昨日かな、twitterのTLが生理の話で埋まってました。
発端はアイドルの子が流した動画に映り込んでた生理用品に対する反応?なのかな、よくわからないのだけれどそこから、生理についての正確な知識を持たない男性の反応、そこから昨年の熊本地震の時に避難所に送られてきた生理用品を「不謹慎だ」とシャットアウトした男性職員の話に派生して、生理の正確な知識を男性に、という声がたくさん並んでいたように思います。
生理についての正確な知識
自分自身、女性としてその「生理についての正確な知識」をどこで得たんだろう、と記憶を辿ってみましたがあまりよく覚えていません。
生理用ナプキンの使い方は母親から習った記憶があります。
ネットでもよく話題になる「女性だけ放課後集められての」性教育というのも確か小学校5〜6年の頃にあったような気がします。
その辺の指導で得たのは
- 赤ちゃんを迎える準備を子宮がする
- 妊娠しなかったらそれが排泄される
- 月に1回、1週間ほど続く
- 痛みや体調不良を伴うこともある
- 生理用ナプキンを使用してその排血を受け止める
- トイレでナプキンを交換して汚物入れに包んで捨てる
という感じのことだったような気がします。
その後、タンポンやピルの使い方、などは自力で情報を得ていったと思います。
生理についての基礎知識、子供向けの書籍も色々と出ているしネットで調べるとたくさん出てきますね。

マンガ ポップコーン天使(エンジェル)―知ってる?女の子のカラダ
- 作者: 手丸かのこ,山本直英
- 出版社/メーカー: 子どもの未来社
- 発売日: 2001/06/27
- メディア: 単行本
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正確な知識があればいい?
でも、ちょっと疑問が浮かぶのです、正確な知識を知っていたら女性は困らないのかな、と。
生理の周期、生理痛の重さ、経血の量…一言で「生理」といっても抱える困難は人それぞれです。
私は幸いさほど生理痛がひどくないのですが、知人の中には毎月寝込むほど辛い思いをしている方もいました。
年齢やストレスの状況などによっても症状は変わってきます。
生理についての基礎的な知識はコミュニケーションの中での一つの情報でしかありません。
体から出てきている経血が「受精しなかった子宮内膜が剥がれたもの」だと知っていても、女性の生理のサイクルに影響を与えているものがエストロゲンやプロゲステロンだと知っていても、平均的な生理周期が5日で出血量の平均は37~43mlの範囲と知っていても、目の前にいる女性がどんな困難を抱えていて何が必要なのかは簡単にはわからなくない?と思うのです。
そして、生理に関する無知ゆえの発言や震災の時の生理用品の取り扱いなど勘違いによる不適切な対応の背景にあるのは「無知」だけではないように思えるのです。
「しんどい」「辛い」「必要だ」という気持ち、声
そこにあるのがただの「無知」や「勘違い」であるなら、それを外部から指摘され新しく正確な知識を提示されればそれで解決するはずです。
でも、そんなに簡単にことは運ばなかったから大きな事態になってしまっているケースも多い。なぜだろう。
間違いを指摘されてもそれを受け入れられない、本人の精神的な未熟さや自尊心の低さも当然影響があるだろうと思います。自分の間違いを認め謝罪し改めるのには相当の心の強さが必要とされますから、大人になったところでその基礎を持たない人にとってはハードルの高いことだろうと思います。
子供たちがそんな風に育ってしまわないように、不適切な対応で人を傷つけてしまわないように、そのために何が必要か、と考えた時、最低限の正確な知識と共に必要なものが見えてきます。
それが「相手の辛い気持ちや声を否定しない」ということ。感情の声に耳を傾けること、気持ちを認めること、個々の声を潰さないこと、個を大事にするということなのではないかな、と。
「辛い」と言っているからには「辛い」んだ、という、第一段階を受け止めること。
「しんどい」という声があるからには「しんどい人もいるんだ」と見ること。
「必要だ」と言っている人がいるからには「誰かには必要なものなのだ」ということ。
自分の脳みその中だけで決めてしまうのではなくて、誰かがそう言ってるからにはその人にとってはそうなのだ、という容認ができること、それができるような大人になってほしい、と子供たちに対して思っています。
おわりに
かなり抽象的な書き方になりましたが、その、「それができる大人」に彼らがなるためには「それをしてもらった経験」が必要不可欠なのだろうと思っています。
転んで痛いものは痛い、病院が怖いものは怖い、辛い、悲しい、しんどい、わからない、子供たちの発する一つ一つの心の声を真っ向から否定したりあしらったりせず、とりあえずその感情そのものは受け止める。これ、「話し方聴き方大全」を読んでやってみたのと同じことなんですよね。
そう考えると、人の感情に対して「そんなことないだろう」と一蹴してしまう人は小さいころに転んで痛いのを泣いていても「痛くない!」と気持ちを押さえつけられて育ってきた人たちなのかもしれない、とも思えてくるのです。
この、相手の主張する困難や辛い気持ちを塞がない、というのは障害児の周りや妊産婦の辛さ、子連れの母親への対応 、しんどさやハンディを抱えて生きている人たちの周りに共通して言えることなんじゃないかと思っています。
NHKで取り上げられていることで話題になっている発達障害界隈でも、しんどさは本当に千差万別、知的障害を併せ持つ人の辛さや置かれた環境ゆえの辛さ、数値ではあらわしきれないそれぞれのしんどさがある。それは誰にもジャッジされることではないし、誰からも蓋をされてはいけないことなんだろうと思うのです。
辛いものは辛い、誰がどう手を差し伸べるか、どう改善していくかはそのあとの問題として、まずその辛いものは辛い、しんどいものはしんどい、という第一段階が受け入れられやすくなるために自分にできることは何か、を考える日々です。