スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

夏休みの終わりに思い出した、次男の「ずるい」と言われた宿題のこと。


夏休みが終わりを迎えている声や佳境に入って宿題の悲鳴や、いろんな夏の終わりが聴こえてくるTLを眺めています。

 

いろんな宿題に関するツイートに混じって、時期的なものなのかな、配慮を受ける子供たちに対する周囲の「ずるい」という声についてのツイートも散見されます。

 

それらを見ていて思い出した、次男の宿題のことを書いてみようかと思います。

 

苦手だった「●●新聞」

子どもたちが小学校高学年になると、長期休暇の宿題に必ず「●●新聞を作る」という課題が出ていました。(今年、5年生の娘にも出てました)

B4サイズの紙に新聞らしいケイ線が引いてあり、そこに休みの間にあったことをまとめて新聞に仕上げてくるというもの。

新聞の作り方そのものは学校の授業の中でなんとなくはやっているようで、長男は行事の写真を切り貼りしてなんとか仕上げていたのを覚えています。

その新聞作り、手先が不器用で書字に困難のある次男にとってはものすごく苦手とする宿題の一つでした。ベースになる文章を思い浮かべて別紙に書くことはできるのですが、新聞という限られたスペースの中に写真を配置し文字を美しく書き込む、という作品として仕上げる行為がどうにも難しいのです。

 

やっぱり残った、新聞作り

去年の冬休み、ドリルや漢字など苦手ながらもなんとか片付けていきながらも、やっぱり最後に残ったのは新聞作りでした。

本人が書きたいと言った行事の写真をプリントアウトして渡したところで、用紙と写真を前に悶絶する次男。

先延ばしにしていたものの明日は始業式。

このまま放置したら「宿題が終わってないのに…!」と登校前にパニクるのは目に見えています。

さてどうしようか、と考えていたところで思い浮かんだのが、通級指導教室でパソコン指導受けていたことでした。

 

そうだ、パソコン使おう。

次男の通う通級指導教室には同じように書字の困難がある子が多く、その子たちに書字訓練と並行してパソコン操作を教えてくれていました。

脳から溢れ出る言葉はたくさんあるのにそれを文字として書けない苦しさを少しでも軽減できたら、という先生の思いに後押しされて次男も少しずつキーボード操作が上手になっていたところでした。

せっかく通級でもやってるんだし、その指導情報は次男のクラスの担任の先生にも伝わっているはず。

苦肉の策として次男にはパソコンで文字を入力させ、写真の配置などは私も手伝いながらB4サイズの新聞をなんとか仕上げました。

 

「ずるい、って言われるかもしれない」

やっとできた〜〜!と喜んだ次男は翌朝、少し不安げな表情で言いました。

「パソコン使ってずるい、って言われるかもしれない」

うん、そうだよなぁ…。

送り出す前の短い時間しかなかったので、ひとまず次男には

「君は苦手なことをがんばってろうとしたし、キーボードで入力するのも簡単じゃなかったよね?この文字は手で書いてないけど君が一文字ずつ確かに入力したものだから書いたのと同じだよ。胸をはっていいんだよ」

「もし、パソコンを使うことを羨ましいと思う子がいたら、それをお家の人や先生に話してその子もそれをやっていいと思うし、それが叶わないならうちに連れておいで、君にやったのと同じように、母ちゃんが材料も全部用意して同じように教えてあげる、クラス全員きても対応できる、君だけの特別扱いじゃない、母ちゃんは嘘をつかない、大丈夫だ」

と話して送り出しました。

 

やっぱり言われた「ずるい」

事前の確認や通級での指導のこともあり、次男の新聞は担任にはスムーズに受け入れてもらったようでした。

でもやっぱり「ずるいって言われた」と帰宅した次男。

あ〜やっぱりそうか…、と思いつつ、そのことについて次男と話しました。

「私たちは手で書いているのに次男くんは楽してずるい!」という声が一番多かったようでした。

次男が「じゃあうちにおいでよ」と言うと「そういうことじゃない!」と言われたと…

うん…そうだよね…そう言うことじゃないんだよね…

浅はかだったなぁと反省しつつ、次男とそのことについて話す時間を作りました。

 

「そういうことじゃない」ならなんだろう…

なんで次男をずるいと思ったか、それはやっぱり「自分は頑張ったのに楽して課題をクリアしたように見えた」からなんだろうなと思うんですね。

そして「次男の頑張り」の部分は彼らには見えない、当たり前だけれど。

次男に「ずるい」と言った子たちは字もきれいに書ける子たちで、参観日に廊下に貼り出された彼ら彼女らの新聞はとても上手に書けていました。

でも、それを「上手に書けたね、すごいね」とは多分言ってもらえない、高学年ならできて当たり前のことだから。

 

そのできて当たり前のことが人並みにできない時点で次男はもう彼らと同じスタートラインにすら立っていないのだけれど、でもその認識をしてもらうことはなかなかに難しい、次男の気持ちも考えるとそれをどこまで押し出して良いのか親としての私もわからない。

 

次男と色々話す中で、君は君で頑張った、ずるいって言った子たちもそれぞれに頑張って宿題を仕上げてきてた、どっちも頑張ってやってきたことだからそれをお互いに認め合えたら良いのにねえという、結論の出ないぼんやりした話をして終わった記憶があります。

 

思い出しながら、思うこと。

今年中学生になった次男の宿題管理は私の手を離れ、担任の先生や部活の先生がちょこちょことチェックをしてくれているようです。

多分穴だらけなんだろうと思うけれど、本人や学校からのヘルプがない限り私は手も口も出さないようにはしています。

 

次男に「ずるい」と言った子たちのことをいまもときどき思い出します。

そして思い出しながら、次男のようなサポートを必要としないで宿題をやっている長男や娘のことを思うのです。

彼らが「めんどくさいめんどくさい」と言いながら自力で宿題をやっていることを、私はあんまり褒めてもなかったよなぁということ。

当然だとどこかで思ってしまってないかということ。

 

夏休みのギリギリ最後に頑張って宿題を終わらせようとしてる彼らをもうちょっと褒めて良いのかもしれない。デザートを豪華にして労っても良いのかもしれない。

そんなちょっとしたことが、次男のような子たちにとって住みやすい世界につながる一歩なのかも知れない、そんなことをふと思ったりしています。

 

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