スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

貧困の実情と寄せられる声に思うこと〜ゆたろうさんのアンケートから


母子家庭の貧困について、Twitterで仲良くさせていただいているゆたろうさんがこんなアンケートを実施されていました。

 

それに対する反応やゆたろうさんによる解説のまとめはこちら。

ゆたろうさんのTLではまとめに入りきれていないたくさんのツイートが寄せられている様子が垣間見えます。

 

寄せられるたくさんの「解決策」

ゆたろうさんの「500円で夕飯」アンケートには、私ならこうする、こうしたらどうだろう、というたくさんの解決策が寄せられていました。その日を500円でやり過ごすための工夫から子供の食育まで考えた調理法や翌日の朝食まで考慮に入れたやりくりの仕方、目から鱗のたくさんの工夫、これだけで「節約術」のデータベースが出来るほど。

これをまとめることで節約の仕方に苦慮している主婦(夫)のみなさんの一助となるのだろうなぁと感じます。

と同時に覚えた違和感がありました。

それは「これ、最貧困の当事者にとってはどう感じられるのだろう」ということ。

 

「500円の予算」

たくさんの解決策のなかの多くは、「母1人小学生3人」が「500円で夕食を食べる」ならという限定的な条件のもとに「それならこうする」という案だったのではないかと思います。その案を、じゃあこうしてみようと取り入れることで改善に繋げられる方も少なからずいらっしゃるのだろうと思う。

 

でもその500円の予算が、果たして翌日もあるんだろうか。1ヶ月の収入からきっちりはじき出されたその日の予算なんだろうか。他の部分が充たされた状態での「500円」なんだろうか…

 

あちこちの支払いを滞納をしながら、教育のための予算も医療費にも貯蓄にも割けない状態でなんとかひねりだしている500円の可能性も大いにある、そんな綱渡りの生活の中で500円を握りしめたシングルマザーにとって「私ならこうする」というたくさんの解決策はもしかしたらとても眩しいのではないかと思ったのです、目がくらんで気が遠くなるほどに…

 

悪意のないアドバイスに秘められたメッセージ

たくさんの「こうしたらどうだろうか」というアドバイスのなかには、おそらくは全くの悪意もなく、純粋に「自分ならこうするな」という考えであったり「こうしたらいいんじゃない?」という善意からの助言もたくさんあったんだろうと思う。

 

でも、です。

真っ暗中な闇の中でどうしようも為す術も余力もなくしてうなだれている当事者の多くは自尊心が叩き潰されたボロボロの状態。自分を肯定することもできず最後の力で周囲に援助を求める手を伸ばしたその先で目の前に示される純粋で無垢で悪意のない、あったかい助言は「これならできるでしょう?」「まだなんとかなるでしょう?」というメッセージをもって当事者に突き刺さってしまうのかもしれない。眩しさのあまり為す術すらもたない、そのためのベースすら持ち得ていない当事者に届くときには違った意味を含んでしまうかもしれない。助言をする本人にその意図が全く無くても。

 

ゆたろうさんのアンケートと時を同じくして朝日新聞によるこんな記事が流れてきました。

この中に自治体職員の心ない対応が描かれています。

国民健康保険料を滞納したために呼び出された役所では、「収入10万円でも払っている人はいるんだ」と職員に言われた。 

 

この記事だけを読めば、職員の冷たさ、対応の悪さ、そのせいで苦しめられている様子を感じることになると思います。では本当に、その職員は相談に行った女性を蹴散らそうとそんなことを言ったんだろうか…

本当のところは私にも解り得ません。 悪意があったかもしれない、生活保護をどんどん出すわけにはいかないというお役所側の事情もあるのかもしれないし、それが冷たく聞こえたのかもしれない。

でもアンケートの回答を見ていて思ったのです。まったく悪意など無い、むしろ善意からの助言だった可能性すらあったのかもしれないなぁと。

 

「収入10万円の人もなんとかやりくりして払っているケースもあるんですよ」という「あなたにも工夫次第でどうにかなるかもしれませんよ」という助言だった可能性、「私なら500円でこうするよ」という工夫と同じように、うまくいかせたいならこういうのもあるんじゃない?という純粋な助言だったかもしれないのです。

 

「私ならこうする」→「まだなんとかなるでしょう?」

このアンケートの中で見えてきたことの一つとして、目の前に与えられた条件を元に「私ならこうする」がとてもフランクに表に出てくるのだということがわかり、そしてそれがとても興味深いと感じました。

 

貧困に限らず、問題を抱えた当事者の「助けを求めたのに『まだなんとかなるでしょう?』と言われて一蹴された」という話はあちこちで見聞きします。当事者の目線だけから考えたら「なんて冷たい対応をされたのか」と思える状況ですが、もしかしたらその相手にとっては与えられた条件の中で自分ならこうするよという何の気無しのアドバイスだった可能性もあるのではないでしょうか。

 

その善意の助言が心身ともに弱っている当事者に届くときに「工夫次第でなんとかなるでしょう?」という印象にすり替わってしまうのかもしれない。

 

そしてそれを何度も繰り返した末に当事者は朝日新聞の記事の女性のように「誰も頼ってはいけないのだ」と閉じこもりがちになってしまうのかもしれない。

 

誤解する方が悪い?

