大学入試共通テスト(センター試験とつい言ってしまいますね)が先週末行われておりまして、こんな報道が出ていました。
これを読んで、こんなツイートを発端として「試験時の合理的配慮」について色々と書きましたので、ブログにまとめておこうと思います。
この失格の話を聞いてまず思い浮かんだのがこの合理的配慮の可能性だったんで、書いときます。 https://t.co/1uXvJNZcju
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2021年1月18日
- 「合理的配慮」とは何か
- 共通テストでの2つの「不正」と障害由来の困難の可能性
- 試験時の【合理的配慮】
- 「試験時の合理的配慮」を受けるために必要な準備段階
- 合理的配慮の材料としての【診断】と【自己理解】
- おわりに
「合理的配慮」とは何か
まず大前提として、ここを確認しておかねばなりません。
合理的配慮については以前書いたことがあったのでそちらも参考にしていただければと思います。
合理的配慮とは、障害のある人が障害のない人と平等に人権を享受し行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて発生する障害・困難さを取り除くための、個別の調整や変更のことです。
2016年4月1日に施行される「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(通称、「障害者差別解消法」)により、行政機関や事業者には、障害のある人に対する合理的配慮を可能な限り提供することが求められるようになりました。(参考:合理的配慮とは?考え方と具体例、障害者・事業者の権利・義務関係、合意形成プロセスについて | LITALICO(りたりこ)発達ナビ)
ざっくりまとめると、合理的配慮とは障害ゆえに権利が侵害されている状況になってしまっているケースで、それぞれの特性や場面による困難によるハードルをなるべく下げたり取り払ったりすることで健常者と同等の権利を保護するための対応のこと。
公的な機関には可能な限りの提供義務が、民間機関には努力義務が課せられています。
(ここで詳細を書き記してしまうと恐ろしい長さになってしまうので、詳しくは以前の記事や説明しているサイトなどを参考にしてください)
共通テストでの2つの「不正」と障害由来の困難の可能性
今回は、合理的配慮の中でも試験の時の話に限定してまとめます。
前述の記事の中で「マスクから鼻をだしていた」「定規を使用していた」という2点の不正について気になってのツイートでした。
もちろん、これら2つの不正が発達障害と直接的に関係があったと断定することはできません。あくまでも、可能性のひとつとして思い当たったので書き記しておこう、という程度の話です。
「発達障害ゆえの感覚の過敏で長時間のマスク使用が難しい」いうのは、以前からあったもののコロナ禍で大きな問題として取り上げられることも出てきたと思います。
特定の素材ならなんとかなるというケースもあろうかと思いますし、こだわりなどから鼻を出した状態なら維持できる、というケースがあってもおかしくなかろうとは思います。
また、定規の使用に関しても「定規を当てた方が文字が読みやすい」(程度によっては定規を当てないと文字が踊ってしまって読めない、というケースもあろうかと思います)というディスレクシア(学習障害の一つで、読み書きの障害)の可能性も考えられます。
どちらもあくまでも想定に過ぎませんし、全く別の理由からの行動の可能性も十分にあるということは重ねて書いておきます。
とはいえ、どんな障害があろうとも事前に申請なく不正とされる行動をとれば注意されることも、状況によっては受験資格を失うことも仕方がないことです。
では、そのような困難を抱えているときにどうしたらいいのか、というお話をしたいと思います。
試験時の【合理的配慮】
共通テストを主催する大学入試センターのサイトにはこのようなページがあります。
発達障害だけでなく様々な障害について、受験の上で必要とする配慮について詳細に記載し、診断書を添付して事前に提出することができます。
試験時間の延長や別室での受験、リスニング時の配慮など、様々な選択肢が記載されているほか、それぞれの特性に応じた配慮を詳細に記載して申し入れることができます。
私は具体的にこの申請作業をしたことがないので実際にどんな対応を受けるかはわかりませんし、センター試験の頃から実際の事例は公表されてはいないようなので現実にはどの程度の配慮が受けられるものなのかは定かではありません。
