スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

夫の「聴いてなかった」に対するイライラ案件を掘り下げる


お昼休み明けにTLを眺めていたら、RTされて流れて来たとあるツイートが気になりました。お子さんの小さい男性が奥さんから指摘された、自分の話を全然聞いてないという苦情についてのツイート群。

 

ハナイリスさん引用の快諾ありがとうございます。

とても気になってそこから色々と考えてしまったのでそれをまとめてみたいと思います。

 

とりあえずの前提として

・奥さんと和解し平穏に暮らしたい

・聞いてないのだからなんとかしてほしいと言われても具体的な「聴く」対策が無い

と仮定してみます。2つめに関しては妻側の視点からは「あり得ない」と思われるかもしれません。怠けているだけだ、努力すればなんとかなるはずだ、と思えるかもしれません。が、そこで立ち止まったらそこから先には進めない。とりあえずそれについて考えることからスタートします。

 

「聞いてない」のではなく「聴こえていない」可能性

声が耳をスルーしていく怪奇現象

私が「#アホ男子母死亡かるた」のタグでネタを投稿したりしていたとき、かなりの数寄せられたのがこの、聴こえていない問題だったなぁと思い返します。もちろん男児に限る話ではないんですが、うちの4人+夫を見ててもとにかく男子の耳スルー率の高さたるや。生返事が返ってくることも多いので、こちらからしたら聴こえている前提で話をしているのだけれど、あとから確認するとその内容はまったく彼らの脳に記憶されていなかった。最初に紹介させて頂いたツイート主さんも同じ現象です。

 

聴力の問題?

息子たちの耳スルー率が異常に高くイライラが募っていた時期、たまたま行った耳鼻科でそれを相談したら「じゃあ聴力検査してみようか」と言われお願いしたことがありました。痛みを伴わない中耳炎などの耳の病気で聞こえが悪くなる可能性もゼロではないなぁと思ったのですが予想に反することなく診断結果は異常なし。聴力に困難があり聴こえていないわけではけしてない。

 

当たり前といえば当たり前なのです。

彼らは学校で授業を受け指示通りに動くこともあり会話も成り立つ、聴力に問題があればその日常生活の中で何かしらの困難が拾い上げられていたと思われる。それはない。

 

じゃあ意識の問題?

聴力に困難が無いなら、じゃあ聴こえているはずじゃないか、と思うと思います。私も思いました。そもそも生返事でも返答が返って来てるということは何かしらを話しかけられていることは分かっているということでもある、聴こえてるじゃん!

ということは意識をこちらに向ければ耳に入るんじゃないの?記憶できるんじゃないの?やっぱり「努力すればなんとかなることをやってないんじゃないの!」

 

と思って私はさらに「だから努力しなよ」と思ってたなぁと…。恐らくは最初に紹介したツイート主さんの奥さんも似たような感じじゃないかなぁと思うのです。

 

「聴力」ではなく「聴覚認知」の問題の可能性

「返事はあるのに聞いてなかった」現象について考えられることとして、聴覚の認知能力に問題がある可能性があります。「聞いてない」のではなくて「聴こえていない」のかもしれない。聴力に問題が無いのに聴こえてない、って不思議かもしれません。

認知特性については過去に書いたことがありました。

 この中で紹介している書籍(Amazonの画像変わってました)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

 

 この中で簡単なセルフチェックで自分の認知特性の傾向を知ることができます。認知特性やその偏りというと発達障害の話のように感じられるかもしれませんが、以前から何度か記してきたように発達障害という枠のなかで支援を必要とするかしないかという話ではなく、どの人にもそれぞれに認知特性の偏りはあるのではないかなと私は思いますしこの本でもそのように取り上げられています。

 

認知特性にはさまざまな項目がありますが、今回はその中の「聴覚の認知」、聴力に問題があるわけではないけど耳からの情報が入りづらい状態のことです。本人にとっては生まれてからずっと続いているし他人とどう違うか確認がとりづらいことなのでなかなか自覚はないと思いますが、会話や授業など意識を集中させているときにはある程度聞き取ることができていても、意識をそちらに傾けてないときには耳から音声が入って来てもそれが言葉として脳に伝わらず、結果として反対の耳から通り抜けて記憶されないままになってしまう…

 

それが結果として「生返事ばかりでちっとも聞いてない!」「意識すればできるのにできてない!」になってしまっているのかもしれません。

 

「やらない」じゃなくて「できない」だとしたら

今回は聴覚認知の問題の可能性について掘り下げましたが、この限りではないかもしれません。他にも「できない」理由がさまざまにあるかもしれない。ツイート主さんのケースの詳細はわかりませんが、妻から何度も要求されてもそれが実行にうつせてない現状は本当にやる気の問題なんでしょうか。

やる気の問題であり和解を臨んでいて要求の内容が明確なら、能力がある人ならやるはずです。でも、やってない。

 

それは、私は「やらない」んじゃなくて「できない」だと思うんです。

 