助言を出す側にそんな意図は無い、だから誤解する方が悪い、うん、発する側からしたらそういう話かもしれません。与えられている条件からしか判断のしようはないわけだから、案を出すにしてもそれしかそこから考えるのもまたごく自然なことだろうと思う。

相談を持ちかけられて、本人が自分の事情と鑑みて出せる分だけの条件下から、じゃあ月いくら稼げるならいくらは食費に回せるでしょう?いくらは払えるでしょう?月の食費が割り出せるなら1日いくら予算があるはずだからまとめ買いを週1回いくら分できるでしょう?医療費は家族の状況から取り分けておけるでしょう?と自分の知識や経験の範疇から判断して助言を行う、その行為そのものを批難したり否定したりすることはできないと思います。それが功を奏して困難から脱却できることもあるかもしれない。

 

ただ。

相手がそれを本当に求めているのか、相手に必要なのはそれなのか、鍵はそこだと思うのです。

 

最貧困の実情と3つの無縁

ルポライターの鈴木大介さんは著書「最貧困女子」の中で最貧困に陥る人たちには「家庭の無縁、地域の無縁、制度の無縁」の3つの無縁があると記しています。家族から適切な教育や支援が受けられず、地域に支えられず、社会制度を利用出来ない状況に陥っている。

この3つは、ゆたろうさんのアンケートに答えられる環境と知識を持っている方にとってはおそらくはごく当たり前に得ているものではないかと思います。私も同じです。当然、思いつく解決策はそれらから享受して培われた経験や知識を元にして考えられることになる。アンケートに対する解決策が色々な視点から多岐にわたって練られた興味深いものになったのも、それぞれが色々なベースを元に何に重きを置くかを想定しながら思考を巡らせた結果だからではないでしょうか。

そういう多岐にわたる回答には、個々人がそれぞれに重きを置いていることが違うということ、また「人はみなそれぞれが自分のベースを元に考えている」という背景が顕著に現れているという意味でもとても興味深い結果がたくさん集まっているように思えます。

 

アンケートの意義深さと感じた危惧

ゆたろうさんのアンケートは架空の想定での設問でもあり、シングルマザーの貧困の実情を感じる、意識の端に置く、そのための問題提起であったと感じています。

あのアンケートに関わった方が貧困の問題を少しでも身近に感じてもらえたら、これから先なにかの折にここで感じたことを生活の中で意識してもらえたら、そんな気持ちがあったのかな、と。

私も、そうあって欲しいな、と思います。ゆたろうさんが掲げているような、私たちが想定すらできない、当たり前にもつ3つの繋がりから断たれた環境で暮らしている家庭は日本中のあちこちにあるのだから。

 

このアンケートに対して出て来ている解決策そのものが良いとか悪いとか、そういう話ではけしてないのです。集まった声を日常の暮らしの中で活かせる人もいれば「だから自力でなんとかなるだろう」というメッセージとして受け取る人もいるかもしれない、その境目みたいなものが気になるのです。

 

アンケートに掲げられた条件から「私ならこうする」をたくさんの人が言葉にしていました、それがもし当事者本人に向けられたものだったら…

もしリアルで、ネット上で、同じような状況にある方に遭遇したとして、その人の現状を目にして同じことを言ってしまうかもしれない、ということ、もしくは相談を持ちかけられたときに相手がポツポツと挙げていく限定的な状況を元に自分の知識や経験だけを元に「私ならこうする」という助言を安易にしてしまわないか、ということ、それを意識していくことが当事者の救いに繋がるのではないかと思うのです。

 

求められているのは何か?

目の前にいる困窮した人たちが求めているのは何なのか、活かせる助言なのか否か。

自らの求めるものを自力で考えることすらできなくなっているかもしれない人たち、具体的に言葉にして援助を求めるためのベースすら持たないかもしれない人たちに対して自分が出来るのは何なのか。自分が発する言葉がどういう意味を持つかもしれないのか。

 

もちろん、書籍や色々な情報源から最貧困の現状を知っておくことも支援の一助に繋がると思います。

でもそれを知識として知らなくても相手が求めていることは何かを一歩引いて考えること、自分に出来ることはなにかを言葉にする前に考えること、それを意識していくことで当事者により寄り添えるのではないかな、と考えています。

 

最貧困女子 (幻冬舎新書)

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最貧困シングルマザー (朝日文庫)

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