ただ、障害者差別解消法に則れば独立行政法人の大学入試センターは合理的配慮の義務があるため、過剰な予算がかかるなどの理由がなければ拒否はできない立場にあり、また拒否するときは申請者が納得するまで理由を説明する義務を負っているはずではあります。
(とは言ってもそんな、というのは我々当事者親子の多くが現場で度々痛感しているところではありますが)
さて、大事なのはここからです。
たとえ入試時に配慮が受けられる仕組みが整っているからといって、誰でもどんな風にでも申請できるわけではない、というのが試験時の合理的配慮のとても難しいところだというお話をします。
「試験時の合理的配慮」を受けるために必要な準備段階
すでに2千字を越えていますがやっと本題です。
試験時に合理的配慮を受けようと思ったときに必要なもの、それは【配慮の実績】です。
この配慮実績は【対外的な証明】と【本人にとっての効果】の2つの側面から必要不可欠になります。
合理的配慮の【対外的な証明】としての実績
前述した大学入試センターが発行する配慮の申請書類の中にも【高等学校等で受けている配慮】について記載する項目があります。
個人の思いつきで求めているわけではありませんよ、実際に過去にこのような配慮を受けてきているのですよ、という証明書のようなものです。
高校の先生方も必要とみなしている、というお墨付きの意味合いですね。
実際にその方法で特性による失点を防ぐ効果がある、と第三者が認めていること。
また、その方法は高等学校等で実施したことのある、いわゆる実行可能性が高い方法であるという証明にもなります。(「そんな予算もかからず簡単にやれるよ」という実例があるということですね)
さらに、やってもらえたら確実に本人が助かることがすでに証明されている、という結果の担保もついているということでもあります。
通常の試験の実施にさらにプラスアルファで作業や費用の負担を負わねばならないという義務ですから、できるだけ安心が担保されている方が確実に通しやすくなる可能性は高いです。
逆にいうと実績が乏しい案であれば、リスクをかけてまで導入するハードルはより高くなり、様々な理由から却下される可能性もより高くなってしまうかもしれません。
第三者が認めた実績、というのは配慮を受けるための大きな力を持つ要素として、必要不可欠です。
合理的配慮の【効果】としての実績
特性のある子に対する配慮の難しさのひとつが【やってみるまでわからない】。
これは発達障害のある子を育てた経験、指導や支援の経験がある方にとっては痛いほどわかることではないでしょうか。
Aくんにうまくいった方法がBくんにそのままうまくいくか、というとそうはいかない。
同じ診断名、似たような特性があっても、実際その子にガチッと合うかどうかはやってみるまで誰にもわからない。トライアル&エラーの連続です。
我が家でも次男の様々な困難に対し、ひとつ試してはうまくいかず、また次を試して定着せず、様々な働きかけの末にピタッと合うものがごく稀に見つかる、という、ギャンブルか宝探しかというような毎日。
筆箱ひとつ、ノート一冊とっても、どれならうまく扱えるかわからずに3つも4つも買って使ってみて、やっとこれ、というひとつが見つかる、そんな状況です。
そんな特性の強い子たちにとって、試験時にどんな配慮が必要かどうかが短い時間でわかるわけがないのですね。
授業を受けてみて、テストを受けてみて、その結果をよく精査して。
特性と鑑みてどの部分が特性ゆえに失点しているのか、どんな影響受けてしまっているのか、本人ともよく話し合う必要があります。
特性ゆえに失点している部分があるのであればそれをどう補っていくか、と考えていかねばなりません。
保護者がグイグイと介入してどうにかできることではないのが難しいところです。
試験会場に同席するわけにはいきませんから。
学校の特別支援コーディネーターの先生など、校内の担当者や支援者とよく相談しながら様子を見て必要と想定される配慮の事例を検討し、小テストや定期考査などのタイミングを活用して実際に試す。
その配慮が結果に反映されているかを確認しながら情報を蓄積し、「どんな配慮が本人にとって必要か」を固めていかなくてはなりません。
学習支援の専門家など、当事者を見て配慮の提案が即時できるようなエキスパートも存在するかもしれません。
ですが、現状ではまず出会うのは難しいと考えた方が無難でしょう。
(出会えたら超ラッキーだと思います…!)