そこを「できるはずだ」と思っているうちは解決はないと思います。前回のエントリで書きましたが部屋を構造化することで片付けができなかったはずの私の家が片付いたように、意識を持つとか努力するとかの個人の頑張りに委ねていても解決しなかった問題が、「これではできない」を自覚し、自分の性格や習慣を考え「できる方法を探る」ことで解決に導くことはできると思うのです。今のやり方でうまくいっていないのなら、それはその家庭には合ってない。そのやり方では「できない」ままなのです。

 

「できない」→「受容」→「構造化」

何が理由かはケースバイケースだとして、要求されていることが「できない」なのだとしたらまずその事実を受容せねばなりません。沽券に関わるかもしれませんが、何かしらの要素があり恐らくは奥さんが要求していることは夫である自分にとってはハードルが高過ぎることなのだということ。能力が足りないということ。無理だということ。

 

それは自分の能力が低いということを認めることにもなるかもしれませんが、相手の求めるものが高過ぎるという可能性ももちろんあります。能力の高低ではなく、手法が夫婦双方にとって適切ではない、ということだと思うと楽かもしれません。

 

「できない」ことが悪いのではなくて方法が合ってない、必要なのは片方の努力ではなくて「夫婦間コミュニケーションの構造化」です。

 

できないことを要求されているのだから、それは相手に理解してもらわねばなりません。自分には何かしらの理由がありできないのだということ、無理なことを要求されているということ、問題解決の意志はあるがその方法では難しいということ、改善のための擦り合わせをする必要がありそのためには妻側の協力が必要だということ。

 

構造化の方法を考える

どうやったらできるだろう、これはとても難しい問題です。

声の掛け方を工夫する

例に挙げたような聴覚認知の問題であれば、よく勧められるのは声の掛け方です。聞こえに問題のある子への学校や家での対処法として、遠くから大きな声で名前を呼んだり話しかけたりするのではなく、近くへ行き肩を叩くアクションと同時に名前を呼び、相手が作業をやめ顔を向けてこちらに意識が向いたところで会話を始める、という手法があります。

 

LINEを利用する

また、うちの夫は聴覚認知に問題はありませんが夫婦間で話す時間が取れずに伝えられないことが多いので思いついたときにLINEに書いとく、というのも多いです。お互いに言った言わないの話にはなりにくい。聞こえに問題がある方のなかで視覚優位の方も多い。耳から入る情報より画面上に写る文字を読む方が理解しやすいケースもよくあります。

 

聴覚優位か視覚優位かのチェック法

聴覚か視覚か、どちらが認識しやすいかの判断法として仕事上の指示が聞きやすい方法は何か?と考えてみることをお勧めします。

私は資料を手に上司がこんこんと喋られるのが苦手です。その場で聴くのも辛いし、あとからそれを思い出しながら作業しても漏れが多くてミスが頻発してしまうこともよくあります。指示をメモにきっちり書いてもらえたり、その場でメモをとりれたらミスが減らせる。

口頭での指示が吞み込みやすいのか、書面での指示が理解しやすいのか、自分が、配偶者が、どちらのタイプなのかによって対応を工夫するとスムーズにやりとりできるかもしれません。

 

「ふせんの提案」がなぜダメだったのか

長々と書いてきましたが、構造化でいいなら最初のツイートにあった「ふせんをはればいい」という提案でよかったじゃない、と思われるかもしれません。

なぜ「ふせんを貼って」という提案がダメだったのか、を最後に書いて終わりにしたいと思います。

 

「できない」を認めていない

こうしてくれたらいいと思う、という提案には、構造化に至るまでのステップに必要だった、自分の「できない」を認める「受容」のステップが抜けているんですね、ここが問題です。

 

相手が変わってくれたらいいという視点

受容のステップが抜けているので、自分には非が無いという前提に立っていることになります。(非というと「お前が悪い」と受け取られるかもしれませんがここでは「要求に応えられない」というマイナス要素という意味合いで考えて下さい)自分にも非があるともし思っているとしても相手にそれは伝わっていません。

 

自分に非が無く変わる必要が無い、と考えているであろう相手から「こうしてくれ」と改善方法を自分に投げられてしまってそれを快諾できる人はめったにいないと思います。相手が変わってくれたら解決する、という視点に立っている以上問題は改善せず拮抗状態が続きます。(これは妻側にも同じことが言えると思います)

 

おわりに

うっかり長々と書いてきましたが、私があえて掘り下げて考えただけで当該のツイート主さんが解決を望んでいるかはわかりませんし愚痴って終わればそれでよいというケースの可能性も十分にあると思います。

 

そして大前提として、奥さん側としても具体的な改善策は求めていないかもしれない。ただ自分のイライラした気持ちを夫にぶつけてそれを聞いてもらえば良かっただけかもしれない。

 

本当の解決方法はおそらくは夫婦の数だけあるわけで、私がここで書いてきたのはほんの一例でしかないのだろうと思います。自分たちの認知特性の傾向や生い立ち、性格や今の生活の環境…色んな要素をコツコツと割りながら考えていくことで自分たちだけの最適な方法、うまくコミュニケーションがとれる「正解」にいきつくことができるのかもしれません。

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