スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

『ADHDの人の「やる気」マネジメント』の紹介と、次男に勧めない理由


新年あけましておめでとうございます。

(と言える日までに最初のエントリが書けたので自分なりの及第点です)

 

さて、新年一発目に何を書こうかと考えていたんですが、いま手元にある本のことを書いてみようかと思います。

 

 

司馬理英子著『ADHDの人の「やる気」マネジメント』

 

この本、実は私の所有ではありません。

次男の学習面のサポートをお願いしている家庭教師の先生が「次男くんの対応の参考になれば」と暮れに貸してくださったものです。

 

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ADHDの自覚のある方ならこの目次を見ただけであああああってなるんじゃないかなぁと思います。

 

周囲から「やる気がない」と叱責されがちな当事者のしんどいところを非常に丁寧に捉えていらっしゃる、さすが司馬先生。

 

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こちらはamazonの書籍紹介でも公開されている一部なのですが、もうこの3名のケース、どれも目の当たりにしたら刺さりすぎて穴を掘って自ら埋まりたい気持ちになるような内容です。(次男もですが、私もがっつり該当します)

 

実態を丁寧に掘り下げたあとのページには目次でも触れられているように「やる気」を結果につなげていくためのプランが色々と示されています。

 

この本そのものは成人当事者を対象としたらしいものですが、ノウハウ自体は中高生にも十分やれることなので自身の困りに悩んでいる方にはオススメの一冊だなぁと思います。

 

この本から「考える」

さて、年頭のブログとしては「この本がすごい」という紹介だけで終わってしまうわけにはいきません。本題に入りましょう。

 

私のブログ読者さんやTwitterのフォロワーさんには「ADHDの当事者」ではなく「ADHDの子を持つ保護者」という立場の方も多かろうと思います。

そのお立場からこの本を知って「うちの子に良さそう!」「読ませたい!」と思われるケースもあろうかと。

 

ですが「次男の困りについて活かせそう」と先生からご紹介いただいた本を私が次男に「読め」ということはないだろう、と思います。

今回の本題はそれです。

 

なぜ『読ませない』のか

なぜ次男にこの本を今読ませないのか、という部分について掘り下げていきましょう。

彼が受験を控えているから?

ええそれは大切な事実ですが、そうではありません。

彼が受験生ではなかったとしても彼にこれを読ませようとすることはなかったでしょう。

 

それは、この本の特徴が

「特性を自覚しようとしている当事者が、自らの問題を改善しようとして読むためのもの」

だからです。

 

この本の大半を占めている「こうしてみよう」の実践例はどれも実行の難易度がそれほど高くないものも多く、また当事者の自覚のある私が本を読む前から実際に自ら工夫して実践しているものが多くあります。

特性の強い次男にとって「これをやれば色々うまくいく」と私がわかるハックがたくさん、見やすく読みやすく詰まっています。

 

でも、今の彼がこの本を手にしたとしても、おそらくはそのどれも本当の意味で身につけることはできないでしょう。

それが、彼にこの本を読めと言えない理由です。

 

私からみた「間違いのないもの」を次男が受け止めるべきか否かという課題

私は親として彼の困難を日々目にしています。

でもそれは、大人であり、また親であり、そして当事者の先輩としての目もあり、で見えているものでもあります。

 

その私の目から見える彼の困難や、こうすればいいのに、という私の見解は、事実の把握としてはそう間違っているものではないかもしれません。

でも「それを彼が受け止められるか」「それを彼が今受け止めるべきか」というのはまったく違う次元の問題なのだと思うのです。

 

どんなに彼の特性を正確に把握し、彼の改善点が見えていようと、それを今ここで彼に突きつけて改善方法を提示すれば彼が幸せになれるわけではなんですね。

これは、障害のある子、発達に課題のある子を持つ親が避けて通れない道なのかもしれない、と思うことがあります。

 

私とて、もう40を過ぎていてやっとできるようになってきたことがいくつもあります。

改善方法を知っていたのに取り組めなかったことも、未だ取り組めないこともある。

課題を知り、方法を知ったとしても「それに取り組めるか」はまた別問題なんですよね。

 

これはペアレントメンターとして保護者の方とお話をしていて感じることでもあります。

どんなに解決方法がこちらから見えていても、どんな状況でもそれが役に立つわけではないんですね。

本人が自分から「解決するための策が欲しい」と手を伸ばしたときにしか、助言は役には立たない。

むしろ、無理な助言を押し付けることで関係性が悪化したり、解決から遠ざかってしまうことすらあり得ます。これは親子間でも同じだと思っています。

 

「自分でなんとかしたい」と思ったときに巡り会えるように

少なくとも今の私から見たら、次男はまだこの本に書かれていることを読んで改善のために取り組んでいく段階にはないように思えるので、勧めません。

でも良い本であることは間違いないので、金平糖文庫か自分の本棚か、何かの形で手に入れていつでも手に取れる状態にしておこう、と思っています。

 

私の持つそれか、または図書館や本屋や電子書籍として、いつどんな形で次男が出会うかはわかりませんし、本ではない別の形でこのようなハックに出会えるかもしれません。

 

きっと彼自身が「自分でなんとかしたい」という気持ちを持ったときに出会えるはずです。

 

親として私ができるのは、この本を彼に勧めたり読ませようとしたりすることではないのだろうと思っています。

 

彼が本当に必要としたときにこの本が手に入ったり、検索したりすることができる素地作りの方を優先していけたらなぁという感じです。

 

おわりに

新年最初のエントリは発達障害のお話のような親子関係のお話のような、なんだか定まらないお話になりました。

受験を控えた次男は、この「やる気」の問題と脆いメンタルの狭間ですり減っているような開き直ってもいるような、そんなグラグラした日々を送っています。

お医者さんからは「とにかく心身共元気な状態で受験当日を迎えられるようにしとくのが一番大事だから」と念を押されているので学習の進行状況については出したい口をぐっとこらえて見守っているところです。

 

試練ですなぁ。

 

 

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