相変わらず適当な更新頻度ですすいません。
昨日かな、Twitterで本のある家で育つかどうかみたいな話がいろいろ流れてきてたのでちょっと思うところを描いてみようと思い至りました。
話題の発端がどの辺りなのかもう追いかけるのも難しいんですが、今日書こうと思ったのはこれについて。
色々なツイート見てて思ったけど、私、親が本を読む環境を用意してないから子供が読まない、という因果関係はあまりないような気がしてるんだよね…
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2020年5月19日
- 「本のある家庭の子は学力が高い」という説に対する疑問
- 「本に興味を示さない子は親が読み聞かせをしたりしてないから」
- 我が家の4人と本の関係
- 結論、やっぱり個人差
- 読書について親にできることと、できないこと
- 余談ですが、認知特性のこと
- おわりに
「本のある家庭の子は学力が高い」という説に対する疑問
TLを流れていく中に、海外の統計結果だかで「本が〜冊以上ある家庭で育つと学力等高い子になる」というものもありました。
一見なるほどと思うような話ではありますが、これ、「朝食をとる子は成績が良くなりやすい」というのと似たような話の可能性もあるな、とは思うんですよね。
「朝食をとる子」と「成績が良い」の相関関係が直接あるというよりも、「毎日朝食を用意して子供に食べさせるだけの母体がある家庭で育てられる子」と成績の相関関係を考えた方が良いのではないかという、あれです。
「本がたくさんある家庭で育つ」という状況についても、
- その親のそもそもの学力が高い(遺伝的要素)
- たくさんの本を買い揃えられ、かつ置いておける家に住むことができる(経済力がある)
など本の冊数の話ではない背景が考えられます。
つまり「本をたくさん与えれば学力の高い子になる」という直接の関係性で語るのはかなり危ういのではないか、というのがまず大前提。
その上での今回の本題。
「本に興味を示さない子は親が読み聞かせをしたりしてないから」
このような発言、学校現場や子供に関する場面で見聞きしたことのある方、多いかもしれません。
私自身も読み聞かせで教室に入っていて、図書担当の先生やボランティア仲間が話しているのを聞いたことが何度かあります。
小学校に入ると図書の時間、というのがあり、子どもたちはそこで学校図書館の本に出会います。
また、私がやっているような読み聞かせボランティアが定期的に入って教室で絵本を読んだり本を紹介する取り組みがあったりもします。
そんな授業や活動の中で、本に興味を示す子もいれば、逆に全く興味を示さない子というのも一定数います。スルーするだけならまだ問題にはならないのかもしれませんが、相手はこないだまで園児だったおチビさんたちですから、興味がないけれどそこでおとなしくしてるというわけでもなく。
騒がしくしたり、ふざけたり、静かにしてる子の邪魔をしたり、なんてことも日常茶飯事です。
問題行動があれば大人はそれを正そうとしますし、なんでそうなのかを自分なりに考えようともしますよね。
ここで浮かぶのが、子どもに本を読み聞かせして育てている保護者と本好き&好成績のお子さん、という親子の存在だったりします。
学校関係者や読書ボランティアをやっている方の周りには大抵、これに当てはまる親子が実際にいるんですよね。
だから、その逆も想起してしまいやすいんだろうなと思うんです。
あぁ小さい頃から読み聞かせをして育ててなかったんだろうな、って。
我が家の4人と本の関係
ここで我が家の話をしましょう。
私が本好きなのもあって我が家には所狭しと本棚が埋まっており、夫と私がそれぞれ実家から持ってきたり買ったりした本や漫画が詰まっています。
読み聞かせボランティアの活動を始めてからは図書館に通う頻度も増え、子どもたちがついてきてそれぞれ借りたりすることも良くありました。
高1から小4まで4人の子たちがいるのですが、どの子に対しても本を読めと求めたことはほぼなく、置いとくし欲しい本があれば買うし、読みたければ読めば、というスタンスです。
似たようなスタンスで育ててきた4人ですが、本に対する関わり方は見事に4者4様です。
学校の図書室にこもって本を読み漁る子もいれば、まったく読まない子、気が向いた時だけ没頭して読む子、自分で読むのは嫌いだけど読んでもらうのは大好きな子。
そんなバラバラの4人を見ていると
「読み聞かせする」→「本に興味を持つ子になる」「学力が上がる」
という相関関係に関してはう〜〜んと首を傾げたくなったりするのです。
どれだけ読み聞かせをしようと親が本を読んでいようと、我が家には国語の成績がいい子もずば抜けて悪い子もいるんですよねえ…
結論、やっぱり個人差
4人の子たちを見てて、読書を好きになるかどうかとか、本を読めるかどうか、文字を追うのが得意かどうか、ってやっぱり個人差が大きいよなぁと思うんですよね。
私と同じように息をするように文字を追うことができる子もいれば、逆にそれがとても苦手な子もいます。
うちの4人でもこうなんだから、学校のクラスとなればもっと多様だろうなと思うのです。
うちで一番文字を読むのが苦手なのは三男なのですが、彼は小さい頃から絵本を読んでもらうのは大好き。気に入った同じ本を何度も読んでとせがまれました。
他の子たちが自分で読み始めていた時期にも読んで欲しいと持ってくるので「甘えたいのかな?」と思っていたんですが、入学と同時に音読の宿題が出てわかりました。文字を追うのにすごく時間がかかって嫌がったんです。
