本屋へ行って来ました。
小1三男と小4娘を連れて、久々に本屋さんへ。
田舎暮らしゆえ蔵書の多い立派な本屋さんまで行くのはちょっとした小旅行。
今日は時間もないし、近所の小さな本屋さんまで。
娘は「歴史の本が欲しいの」と児童向けの本棚をウロウロ。
三男が選んだ「本」…
三男は絵本のコーナーを見た後はちょっとしたおもちゃが置かれたコーナーとガチャガチャコーナーを行ったり来たり。
「あ〜〜ダメよね〜〜」
「おもちゃはダメよね〜〜」
「は〜〜〜ガチャガチャいいな〜〜〜」
と本音がダダ漏れの三男。
「もう小学生なんだからおべんきょうになる本にしたら?」と娘に促されて幼児〜児童書のコーナーをうろつく三男。
「これ!」と手に取ったのはこれでした…
「え〜〜〜それ〜〜〜」と顔を見合わせる私と娘。
娘と一緒に「これはどう?」「こっちは?」といくつか見せてみましたがどれも「やだ〜〜〜」と拒否する三男…
脳裏にいろんなことが浮かびます。
考察1 「本を買ってやる」という約束
確かに「本を買ってやる」と私は言った。
今三男が手にしているそれが「本」かどうか。
私には「雑誌」に見えるし、少なくとも学問の役に立つ本とは思えない。
約束をした時に私が思い描いていたような「本」ではない。
しかしそれを今この場で6歳児の末っ子に理解させることは難しい。
いやそもそも「本」とはなんだろうか、それを説明するだけの定義が自分の中にあるんだろうか…
「本を買ってやる」と言った私の発言に矛盾しない行動を取るためには選んだそれを買ってやるべきではないか、という一つの結論。
考察2 大事にすべきなのは何か
「本を買おう」と出向いた本屋、ここにある中から何かを買ってもらえると思っている三男、「本人のためになる良い本を買ってあげよう」と心のどこかで思っている私。
「このほんじゃダメなの〜」「これがいいなぁ」とてれびげーむマガジンを抱える6歳児を眺めながら、私はどうしたいんだろう、とふと思いました。
私が買ってあげたいと思っているような「ためになる本」を無理に買ったところで彼がまず自主的に読まないだろうことは容易に想像がつきます。
じゃあここで大事にすべきなのはなんなんだろう。
三男にどうしてあげたいんだろう。
「本を嫌いにならないで欲しい」
やっぱりそこは大事にしたいなぁと思ったんですね。
無理に好きでもない本を手に取らせて押し付けるようなことはしたくない、本に対して悪いイメージがつくようなことはしたくない。
じゃあ、「ほん」と本人が思っているものならなんでもいいじゃない、というのが、もう一つの結論。
結論「それでいいじゃない」
「うん、それでいいよ」と私が言うと漫画のようにぴょんぴょん跳ねて喜ぶ三男。
読む部分なんかたぶん全然内容な雑誌ではあるけれど、マイナスの記憶を残さないことが最優先なんだろうな〜と思うとこれが最適解だったような気がしています。
ここから先、学校の図書室や我が家の本棚、図書館、大きな本屋さん、子供たちがどんな本に触れていくのかわからないけれど、上の子たちと同じように本そのものに抵抗のない子に育ってもらえたら本望だなぁと思ったりしています。
4人目にして初めてこんなに考え込んだんだけど、そういえば上の子たちがこの手の本を欲しがった時どうしていたんだろう…記憶が曖昧であまり思い出せないのだけど、欲しがったら買っていたのかなぁ、あまり本屋にいく精神的余裕もなかったような気はしますが。
おまけ
娘が選んだのはこれ。歴史のことが知りたいの〜だそうです。
ドラえもんの社会科おもしろ攻略 日本の歴史〈1〉旧石器時代~平安時代 (ドラえもんの学習シリーズ)
- 作者: 藤子 F不二雄,浜学園
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/04
- メディア: 単行本
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私が買ったのはこれ。
一年生向けの特設コーナーで見かけました。
学校での読み聞かせでも使えそうだなぁと思って。
帰りの車の中で「お母ちゃんの買ったやつ、夜に読んでね」と三男。
4人の中で一番絵本を読んでもらうのが好きな彼が今後学校でどんな本を借りてくるのか、ちょっと楽しみではあります。
余談ですが私がほんとは欲しかったのは、こっち(笑)
娘と三男と本屋さんへ。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2017年4月27日
お母さんがほしい、これ。 pic.twitter.com/cV3OjknRKp