スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

私のトラウマと三男のランドセルの、情けなくて愛おしい関係


このブログでも何度か書いたことがあるけど、私はランドセル選びについてトラウマがある。

 

父に連れられていったお店に並ぶランドセルの中で、私が欲しかったのはピカピカ光るクラリーノのランドセル。

 

でも父が私にと選んだのは、お店で一番上等の牛革のランドセル。

 

満足そうな父の横で、本当はクラリーノが欲しかったとあの日の私が言えたのかどうかははっきり覚えていないのだけど、教室でピカピカのランドセルと一緒に並ぶくすんだ赤茶の自分のランドセルがとても悲しかった。

 

私の中でざっくりと傷として残るその記憶があるから、4人の子どもたちのランドセル選びには絶対に自分の意見を入れない、と心に決めていた。

 

売り場やカタログの買ってあげられるものの中で本人がこれと決めたもの。

それぞれに自分の選んだランドセルにワクワクする様子を見て、あの日の小さな自分が成仏できるんじゃないかと思った。

 

うちの子たちが選んだランドセルの色について、父も母もなんだかんだ小言を言っていたけどスルーした。

 

私はあなたたちとは違う。

同じことを子どもにしなかった。

違う親になれた。

 

そう思ってた。

 

 

上3人が選んだのはわりとありふれた色のランドセルだったのだけど、三男が選んだのはとても珍しい色だった。

 

同じ市内でも滅多に見ないもの。

カタログで本人が見て「これ!」と譲らなかった。

オンラインで細かいパーツまで選ぶことができるプランのもの。

 

本体の色、側面やパイピングの色、金具の色や形まで、PCの前に一緒に座って一つずつ三男が全部決めた。

 

「ぼくだけのランドセル」

6歳の彼は誇らしげに、とても嬉しそうにそう言った。

 

うちの子のために買う最後のランドセル。

それがこんな風に形になっていく、よかった、本当によかったと思った。

 

 

 

こないだ。

もうすぐ3年生になる三男とおやつを食べていた時にポツンと言った。

 

「ぼくはさぁ、なんであの色のランドセルにしたんだろう」

 

ランドセルの色そのものが嫌いになったわけじゃない。

今も彼はその色が大好きだから。

 

「6年生まであのランドセルを持つわけじゃない?6年生の時にどうかな〜って思ってさ〜」

 

あぁ、なるほど。

6歳の頃の彼にはランドセルを選ぶ基準は好きかどうかしかなかった。

でも今の彼には、6年生までランドセルを使うという見通しが立つ。

だから、あの日の自分の選択について後悔のようなものがそこにあるんだなぁと。

 

「黒とかさぁ…ぶなんな色にしとけばよかったんだよー」

とぼやく8歳の彼に、聞いてみた。

 

「もし君がお父さんになって、子どもにランドセルを買ってあげる時、君と同じ色のランドセルを選んだらどうする?」

 

ニヤニヤ笑いながら

「6年生まで使うんだよ?もうちょっと考えてみたら?って言う」

と答えた三男と、ふたりでニヤニヤ笑う。

 

あの日の私のやったことが正解だったかどうかはわからない。

両親にやられたことを絶対にやらないぞ、というトラウマによる反動からの行動だから、冷静な判断だったかすらわからない。

 

三男がどんな気持ちで我が子のランドセルを買う場に立ち会うんだろう。

 

私は我が子にいつでも最善の選択をさせられる親にはなれなかった。

 

でも二人でニヤニヤ笑いながら、これでいいんだなって思った。

あの時のあれは失敗だったね〜ってニヤニヤ笑える親子にはなれたから。

 

あの日、くすんだ赤いランドセルを背負った小さな私は今も私の中にいる。

珍しい色のランドセルを背負う三男をぎゅうっとハグしたとき、小さな私が腕の中でクスッと笑ったような気がした。

 

 

 

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