スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉とあの事件に寄せて(長いです)


今朝、Twitterを開いてタイムラインを眺めていたら、元農林水産相事務次官の長男殺害についての報道が流れてきていました。

目に留まったのは容疑者の妻であり息子を殺された立場である母親が「アスペルガーに産んで申し訳ない」と法廷で証言したという記事のタイトルでした。

 

この一連の事件に関して、実は私は報道から自分を遠ざけていました。

子としての私と親としての私。

どちらにも思うところがありすぎて、その思いが溢れて生活をおびやかしすらしそうで、怖かったからです。

 

今朝「アスペルガーに産んで申し訳ない」という母親の言葉を見て、PCの前で少し膝が震えました。

あ、これは、言葉にしておかなくてはならない、そう思いました。

 

うちの次男は、ADHDアスペルガーを含むいくつかの診断名を持つ中学生です。

私自身は診断はなく暮らしていますが、発達障害の特性を自覚している身です。

 

私の母親は教育熱心で小さい頃から私に惜しみない教育を与えてくれました。

その熱心さが暴走して私は母の敷いたレールの上でもがきながら高等教育機関に送り込まれ、都会に出て初めて母の呪縛に気づいて大きな挫折を経験したという記憶を持っていますが、母の記憶の中の私は違うようです。

小さい頃は素直に勉強していたのに20歳を前に突然反抗期が来て私のいうことを聞いてくれなくて色々と台無しにしてしまった子、それが、母の私への評価でした。(面と向かって言われました)

 

しかし、当然ながら母は外部にそんなことを漏らしません。

母の周りでは私はいつまでも出来のいい娘であり、そして私もまた、それを演じられるからこそ今も母とそれなりの関係を保って生きていけているわけです。

 

そして、そんな私にまた、神様が試練を与えたような息子が生まれました。

4人いる子供の中で、ずば抜けて育てるのが難しい子、それが次男でした。

小さい頃はほかの子に比べて落ち着きがないかなぁという程度でした。

心配して相談した先でも「元気がいいだけですよ〜」と言われていました。

 

難しくなってきたのは小学校中学年くらいから。

今思い返せばこの頃から自閉傾向がかなり目立ってきたように思います。

反抗的な態度が出たり、癇癪を起こして暴れたり。

あちこちに相談してもなかなか糸口がつかめない日々が続いて疲弊し切った頃、たまたま出会った相談先で病院を教えてもらい受診、そこで初めて発達障害という診断がつきました。

 

くだんの事件の報道の中でも受診して診断が下りたという記事がありました。

専門家につながっていたのになぜ、という声も散見されました。

 

そうなんです、病院に行って診断が下りたとしても、そこですぐに色々な問題が解決するわけではないんですね。

次男の場合も、診断が下りたことで何かが劇的に変わったわけではありませんでした。

そこから先、今日に至るまで、彼の周りにあるサポートは全て私が駆け回って取り付けてきたものです。向こうからやってきてくれたものは一つもありません。

 

サポート以前に、情報そのものも向こうからはやって来てくれません。

どんな制度があるかも、どんな助成金が受けられるかも、どんなことを学校に求めて良いのかも、全部自分で調べるか、親の会や仲間内のコミュニティで教えてもらうしかありません。Twitterにはかなり助けられました。

それら制度にも地域差があり、よそで受けられるサポートがこちらでは全く機能していない、ということもありました。

 

そして支援を掴む過程も、全てうまくいっているわけではありません。

かなり待ったのに思うような回答がなかったり、何度も電話をかけたのに折り返しがなかったり、繋がったのに次男と相性が合わずうまく続けられなかったり、そんなことの連続です。

 

そんなやりとりの中でも、日常は過ぎていきます。

学校で暴れたと連絡を受けたら対応し、家で兄弟喧嘩があったらその仲裁をし、本人やきょうだいのケアをし、そして休む間も無く支援を受けるために奔走する。

 

