おでんと私
外に出て寒さを感じるくらいの季節になると、あぁおでんの季節だな、と思います。
我が家では秋口から暖かくなるまでの間、最低でも月に一度はおでんを仕込みます。
といっても所詮私が作るのです、下ごしらえなど丁寧で高尚なことはできません。
我が家の、たしか25リットルくらいの寸胴鍋の3分の2くらいまで注いだ出汁に買ってきた練り物やら豚スペアリブやら、ゆで卵やら大根やら里芋やらをザクザクと投げ込んでただただ火を入れる、それだけ。
出汁を取ることもあるけどめんどうなら市販の白だしだのだしの素だののお世話になることもしょっちゅう。
アクを取るくらいしかしないでただ煮続けるだけなのに、練り物をいれてるとしばらくしたらちゃんとおでんの味になっている不思議。
叩き込んだだけなのに、少し煮たスープを味見するとそこにおでんがあるのです。
おでんは幸せを運んできます。
おでんが台所で煮込まれている、ただそれだけのことでとても幸せになるのです。
家のなかにおでんの匂いがする幸せ。
仕事中も「晩ごはんがもう仕込まれている」という幸せ。
夜も「明日の朝もおでんが食べられる」という幸せ。
夫や子供たちにもその幸せは伝播します。
小腹がすいたらおでんを温めて食べる幸せ。
学校から帰ったらおでんの匂いがする幸せ。
そして、毎日少しずつ新しい具を足してはおでんを食べ続ける幸せ。
今日はゆず胡椒、明日は辛子、薬味を変えて楽しむ幸せ。
おでんは、私たちに気持ちの余裕と幸せをくれる。
晩ごはんを仕込んでいるようでその実、私は「おでんがそこにある時間」を仕込んでいるのかもしれない。
おでん、あぁおでん。
我が家のコンロに、夏の間しまわれていたあの大きなお鍋が久しぶりにおでましです。
晩ごはんの後片付けをしながら買ってきたあれやこれやを投げ込みました。
というわけで明日の晩ごはんはおでんですろ、うふふ。