スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

それでも私がゲーム(を含むあれこれ)を買い与える理由


こんにちは、今日はいいお天気。

昨日は子どもら(+オット)が楽しみにしてたスプラトゥーン甲子園九州大会にお出かけ。

今朝は会場の楽しさがまだ抜け切らない、そんな朝を迎えました。

 

スプラトゥーン甲子園」という不思議な空間

アクロス福岡の地下2階、入り口のガラス戸の外と中の雰囲気の違いが面白い。

これは去年の会場だったマリノアシティでも感じたこと。

 

ゲーム音楽があちこちでガンガンなる中で、コスプレをした大人や子どもたちが行き交う。

ステージ上で延々と続く対戦、スクリーンに映るゲーム画面をみんなで眺め、歓声をあげる。

ステージから離れたところではswitch本体(みんなスプラ限定バージョンなのがまた一興)を持ち寄って車座になってゲームする一段あり、オフ会的な集団もあり、有名プレーヤーを追いかける人たちあり。

 

プロ野球のスタジアムにもちょっと似てる、不思議な非日常感がとても好きです。

 

球場とはちょっと違うアンダーグラウンド感がじわっと流れているのは、そこで共有されているのが「ゲーム」というカテゴリーのものだからでしょうか。

 

家庭の中での、ゲームのあり方

先日、子供のゲームに関して「制限をかけられているおうちのお子さんが毎週やってきてうちの子のswitchに興じている」「他の子が違う遊びを始めてもやめない」というツイートが流れてきて、あぁそういうの息子らの周りでもあったな〜〜と思い出したりしていました。

 

親が禁止するとより固執しかねない、というのは長男が最初にDSを欲しがった時になんとなく考えたことでした。その懸念もあって我が家では子供たちが欲しがったゲーム関連のものについては【資金繰りが可能な限り(ここがいちばんのネックですが!)】買ってあげることが多いです。

 

ゲームに関しても他の趣味に関しても子供たちとの約束はひとつ。

【生活の中ですべきことに支障がないようにすること】

ここさえ守ってればよっぽどのことがない限りは私がうるさくは言わない、というのが子供たちと交わしている約束です。

 

と言っても、まぁしょっちゅう次男と三男が共有の端末を取り合って喧嘩してたりして雷を落とすことになったりするんですが。

 

子供が興味を持ったものを、どうするか。

4人の子供たちと暮らすなか、それぞれがいろんな興味を持っては私に打診してきます。

新しいゲームソフトを買ってくれ、もしょっちゅうあるし、漫画を描きたいから道具が欲しい、釣りに行きたい、大きい折り紙を買ってくれ、とか、毎日のように飛び出してくる要求はびっくり箱みたいに面白い。(そして家計を圧迫する…!)

 

先日は博物館のイベントで蝶を捕まえた小2の三男が「標本にしたい!」と言い出したんですね。

標本の作業そのものにはものすごく抵抗がありましたが、でもその興味を否定したくなかったので道具を借りて一緒に標本にすることに。

 

初めてやってみたその先には、自分でも驚くような新しい、すごく興味深い世界(沼とも言う…)が広がっていました。

(このことを話し始めるとすごく長くなるのでまたの機会に)

 

初めての標本を嬉しそうに夏休みの宿題として学校へ持っていった三男。

そこから、虫への興味がまた深まったようで学校から帰るとランドセルを放り投げて虫捕り網を担ぎ、足早にいなくなる日々が続いています。

 

それならいいけど、ゲームは…って思っちゃうやつ。

これが虫捕りだから容認できるけどゲームは…というのもよく見聞きするお話で。

うちの子流~発達障害と生きるのなないおさんちの息子くんのように興味を持ったのが数学だったらとか、プログラミングだったら!科学だったら!どんどん投資してあげるのに!とかね、親が「これなら」って思うものに興味を持ったら応援してあげたい、っていうのもわからんでもない。

 

うちの子たちもそんな風に、突き詰めたら「すごい!」って言われやすいものに興味を持ってくれたらなぁと私も思ったことあるんだけれど、まぁそんな風に思うようにうまくはいかんですねえ。

 

そして興味を持ったからってそれが「突き詰めていって何かを成し遂げるような大きな成長を見せる」なんてすごいものではないことだってザラだと思う。

虫に興味がある三男だけど、別にそこから虫図鑑を毎日眺めるわけでもなく夕方になれば網をほっぽり出してタブレットYoutubeの動画見てたりするわけで。

 

漫画でも「どうせ読むならなるべく勉強につながるものを」とか思わなくもないんだけど、まぁそううまくいかない。

 

伸びたら!と思って投資したところでそれが思うような形で回収できないことなんてしょっちゅう。

スプラトゥーンだって子供らは楽しくやってるけど別に大会に出て活躍できるようなガチキッズはうちにはいませんしねえ。

 

 

それでも私がゲーム(を含むあれこれ)を買い与える理由

でも、だとしても、持った興味そのものを否定せずにいてあげたいなぁ、と思ってしまうんですよねえ。

それはゲームでも動画見るのでも同じことで。

 

それは、自分がすごく興味を持ったことについて親や周囲の大人に「そんなもの」って見られるの、言われるの、自分だったらすごく悲しいと思うから。

 

子供たちの生活を脅かす可能性があるとしたらそれは、時間をとてもたくさん食ってしまってすべきことの時間が奪われてしまうことかな、と思うのですね。

なので、そこはやかましく言うし、子供たちそれぞれに苦手な部分についてのメンテナンスは必要。

 

飽きちゃうかもしれないし、やらない時期もあるかもしれないけど、興味あるものは(資金がなんとかなる範囲内で)なんとかしてやりたいと思う。

 

「そんなもの」が詰まった自分

大人にとって価値があるかないか、で与えられるものが決まってしまったら、多分とてもつまらない。

 

そう思うのは、自分の過去を振り返った時に「大人からしたらつまらないだろうたくさんのもの」を面白がって詰め込んできたからかもしれないとも思うのです。

 

子供に「せっかくなら勉強になるような漫画を」と思っちゃう自分が読んでいた漫画はそれはそれはくだらないものだったし(いまだにオットと「クリナップクリンミセス!」で会話が成り立つような、あの漫画とか大好きでした)、ドラクエに何時間も没頭したりもしてきた。

 

オットは日常的にいろんなゲームで遊んでるし、私もちょっと前に久しぶりにドラクエ11に没頭したの、めちゃめちゃ楽しかった。

 

そんな自分たちの子供が、親が喜ぶような実入りの大きい趣味など簡単に見つけるわけないだろう、ともどっかで思っています。

 

でもねえ、きっとどこかでその「つまらないもの」が自分を豊かにしてくれてるんじゃないかとも思うんですよね。

Twitterで誰かが「ボスケテ」って呟いたら、なんか嬉しいし。

 

ゲームを通して子供らと関わるのも楽しいし、熱中してる様子を見るのも面白い。

絶賛思春期真っ最中の長男も、ゲーム含む興味あることだったら私ともオットとも良く話すんだよなぁ。

子供らが見せてくれるいろんな面白い世界を、いつまでも面白がれる自分でありたいなぁと、思ったりしています。

Splatoon 2 (スプラトゥーン2) - Switch

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 来年も甲子園あるかな、あったらいいなぁ。

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