痴とイコールなのかは私も不勉強で分からない部分もあるのですが、体幹が弱いとかボディイメージが掴みづらいとか、色々な要素が絡まっているのかなと思っています。
この辺についてはなないおさんの記事でとても丁寧に触れられていたのでご紹介します。
理論が分かれば出来ないが出来るに変わる、かもしれない
これなんかで読んだぞ、と思って思い出したのが、小道モコさんのこの本

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この中でモコさんご自身が運動は苦手だけれど器械体操は得意だということを紹介されています。理由は丁寧にやり方を教わったからだとご本人が考察されています。
私が読んだ中で一番ぴたっときた走り方の本はこれ。
体の動かし方が写真付で紹介されていたのでイメージをするのが楽でした。
また、体のそれぞれの部分の動かし方にそれぞれどんな意味があるのか、どうすることでどんな作用があるのかが丁寧に解説されていたので筋道立てて理解することができます。
この方法を知らないままで何度走り込みをしても私は多分おかしな走り方をし続けていたと思います。理論を知り、意識しながら一つずつ手足を動かし、ときに鏡を見たり誰かにスマホで動画をとってもらったりしながら、自分の体の動きを組み立てていく。
運動が得意な人、定型発達と呼ばれる人にとってはそんな体の動かし方、自分の手足の動くイメージというのは簡単にわかることなのかな、私にはその感覚はよくわかりません。でも自分で研究したり、理論的に誰かが考察を積み重ねてきた方法を知り、それを実践することで「出来ない」「苦手」だと思い込んでいたことが「出来る」に変わっていくのかもしれない。
全く出来ないと思い込んでいたことが「それなりに出来る」まで持っていけるかもしれない。
唯一得意だった遠投も、たまたまではなくもしかしたら誰かに丁寧に教えてもらったからかもしれないなぁと記憶の糸をたどってみたりしています。
運動が得意とは言えないうちの子供たちも、良い指導者を見つけられたスポーツは確かに伸びています。教えられ方って大事なんだろうなぁと改めて。
学校の体育のなかの苦手な部分も、こうやってやり方を丁寧に調べてやってみることで底上げに繋げられるのかもと企んでいます。