あぁ、なるほどと思い軽度のディスレクシアを疑いながら様子を見てきました。
少し前に念のため専門のアセスメントもとってもらいましたが支援を必要とする程度ではないけれど読むのは苦手だろうと言われているので無理をさせず家庭でサポートしている状態です。
三男程度の軽い状態で、かつ家庭でものすごく意識して育てていても、音読に難ありで、学年相当の児童書は滅多に読みません。
ディスレクシアや他の傾向が重なって読書を敬遠する子はたくさんいるんじゃないかなぁと思うと、読み聞かせの時に本に興味を持たない子たちに対しても色々と思うところも出てきたりします。
三男はどちらかというと文字より絵や耳から入る情報の方がしっくりくるタイプのようです。
読むのは嫌いだけど読んでもらうのが好き、という小さい頃の様子を思い、なるほど納得という感じです。
どんなに大人が頑張って環境を整えて働きかけたとしても、子どもが本を好きになるかも、興味を持つかも、そもそも本が読めるかどうかも、その子次第なんですよね。
障害として大きくわかるようなものでなくても、特性として軽度の困難が隠れている子もいるし、興味の矛先も熱量も子どもによって様々に違う。
それぞれ違う子どもたちに、同じように働きかけて同じようになれ、なんて無謀だよなぁ、と諦めにも似たことをよく考えたりします…
読書について親にできることと、できないこと
お母さんとして子どもたちと接していて日々痛感するのは、親にできることってそう多くないんじゃないかということ。このブログでもこれまで似たような話の中で何度も書いてきたことがあると思います。
読書に関しても、なるべくたくさん読んで欲しいとか、本を好きになって欲しいとか、親として色々と思い入れがつい出てしまうところではあります。
でも、実際に子どもと面と向かって見てどこまでできるかと考えたとき
- きっかけを作ること
- 環境を整えておくこと
- 嫌いにならないよう無理強いしないこと
この3つしかないのかもしれないなぁと思うのです。
本に出会うきっかけを作ることと、その結果興味を持った子が本と付き合っていける心地よい環境を整えること。そして、無理に読ませて本を嫌いにならないように自制すること。
それ以上は結局できないんだろうなぁと。
こちらが用意したきっかけで本に親しんで、その後整えた環境で読書好きになる子もいると思います。
娘がまさにそれで、国語も得意ですね。
私が図書館や本屋に行くと言えばついてきて、本棚を楽しそうに眺めてあれこれ欲しがっては積み上げて読んでます。
私と娘の関係を見ていたら、親がうまくやれば本好きになる、学力も上がる、という相関関係が成り立っているように見えると思います。
読書好きと自認するほど本を読んでいるのは、4人いるうちのたった1人です。
ほかの3人が失敗だったとかじゃないと思うんですよ。
たまたまそこまでハマらなかった、ってだけなんだろうと思います。
逆に、どんなにハマる素養を持ってる子でも本に出会うきっかけがなければ娘のような本好きにはならないかもしれませんから、親の影響が全くないとは言えないですよね。
私と娘と、たまたまマッチングがうまくいっただけなんですよね。
余談ですが、認知特性のこと
相変わらずダラダラと長く書いてしまいましたが、最後に認知特性のことに触れて終わろうと思います。
私のブログでも何度か認知特性やそのテストについて書いたことがありました。
多読な傾向のある人は言語優位な方が多いんじゃないかなぁ(私もそうです)
文字を読むことに困難を感じず、むしろ置いてある調味料の瓶の原材料欄とかトイレの芳香剤の裏の注意書きとかを読んでしまうような度のすぎた方もいらっしゃるかと思います(私もそうですww)
学校の先生には言語の2タイプが高く出るタイプの方が多いのではという話を聞いたことがあります(特に辞書タイプ)。
漢字を覚えるのに何度も書いて覚えるのが得意な種類の脳を持つタイプです。
(だから学校の宿題は…という話をしたくなりますがそれはおいときましょう)
三男は言語の部分がやや弱く、聴覚や視覚の方が高く出ていて、あぁなるほどという感じです(自己採点なのであくまでも目安ですが)。
このテストと読書の関係がはっきりしているわけではありませんが、脳のタイプが色々とあることを知るだけでも「働きかければみんなそうなる」とは簡単に言えないことが見えてくるんじゃないかなと思います。
おわりに
文字を扱うことを得意とする学校の先生や本好きが集まる読み聞かせボランティアの人たちの輪の中では、文字を苦もなく読み、本に楽しみを見出しやすい方の方が多数派になりやすいんだろうなと思います。
ツイッターでもそうですね。140字で自分の今を綴ることを難なくこなす人たちの集まりですから、文字に対する苦手さがある人の方がマイノリティ。
文字を追うのが苦手ならタイムラインを眺めるだけでも苦痛でしょうから。
多数派としてそこにいると、どうしてもそうでない人たちがいることを見逃しがちになるんじゃないかなぁと思うのです。
でも、いろんな感じ方をして、いろんな記憶の仕方をして、いろんな趣味趣向を持つ人がいる。
どんな働きかけをしたとしても、結局はその生まれ持った特性やその人そのもののあり方には親であっても教員であっても変えることはできないんだろうなと思います。
それを踏まえた上で、じゃあどう接していこうか、ってことを考える必要があるんだろうなというところで、迷走を繰り返して4000字を超えてしまった今日のエントリを閉めようと思います。ではまた〜。