スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

朝日新聞のお悩み相談、壇蜜さんの回答に思うこと


セクハラに悩む中1女子と、壇蜜さんの回答

昨日TLに壇蜜さんの名前が並んでいるので何事だろうと思ったら、こんなことだったようです。

相談者は中学1年生(12)女子、特定の男子生徒からの日常的なセクハラに悩んでいるようです。

そのハラスメントの内容は

「今日のブラジャー何色?」と毎日のようにクラスのある男子に聞かれます。最近では「胸をもませるかパンツを見せて」と言ってきます。 

というもの。日々これを繰り返されることにイライラが募っているという相談者の女の子。

 

壇蜜さんがこの子に対して

悪ふざけには貴女の「大人」を見せるのが一番だと考えます。次に見せて触らせてと言ってきたら、思いきってその手をぎゅっと握り「好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね」とかすかに微笑(ほほえ)んでみてはどうでしょうか。 

 と「大人の女性としてあしらうこと」「手を握ること」を勧めているんですね。

 

回答に憤りを感じるたくさんの声、そして炎上

Twitter上にはセクシャルハラスメントに対して「大人として対応してね♡」という壇蜜さんの回答とそれを賞賛する声が、その後その対応の仕方や壇蜜さんの回答を秀逸だ、さすがだと賛美する声が並ぶことへの憤りや違和感を覚えた方々の怒りの声が続きます。

 

私が覚えた違和感

一通り読んでみて私が感じたのは、これ、壇蜜さんの回答が良くない、で終わって良い話なんだろうか、ということ。

相談者は中1の女子、投稿され掲載されたのは朝日新聞、答えたのが壇蜜さんという芸能人…そしてこの回答欄。

問題の焦点とすべきは、回答の仕方が良くない、ではないような気がしました。

この違和感を整理していこうと思います。

 

想定されるいくつかの制約

まず、このお悩み相談が新聞紙面上に掲載されているという制約がひとつ考えられます。紙面のスペースはあらかじめ決まっているので、当然文字数の制約があります。

 

次に、回答者が発言するのが「相談者に向けて」であるという制約がもう一つ。回答者である壇蜜さんが言葉をかけているのはあくまでも相談者である中1女子ただ一人です。他の誰に対する発言も省かざるを得ない、という制約がかかっての文章であると思われます。

 

この回答欄の中では、相談者の女子以外誰に対する働きかけもできない状況、つまり、ハラスメントの加害者である男子生徒にも、その保護者にも、現場となっているであろう学校関係者にも、働きかけることは制約上できなかった。

 

もうひとつの制約が、回答者が「壇蜜」というキャラクターを作ることで商売をしている芸能人であるということ。新聞社と契約して続けている連載でしょうから、当然担当編集者はついているでしょうし、「壇蜜」としての回答を求められていると思われます。

 

私が思い至らない、ほかの制限制約もおそらくは存在しているでしょう。

 

様々な制約の中でのお悩み相談欄

それら想定される様々な制約の中で、新聞紙面上で読者を楽しませる一つのエンターテイメントとして続いているコラム欄がこの、人生相談・お悩み相談のコーナーなんだろうと思います。

まとめ記事のなかのツイートにもありましたが、この手の紙面上のお悩み相談が人気コーナーとして続いているのは、「必ず解決する回答が得られる」という絶対的な回答を用意しているというよりは「そういう視点もあるのか!」と、相談者や読者が新鮮に感じる新たな視点を提供する程度のものとして提供されているからなのかもしれません。

 

今回の回答がどんな問題をはらんでいるのか

今回の炎上の理由は、前述しましたが壇蜜さんがセクシャルハラスメントを紙面上で否定しなかったこと、そして「大人としてあしらう」「手を握って微笑む」という解決法を提供してしまったこと、そして最後に「その困った君はきっと貴女が好きで、ちょっかいを出すしか愛情を示せないのでしょう。」と回答してしまったことではないかと思います。

 

セクシャルハラスメントを紙面上で否定しなかった

「今日のブラジャー何色?」「胸をもませるかパンツを見せて」

この発言がセクシャルハラスメントであることを否定する方が難しいと思います。しかし悲しいかな、こんな発言をしても良いと思っている成人男性が未だ存在しているのもまた事実で、そんなハラスメントに悩まされて来た女性、今も悩んでいる女性はたくさんいると思います。社会問題でもあるセクシャルハラスメントについて、大手新聞メディアが紙面上で否定しなかった、という点の手落ちは大きい、と私は思います。

 

「大人としてあしらう」「手を握って微笑む」という解決法を提供してしまった

この部分は、学校や周囲を変えることはできないという前提やさまざまな制約の中で相談者の女子が迷惑行為から自力で逃れるためにまず小手先でできること、として絞り出された解決策なんだろうなということは想像できます。

ただ、その制約はわかるけれどもこれが最適なやり方だったのかについて私は疑問が残ります。特に「手を握る」という部分についてものすごく抵抗があります。そんなことしたら逆効果ではないかとも思います。

 

「その困った君はきっと貴女が好きで、ちょっかいを出すしか愛情を示せないのでしょう。」と回答してしまった

これは、性的なハラスメントを受けた経験のある女性に対してのNGワードではないかと私は思います。事実か事実でないか、と言えば、可能性としてあるとは思います。

相手の関心を引きたいがために嫌がる行動をとりそれがエスカレートしてしまうというのは年齢や男女関係なく子供の間でよく起こることです。相手が嫌がれば「反応してくれた」と捕えて行動が強化されてしまう。