学校の先生方も特別支援の専門知識があるわけではないケースが多いですし、合理的配慮の事例に対する知識が乏しいケースも、下手したら試験時に合理的配慮が受けられるという事実そのものについても知らない可能性もあります。
現状では、保護者がある程度の知識を持って学校に協力を依頼し「入試までに本人にどんな配慮が活きるかを確認するための機会としてテストを利用」していく必要があります。
専門家ではない人間がチームとして取り組んでいかねばならないことなので、短い時間で結論を出すのは非常に難しい。
大学入試、高校入試という大目標を目指すためには少しずつでも早めに意識しておく方が効果は得やすいだろうなと思っています。(私がこういうことを言うのは多分すごく珍しいと思います)
合理的配慮の材料としての【診断】と【自己理解】
最後に、合理的配慮を当事者が受けるために必要な準備について触れておこうと思います。
確定診断の是非
発達障害の診断についてよく「メリットは投薬くらい」と言う話が出ます。
これは私も実際に痛感していることでもありますが、合理的配慮の話になってくるとちょっと様相が変わってきます。
合理的配慮は障害者差別解消法のもとで義務化されているものですから、対象は障害者として診断を受けている人になってきます。
大学入試センターに対する申請書にも医師の診断書を添付する必要がありますし、合理的配慮を受けることを考えるなら確定診断は必須事項になってくるかと思います。
知的障害のない発達障害のある子に対して確定診断が必要かどうかと悩むとき、将来的に診断書を伴うような合理的配慮を求める必要があるかどうか、については検討に含めていると良いかなぁと思います。
自己理解の必要性
知的障害のない発達障害で通常級に在籍するような子のケースだと、家庭の外で配慮を受ける必要がある中で、保護者ががっつり関わることができるのは小学校までが限界かな、というのが私の実感です。(個人差は大いにあります)
中学になると保護者の見えない部分がかなり増えていきますし、高校になると全く見えません。
必要な配慮は何かと考えたり実際に配慮を求めたりする主体は年齢が上がるにつれて保護者から本人へと移行していくことになります。
試験時の合理的配慮に関しても、テスト会場で実際に試験を受けるのは自分しかいませんから、当然自己理解をした上でこれは活きる、これは活きない、を自分で判断する必要が出てきます。
また、前述した私の過去記事でも触れていますが、合理的配慮は原則当事者からの発信と考えておいた方が良いと思います。向こうから与えられるものではなく、当事者が自分の障害特性を理解した上で必要な配慮を求めることが【合理的配慮の合意形成プロセス】の最初のステップになってきます。
本番に会場でどんな配慮を必要とするか(または必要としないか)を決める主体も保護者ではなく本人にあり、本人が必要を感じて求める行動を起こすことがスタートになります。
そのためには本人がある程度の段階で自分の障害を知り、特性について自分なりの理解をしておくのが大前提になってきます。
また、合理的配慮はある意味での「特別扱い」を求めることになるわけで、本来の意味を違えて理解してしまったら本人のためにも周りのためにもならない、残念な結果を生みかねません。
自分の特性を理解し、障害を受けとめ、障害者差別解消法や合理的配慮の合意形成プロセスなどについての正しい理解が伴っていることも、試験時の合理的配慮を受けるための大事な要素になってくるだろうと思います。
おわりに
こんなふうに試験のことをたくさん書いておりますが、実は我が家の次男は数日うちに初めての高校入試を控えています。
次男の試験時の合理的配慮について中学に最初に相談したのは入学直後だったと思います。
そこから担任の先生方と色々と相談したり、実際に試せそうなものを試してみたりしながら、結果的に本人の意思もあり次男は合理的配慮の申請なしでの受験に挑むことになりました。
まだあと数回の受験のチャンスがあるので、今回の様子を受けて本人と次の機会にどう挑むかを相談することになっています。(合理的配慮の申請や服薬の調整などいくつかのカードを持っている状態です)
最後になりましたが、ツイートでも触れていた合理的配慮の具体例を調べられるサイトをご紹介しておきます。
また、この他にも「合理的配慮 事例」などで検索すると様々な学校で実際に取り組んだ事例などをまとめたものを見ることができます。
こんなことも頼めるのか!と驚くようなものもあるかもしれません。
余談の余談になりますが、我が子のためにと思って通した配慮が、こうやって記録に残り、誰かにとっての「前例」になることもあるのかもしれない、というのもまた、我々の血の滲むような育児のひとつの成果のかたちなのかもしれないなぁと思うと、過去の苦しみも涙も決して無駄ではなかったと思えたりするのかもしれないという感傷的なことを漏らして、六千字に迫る長いエントリを締めたいと思います。