これが、発達障害を持つ子を育てる家庭の現状です。

 

私の周りにも、同じように奔走する父母の立場の友人が何人もいます。

みんな、自分もそれぞれに困難を抱えながら子供のため家族のために毎日を送っています。

 

そんな日々の中で、自分を保てなくなるくらい疲弊することもあります。

ボロボロで、悪い方悪い方にしか頭が働かなくなってしまう。

 

なんの心配もなく学校に通えている子を育てる親御さんが羨ましくなることもあります。

支援学校や就労の目処がある程度立っているように見える身体など別の障害を持つ子の親御さんを羨ましいと思ったことすらあります。

なんで自分にばかりこんな難しい子育てが課せられるのかと泣いたこともあります。

 

そして、誰よりも一番苦しんでいる息子に対して

「こんな風に産んでしまって申し訳ない」と思い、泣いたこともあるのです。

 

そして、そんなことを考えてしまったと、自己嫌悪に陥るのです。

 

支援がうまく入って次男も落ち着いて過ごすことができ、私の気持ちも落ち着いてくるとそんな落ちる方向への思考は起きづらくなります。

 

あの法廷での証言が付された記事のタイトルを見た時に思いました。

あぁ、あの一番ダークな状態の時の私だ、と。

そして同時に、あの状態が何年も何十年も続いた結果なのかもしれない、と背筋が凍る思いがしました。

 

私はあの事件に関して、誰のせいだ、という方向で考えることはできません。

Twitterにもニュースサイトのコメントにも、どちらの方向からの意見も並んでいます。

テレビを見ないのでなんとも言えませんが、軒並み父親に同情的な報道がなされている感じでしょうか。それに対してネットでは息子に同情的な意見も散見されます。

でも、やっぱり私にはどちらの方向にも考えることができません。

発達障害を持つ子を育てる親がどれだけの負担を背負わねば暮らせないのかも、発達障害の当事者が極端な思考の偏りを持ちやすいことも、どちらも身を以て知っているからです。

 

教育虐待のことについても触れているツイートがありました。

親による教育面での虐待が引き金になっている可能性もあるかもしれません。

私自身、親から似たような圧力を受けてきた記憶があるので、その苦しさがわからないわけではありません。

 

でも、親の立場になってまた違うものが見えたのも事実です。

知的に高いアスペルガーの子たちは公立の小中学校でその知識の偏りやコミュニケーションの違いによりなかなか周囲に馴染めなかったり、いじめの対象になりやすかったりしてしまいがちです。

それを避けるために、荒れている地元の公立中学校ではなく私立への進学を子供に勧め、受験に臨んでいる家族も私の周りにも複数います。

私自身も地元の中学より、母の強引な勧めで受験した進学先の高校の特進級の中の方がはるかに居心地が良いものでした。(母にそんな意図はなかったようですが)

うちも、もし通える範囲に次男にちょうど良い私立があったら受験を考えただろうと思います。(幸い地元の公立が柔軟に対応してくれているので今はなんとかなってますが)

子供本人と話して決めた受験でも、実際の受験勉強は時に子供にとって苦しいものになる可能性もあります。

その受験の過程が親と子それぞれ、どんな形で記憶に残るかもわからないな、と思うのです。

 

アスペルガーの中には、嫌な記憶は強く残り、良い記憶はあまり残らない特性がある子もいます。(うちの次男がそうです。私も自覚があり日常の中で意識しています。)

親子双方に特性があれば、それぞれの記憶と実際のやり取りに食い違いがあるだろうことは容易に想像ができます。

(これらを鑑み、私の親に対する記憶もおそらくはかなり私なりにディフォルメされている可能性があると考える必要があると思っています)

 

今朝、このブログを書くためにいくつかの記事を読み、そこに記された家族の様子を読みました。

それをそのまま書いてある通りに読み取るわけにはいかないのが発達障害の難しいところだなぁと自分や息子のやりとりを思い浮かべています。

親と子双方に、家族に、記事の中だけでは計れないとてもたくさんの思いや苦悩、挫折や、儚く消えてしまった希望や、いろんなものがきっとあるのだろうと思うのです。

 