そこに前思春期から思春期にかけて恋愛感情が重なってくるのと、情緒的発達の個人差が大きくなってくるとで、相手を好きだと思う感情をうまく扱えない子がこのケースのような嫌がらせをする形でのちょっかいをかけてしまう、というトラブルは起こりやすい。

 

でも、それはあくまでも加害側の問題です。

被害に遭う側がその加害側の問題を一緒に背負ったり、肩代わりしたりする必要は全く無い。不快に感じることからまずは全力で逃げていいはずなんですね。

背負うのと思いを馳せるのとは違います。

ここを混同していることが問題なんですね。

 

加害行動の要因を一緒に背負うことと、要因に思いを馳せることの違い

加害者にも加害に至るそれなりの理由があるということ、問題行動を起こすにはそれなりの背景が恐らくはあるということ。この視点は、加害による心の傷を癒す過程で自分を助けてくれることはあります。

 

加害者を人格からまるごと否定したり、根幹から嫌いだと思ったりすることも被害の辛さから逃れるためのひとつの方法ではありますが、それは自分そのものを消耗するリスクの高い選択肢でもあります。

 

問題行動の起こった背景があるということを意識したり、その背景となる要因に思いを馳せたりすることで自分自身の消耗を避けたり、しんどさを往なしたり、自分のあり方を保ったりしていくというのも、加害による心の傷から立ち上がっていくためのひとつの手段ではあります。

 

それを、論理的にではなく経験則的に知っている人たちがよく、この手の助言をついしてしまっているように思います。現場で傷ついている人に直球で「〜〜にも事情があるんだろうから」と伝えても受け止めきれるとは限りません。それは自分自身である程度の余力ができてはじめて足を踏み込んでできること。相手がそれを受け止められるステップに無いときにこれを提示しても、「相手の事情をお前が背負え」と言われているようにしか感じられません。

 

繰り返しますが、加害者の事情を被害者が背負う必要は無いのです。まず全力で逃げていいんです。そこを混同させる助言になってしまっている、というのがこの回答欄の大きな問題点です。

 

どういう回答ならばよかったんだろう

私自身がもし同じように問われたら、この中1女子に対しては内容は違うかもしれませんがやはり小手先の対処法を提示するかもしれないと思います。

あの回答欄の中で「学校や信頼できる大人に相談しましょう」と書いたところでそれが実現するとは思えません。周囲の大人とすでにそのような信頼関係を築けている子なら新聞投稿に至る前に解決しているでしょう。

気軽に話せる親、相談して行動してくれる学校、がまず周囲にはない、という前提のもとで考える必要があるのではないかと思います。

ただ、大前提としてこれは性的なハラスメントであり全力で逃げていいこと、相手の加害男子にはそれを自覚して問題行動を止める必要があることや、彼の周囲の大人がそれをフォローする必要があるのであってそれを背負うのはあなたではないということは言い添えるだろうとは思います。

 

結びに〜メディアとしてのあり方を思う。

今回の記事が大衆向け週刊誌などではなく、朝日新聞という歴史も古い大手の新聞に載った、というのも話題になった要因のひとつだろうと思います。

 

新聞社が、あの投稿を得て、壇蜜さんを回答者に選んで、あのコーナーを仕上げた

 

そのことそのものの持つ意味についても、疑問の声が多く上がっていたのではないかと思います。(これについては最後に補足を添えましたが回答者が壇蜜さんであることはわかったうえで相談を募っているようです)

 

大手のメディアとして、なぜあのような記事の仕上がりにしたのか。

あの相談を他の形で購読者に伝える必要はなかったのか、その可能性は検討しなかったのか。

 

相談者の親や学校に連絡すべきではというコメントもありましたが、個人情報の取扱いについての制約もあるでしょうから彼女に直接なにかをできるかについては私にも分かりません。ただ、性的ハラスメントという大人の中でも社会問題にもなっている事態が中学生の間でも起こっていること、そして悩んでいる子が投稿してきていたという状況について、あの形が新聞社としての回答だったのかについてはやはり疑問が残ります。

 

私も最近、このブログ以外の場で編集さんと相談しながら記事を書く経験をさせてもらいながら、誰かに向けてマスメディアを通して記事を書く、伝える、ということについて色々と考えているところでした。

 

自分勝手に書くブログとは違って、媒体の上で、そのメディアに合わせた情報を提供し、それが紙面に合わせて編集され、メディアの一部として流れていく。

あのお悩み相談は「壇蜜さんが言ったこと」ではなく、「朝日新聞が大衆に向けての読み物として提供していたこと」であり、その持つ意味についてこれからも掘り下げて考えて行く必要があるのかなと感じています。

 

余談ですが、さまざまな方が、この件について「自分ならどう答えただろう」と自問しておられました。私自身も考えました。

その、自分が問われたら、と思いを馳せること、それそのものが、この手の人生相談お悩み相談コーナーの存在意義であるのかもしれない、とも感じています。

 

補足(2016.08.10)

このお悩み相談、回答者があらかじめ壇蜜さんと分かっているもののようです。私はデジタル会員として記事を読んでいたのですが、最後を見落としていました。よく確認すれば分かっていたことですね…反省です。

 

トピシュさんの記事でそれがよくわかるよう書かれていますしさらに深い洞察が添えられているのでリンクを貼っておきますね。さすがだなぁ…

topisyu.hatenablog.com

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