スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

【したたか】という言葉の用法についてのアンケートから考えたあれこれ。


今日はTwitterでとったとあるアンケートのこと。

 

発端はぽろっと出た私の発言

 

女子同士の交友関係に長く悩まされてきた長女ですが、最近は一緒に過ごすお友達が複数できて安定しているようではあります。

それでも女子グループ同士の小競り合いなど教室の中でのトラブルは日常茶飯事らしく、その日も交友関係の愚痴を聞いているところでした。

 

母親の私が言うのもなんですが、彼女は惚れ惚れするほど自己肯定感が高く、強い根っこを持っているように見えます。折れないしなやかなメンタルは時に羨ましく、時に持たざる者の気持ちがわからないのではないかと不安になるくらい。

 

クラスの女子同士の攻防をすり抜けながらしっかりと自分を守っているように見える娘に出た感想が「娘ちゃんはしたたかだからなぁ」でした。

 

娘を思い寄せられた声

ツイートから少しして、マシュマロに私宛の声をいただきました。

私は母親に「したたか」と言われたらとてもショックなので長女さんに寄り添ってその発言を否定してあげたいです。
なぜその発言をスズコさんがしようと思ったのか、それを言って長女さんが何を得られると思ったのかを知りたいです。
自分で何かを調べる能力ですか?

 

拝見して【したたか】を悪い意味で捉えていらっしゃるんだな、と感じました。

 

【したたか】という言葉の意味

意味を共有した上でお話を進める必要がありますので、まず辞書を引きましょう。

 

[形動][文][ナリ]
  1. 粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。「世の中を―に生きる」「―な相手」

  1. 強く、しっかりしているさま。「―な後見役」「―な造りの家」

  1. 強く勇猛であるさま。

    1. 「力が強く勇気があって―な豪傑である」〈魯庵社会百面相

  1. 程度がはなはだしいさま。

    1. 「いと―なるみづからの祝言どもかな」〈・初音〉

  1. 分量がたいへん多いさま。

    1. 「国の事など―に申し居たるさま見るに」〈夜の寝覚・一〉

      強か/健か(したたか)の意味 - goo国語辞書

 

辞書の内容を平たく読む限り、けして悪い意味の言葉ではありません。

本来は「何にも屈しない強さ」「とても量が多い様子」を示す言葉だったのではと言われています。

上記では源氏物語などの古典が挙げられていますが、その強さや量の多さも良い意味で用いられているのがわかります。

 

ですが、本来の用法から変化してあまり良くない意味で使われ始めていることは私も知らぬわけではありません。

 

「言いなりにならず強情で扱いづらい」「ずる賢い」「計算高いという、本来の意味から派生したマイナスのイメージで使われることも増えているように思います。

 

こと女性に対して使われるときにその傾向が強いような気がします。

(ここら辺は言語学の文献をさらっていないのであまり掘り下げることは避けますが)

 

本来の用法通りの「粘り強く相手に屈しない強さ」と言うのは、同じ立場の人からしたら妬ましいものかもしれないし、目上の者からしたら扱いづらさに繋がりやすい。

社会の変容とともに、扱いづらい人間を表す言葉として使われ始めているのかもしれません。

 

どちらの意味で使ってる?

「したたか」という言葉について、良い意味で使うか否か、ちょっと傾向を調べてみたくなったのでTwitterでアンケートをとりました。

 

 

こんな結果が出ました。

個別にこんなレスをいただきました。

  • 単語の意味としてはマイナスのイメージだけど結構ポジティブに使っている
  • プラスの意味があることは知っているけどマイナスイメージで使うことが多い
  • プラスのイメージで使うことが多いが実際には状況や分脈による
  • 誤解されるリスクのある言葉のような気がする
  • マイナスイメージがあると知ってびっくり、褒め言葉だと思っていた。
  • 生き賢いという、良いイメージ
  • 峰不二子みたいなイメージ
  • 一筋縄ではいかない感じ
  • 抜け目のない放っておいても安心だ、という感じ
  • 語彙としてマイナスの意味で理解しているが「いい意味でしたたかだね」と使うことが多い。自分を守るための生き強さというイメージ
  • GLAYのa Boyで知ったので「生きる力が強い」みたいないいイメージ

 

アンケート結果からは約6割の方がマイナスイメージで使うことが多いようです。

しかし良いイメージを持つ方も少数派と言えるようなボリュームではありません。

 

掘り下げて考えてみる。

さて、ここから我々が汲みとるべきことは一体なんだろう、と考えてみたいと思います。

 

Twitterの私のフォロワーさんが主になっているたった5時間のアンケートですから、正確な統計とはとても言えません。

あくまでもひとつの傾向という捉え方として、細かな数字についてはざっくりとしか取り上げないことにします。

 

アンケートの結果6:3で、悪いイメージの方の方が多くいらっしゃいました。

 

