前回、我が家に待望のわんこがやってきたことを書きました。
今日は、保護犬を引き取るために受けた講習の中で印象的だったことを。
センターで受けた講習
私が譲渡会に参加したセンターでは、譲渡会に参加するために事前講習を受ける仕組みになっていました。
子どもたちと一緒に受講したのですが、1時間ほどの講習の中ではペットに関する法律や条例(その時のこともそういえばブログに書きましたね)や、ペットにまつわるお金の問題などについて詳しく説明を受けました。
その講習の中で「しつけ」についてもお話がありました。
「室内飼いの犬がゴミ箱をあさったとしたら、どうすればいいと思いますか?」
と問う講師。
「叱る?ちがいます。ゴミ箱を触られたくないなら、まずゴミ箱を触れる場所に置かないことです。」
この時点で私の中で
「構造化!構造化ですね…!」
とかなりの盛り上がりを見せました。
「構造化」というのは特別支援の必要な子供達に対する接し方のひとつ。
ざっくりですが、いちいち指示しなくても子どもが自分で動いたり取り組んだりしやすい環境を作ること。
子育ての場面でも危ないものを触らないようにいちいち声かけをするより、まずそれに触れない環境を作る方が対応がスムーズにいったりしますよね。
犬相手でも同じなんだなぁ、と思いながらお話を聞きました。
それでも叱らないといけないときに
構造化をしても叱らなくてはならない場面は当然出てきますよね。
犬に対しては「その場ですぐ叱る」が鉄則だというのはよく言われているのですが、講習の中ではさらに突っ込んだ指摘がありました。
叱る、と言うことは犬にとって不快な行為。
それを聞き入れるかどうか、というのは信頼関係にかかっています。
「この人の言うことを聞きたい、と犬が思うような飼い主になってください」
その犬からの信頼を勝ち取っていなければ、どんな指導も犬には入らない。
しつけをしよう、と思うならまずは、自分から。
犬が指示を聞きたい、この人に好かれたい、と思うような飼い主としての振る舞いを。
「この人の言うことを聞きたい」
お話を聞いて、あぁこれは子育てと同じだなぁと我が身を振り返っています。
「この飼い主の言うことなら聞いてもいい」と犬に思ってもらえる飼い主に。
これを親子の関係に当てはめるなら
「この親の話なら、言うことなら、耳を傾けてもいい」と子どもたちが思うような親に。
子供がいうことを聞かない、と憤る前に、話を聞いてもいいと思ってもらえているのかどうかを振り返る。あぁ耳が痛い。
でも確かにそうだなぁと思うのです。
思春期を迎えた子どもたち、家の中でいつも上機嫌なわけではありません。
それでも親として話さねばならないことがある、話を聞かせてもらわないといけないこともある。
自分が子どもだった頃、大人なら誰の話も聞いただろうか。
どんな大人も信頼してただろうか。
否、とんでもない。
こいつの言うことなんか聞くものか、と思っていた先生がいた。
どうせちゃんと話を聞いてくれない、と親に対して思っていた。
そんな大人から何を指導されても注意されても指示されても、気持ち良くなんて聞けなかった。
そしてごくごく一部の大人に対して
「この人の話なら聞いてもいい」
「この人になら話してもいい」
と思っていたような気がする。
残念ながら私にとってそれは親ではなかったのだけど。
親なんだから、と踏ん反り返っていたら子どもは話なんか聞いてくれない。
伝えたいことも耳に入れてくれない。
まず、話を聞いてもいいと思われるような親に。
この人の忠告なら耳を傾けてもいいと思われるような親に。
私は子どもたちにそう思われるような親であるんだろうか。
我が家にやってきたわんこ。
わんこがもたらしてくれた最初のテーマはこの親としての自分を振り返ることでした。
今度は、わんこがもたらしてくれた2つ目のテーマ、思春期男子との贅沢な時間について書いてみようと思います。