ここに書き記してきたような発達障害当事者の特性ゆえの苦しみ、記憶の特徴、親もまた当事者である可能性や、またその親が社会の中で背負う負担の大きさ…

この事件は、今まさに現在進行形である我が家の問題とリンクしすぎているがゆえにここまであえて目をそらしてきました。

 

なるべく情報を自分の中に入れぬようにしてきましたが、今朝、法廷で証言したという母親の言葉を見て、このままにしていてはいけないと改めて思いました。

 

発達障害のある子を持つ親が、彼女のように「自分が産んで申し訳ない」などと口にしていいわけないのです。

もし耐えずその苦しみが襲ってきたとしても、それは決して公の場で口にして良い言葉ではないのです。

我が子に聞こえてはならないし、オープンにしてはいけない。

 

願わくば、そんな気持ちにならないような社会資源を望みます。

 

そして、そう思う日があったとしてもこらえていけるようなサポートを。

 

診断を受けた子がスムーズに入っていける、間口が広く開かれたサポート体制を。

診断を受けた子を持つ親が苦しまずに済むような明るい未来を。

 

逆に言えば、今それが整っていないのが知的障害を伴わない発達障害当事者の現実です。

診断のできる病院はどこも予約でいっぱいです。

知的な遅れがないので診断が遅くなりやすく、療育に通えないケースも多いです。

早期に診断を受けたとしても、療育は園児まで。

公立の小中学校でも支援体制は手薄で、専門的な知識を持つ教員も多くはありません。

相談支援も手いっぱいで、後回しにされがちです。

 

私は、ペアレントメンター として発達障害児を育てる親御さんの話を聞く機会があります。先輩として励ましたくても、こちらにくれば大丈夫だよ、と言い切れない現実がそこにはあります。

我が子でさえ、明日どうなるかわからないのです。

今はかろうじて中学に通えていますが、担任が変われば不登校になることも想定しなくてはなりませんし、そうなった時に彼の学習をサポートしてくれる支援をまた自分で取りに行かねばなりません。

高校に行けるかもわかりません、高校がどんなサポートをしてくれるかも霧の中です。

一般の就職ができるのか、障害者として就労を選ぶべきなのかも、何も見えません。

自分であちこちに足を運び、声をかけ続けなければ、誰も教えてはくれないのです。

そして、教えてもらえたとしても息子がそこに適応できるかは、誰にもわからない。

誰も、そこに進んで並走してくれはしないのです。

それが、知的障害を伴わない発達障害児の現実です。

 

(知的や身体など他の障害でも体制としては似たような状況ではあると思いますが、体験していないので正確なことは書けません)

 

あの事件から社会が何かを得てくれるなら、発達障害に対する理解と社会資源の拡充を、と求めます。

悪者探しをしても誰も救われません、少なくとも私たち当事者親子の救いには全くなりません。

 

私たちは日々もがきながら、なんとか繋がったなんとか助けてくれている人たちの手を手繰り寄せながらかろうじて生きています。

あの事件は決して対岸の火事ではないのです。

我が家の未来かも知れない怖さが私にはあるのです。

 

親が子を殺すような悲しい事件が二度と起こることのないような、支援体制の拡充を。

取りに来る力のある親の子にしか届かない支援ではなく、支援希求力の弱い家庭へも届く支援を。

公教育の中で発達障害の子どもたちが苦しまずに済むインクルーシブ教育・特別支援教育の更なる拡充、教員の資質向上を。

 

それが、私の願いです。

 

そして、それを訴えながら保護者同士横の繋がりを持ってお互いを支えていく。

私に今できることを粛々とやっていくしかないと改めて思っています。

当事者の、その家族の、その周囲の人々の、苦しみが少しでも減ることを願って。

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