ここで「悪いイメージの方が多いから、そちらが正解」と決められるでしょうか。

私はそれは危険だと思うのです。

なぜなら少なからず「良いイメージ」と感じている人がいるから。

 

では逆に「本来は良いイメージだから、悪いイメージは誤用である」と決められるでしょうか。

 私はそれも、とても危険だと思うのです。

なぜなら半数以上の方が「悪いイメージ」と感じているから。

 

では、我々が汲むべきはなんでしょう。

 それは

「解釈の分かれる言葉である」と理解しておくこと

ではないでしょうか。

 

こうやって言葉にするとそんな当たり前のこと、に見えますよね。

私も書いていてちょっと馬鹿馬鹿しさを感じてしまうほど、当たり前のことです。

 

でも日常生活の中で果たしてそれをどこまで意識して暮らしているか、ちょっと振り返ってみてほしいのです。

 

「あなたはしたたかな人ね」

と言われたとき、反射的に「自分が日常的にイメージしている意味」で受け取りませんか?

 

もちろん、それまでのその人との関係やその人の性格、表情や声色、会話の内容など様々な要素が絡んでくると思うので単純化して話すのは少し難しいのですが。

 

良い意味があることをイメージしていた私は日常会話の中で娘の長所について言及する言葉として使いました。

しかし、その会話を「私が娘を卑下している」と受け取る方もいらっしゃいました。

娘自身は今回は意味を知らなかったのですが、もし意味を知っていてマイナスイメージを持っていたら私の発言を不快に思ったかもしれません。

 

もしそこで意図が違うことが発覚したら、私は娘に

「そんなつもりで言ったのではなかった」

ということを釈明せねばならないでしょう。

 

「そんなつもりではなかった」

長くなってきましたのでそろそろまとめていきましょう。

今回、アンケート結果から書いてみたいなと思ったのはそこなのです。

 

ひとつの単語に対して、捉え方の違う人がこんなにいるということが可視化されました。

同じ日本語という言語を話しているはずでも、必ずしも一つずつの単語の意味が全て共有されているわけではないのです。

 

「したたか」という単語以外にもこのような複数のニュアンスを持ち誤解を招きやすい単語はきっとあるでしょう。

言葉以外にも態度や仕草など人によって捉え方が様々に違っているものも存在するんじゃないかと思います。

 

 

「そんなつもりじゃなかった」

これは、発達障害のある次男が頻繁に発する言葉です。

本人がとった言動が、意図しない形で相手を不快にし、その怒りや不満をぶつけられたときによく言っています。

 

誰かを怒らせようと思って言ったりやったりしたわけではない行動が、マジョリティにとってはその意図がある行動であるがために誤解された、ということが起こってしまうわけです。

 

ここで次男と私達家族が把握しておくべきなのは「次男がマジョリティに合わせられるようになるべき」または逆に「次男のそれは仕方がないから諦めるべき」ではないと思うのです。

 

お互いに意識しておかねばならないのは

「自分とは捉え方が違う人間が共存しているのだ」

ということなんじゃないかと思うのです。

 

どちらが正しくどちらが間違っている、どちらが多数派でどちらが従うべき、ではなく、そもそもの捉え方は人それぞれ多様であって、決して一様ではないのだということ。

何らかの言動から自分がとっさに汲み取った相手の意図は必ずしも相手の本意とは限らないということ。

 

だから引っかかりがあったときにそれを確認したり、誤解させたときには謝罪や釈明をしたりする必要があるのだろうと思うのです。

 

私たちは残念ながら生まれた時から自分の脳みそしか持っていないので、どうしても基準は自分の脳みその中身になりがちです。それは仕方ない。

でも、周囲の人は自分の脳みその延長線上にいるのではなく、別の脳を持ち別の意思を持ち別の認知の仕方をしている他人であるということ。たったひとつの単語の意味すら共有しきれているわけではないということ。

 

それを知っているだけでも、意識しているだけでも、諍いを減らす一助になるのでは、と思ったりした次第です。

 

おわりに

娘はその後、自分で「したたか」の意味を実際にググって「うわ〜まんまやわ〜否定できんわ〜〜」と言っておりました。

娘が今後この言葉をどんな風に捉えて生きていくのかは私にはわかりません。

 

「強さ」とは場合によっては良い方向にも、立場や状況によっては悪い方向にもなり得ます。

娘にとっても、彼女の持つ強さは今は自分を守ってくれていますが、ときに無自覚に人を傷つけたり、妬まれたりする可能性もあるのではと親として心配になることもあります。

 

自分のように強さを備えている人ばかりではない、ということも、折に触れて言葉にはしていますがどこまで理解が進んでいるのかはわかりません。

いずれ、そこも意識できるような大人になってもらえたらなぁとこっそり願っているところです。

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