相変わらずたまにしか書かないブログですが、今日は三男がふと漏らした一言から考えたことを。
三男とバードウォッチング
我が家は三男が生まれる前くらいから家族で野鳥の会のバードウォッチングに参加することがたまにありました。
私がもともと野鳥に興味があったのと、子どもたちに自然観察の機会を与えられたらという思いから。
野鳥の会の先生方や、同行する博物館の学芸員さんたち、虫や魚に詳しい参加者の方々と 山や川に出かけて鳥だけでなくいろんなお話を聞く楽しい時間を、三男も他の子どもたちも楽しみに参加しています。(兄たちは最近は部活や他の予定で来られないことも多くなってきましたが)
野鳥の観察というと静かにして遠くの鳥の声を聴いたり、離れたところにいる鳥をスコープでとらえて観察したりすることがメインになります。
歩けるようになった頃からしょっちゅう参加していたとは言っても、三男は鳥そのものよりも歩く道々で見かける虫や魚、川の流れの方に興味を示していました。
そんな興味にも学芸員さんや野鳥の会の先生方も優しく見守って、時に一緒に観察してくれたり。
そんなゆる〜い感じでバードウォッチングにふわっと参加している三男でした。
「よく鳥を見つけるんだよ」
そんな三男が、先日一緒に車で移動している時にふと私に声をかけました。
「ねえ、お母ちゃん」
「ぼくね、最近、鳥をよく見つけるんだよ」
おや??と思いました。
「鳥がよく見つけられるようになったの、ふしぎ〜〜」
と三男。
我が家の周りの鳥が急に増えたわけではありません。
じゃあなんで、三男は鳥が見つけられるようになったんでしょう。
【興味を持つ】というフィルターのようなもの
三男が突然鳥に目がいくようになったのは、きっと鳥を意識するようになったからだろう、と思います。
それまで当たり前の日常の中の風景の一部でしかなかった野鳥たち。
人間が気にしてもしなくても関係なく、鳥たちは空を飛び、電線に止まり、道端をてくてく歩いてる。
わざわざ意識をしなければ目に止まることもないただの景色なんだろうと思います。
その景色の中から、鳥だけがぐっと浮き上がって見えるようになったのは、三男の中で鳥という存在が「意識する対象」に変わったのだろうと思います。
「好きなものだから、見えるのかな」
鳥が見えるようになって不思議そうな三男に、
「君が鳥のことを知って、興味があるからよく見つけるようになったんじゃないかな〜」
と話しました。
「そうか〜虫とか魚とかもぼく好きだからよく見つけられるもんね〜」
と三男。
「鳥もだんだん好きになってきたんだな〜」
とニヤニヤ笑っておりました。
おわりに
三男が今回言葉にした感覚、実は私が初めてバードウォッチングに参加した後感じたものと同じでした。
当たり前のいつもの道を歩いていても、鳥の声が耳に入る、飛ぶ鳥が目に入る。
あの不思議な感覚を三男も経験したんだな〜とちょっと嬉しくなりました。
興味のあるものが一つ増えると見える世界が変わってくるあの感じ。
そしてその興味は、次はその興味あるものを守ることにもつながっていくのかな〜と感じています。
鳥のことに興味を持ち身近に感じていることで、三男は鳥たちの環境を守ることもいつか意識できるようになるかもしれません。
このことを教えてくれたのは、やはり観察会でご一緒した虫の先生でした。
その時のことを書いた過去記事はこちら。
人はいとも簡単に、知らないことを「ないもの」にしてしまう。
これは、生き物に対してだけではないことだな〜とTwitterでいろんな議論を眺めていても感じることです。
「知る」ということの意味、「ないもの」にしないために自分ができること。
三男の何気ない一言から、いろんなことを考えさせられた備忘録でした。
おまけ
三男の愛読書。カバンからサッと取り出して開く姿がなかなか様になってきました。