スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

14歳の性交同意の話から考える、思春期の子供たちのこと。


ここ最近次男の高校合理的配慮奮闘記メインになりつつあるこのブログですが、今日はちょっと違うお話を。

 

昨日かな、14歳と成人の性交同意がどうの、というのがネット上にたくさん流れてきておりまして、Twitterも大変賑わっているのを眺めていました。

 

我が家にもまさに中2の娘がおりますので、全くもって他人事ではないこの話題について、今日はちょっと考えたことを綴ってみようかと思います。

 

 

思春期の「子供」と暮らすという、とても難しい日々

我が家の子供たちはいま、高校生(2人)と中学生、小学校高学年。

思春期(定義として8歳ごろから17、18歳ごろまでを指すとされる)どっぷりど真ん中な4人と暮らしている中で、夫や関わりのある実家の家族たち、学校の先生方と彼らへの対応について考えていく中で「思春期だから」という前提条件を共有しないと話がうまく進まない、という場面に日々直面しています。

それくらい「思春期」というのは対応がとても難しい年代だなぁ、と痛感する毎日なんですよね。

 

バランスの取りづらい心、体、頭

彼らと接していて一番難しさを感じるのは、彼らの「心と体と頭」が乳幼児期、また大人のそれほど、均衡が保たれていない前提で構えねばならない、ということではないか、と考えています。

 

幼少期までに「やってはいけないこと」「やらねばならないこと」という、最低限の知識や生活習慣はすでにほぼ身についている彼ら。

ただ、小さい頃のように「言われたら動く」という行動はもう取りません。

 

しつこく親に言われて苛立つ様子は思春期の風物詩のようなものではないかなと思うのですが、頭ではわかっていても、心が伴わなければ体が動かない。

でも体が動くという表出する行動が出てこなければ結果を出せないのでさらに大人から声がかかる、わかってるのに、やろうと思ってるのに、という苛立ち。

あぁ、当時の自分を思い出して恥ずかしくて穴を掘って埋まりたくなる気持ちになってきました。

 

大きくなっていく体と、ゆっくり育っていく脳みそ

思春期の体はどんどん大きくなります。

うちの兄ふたりももうとっくに私を超え、夫の身長も越えようとしています。

小さい小さいと思っていた娘や三男も、気づけばかなり大きくなってきています。

 

彼らを観察していると、体や自我が急速に育っていくスピードと、脳みそ(とあえて大きく括りますが)の育っていくスピードに差が出ていく時期があるような気がしています。

 

高校生にもなれば見た目はすっかり大人と同等に育ってきますね。

ニキビやまだ幼い顔立ち、肌艶など大人と違うところはままありますが、姿形はもう成人のそれと遜色はなくなる子が多いなぁと思います。

 

また、コミュニケーション能力も同じく育っていくので会話も大人と話しているのと変わらない感じになっていく印象があります。この辺りは個人差が大きく出て、個々の差が開いていく時期でもあるかもしれません。

 

見た目と中身のアンバランス

見た目もやり取りの能力も大人に近くなっていく彼らと接していると、大人と暮らすのと何も変わらないような気持ちになることもあります。

そして当の彼らそのものが「自分は大人に近しい存在だ」と思っているだろうなということも感じます。

 

ただ、じっくり会話をしていくとやはり、その見解には視野の狭さや見識の浅さが垣間見えてくるのも事実です。

先の見通しが甘いことも多くあります。

でもそれを直球で注意されたり指摘されたりするとすごく嫌がる。

 

 

大人に見られたい、でも大人と同等の結果が出せなくてもそれを指摘されたくない、そんなとてもアンバランスな状態で生きている彼らとの暮らしは、わざわざ「思春期だもんねえ」と声に出さないと流せないほど、こちらの接し方が難しいなぁと思うのです。

 

どこまで見えているか、どこまでわかっているか

彼らと接する中でまず一番難しいのは、言葉を交わせる関係を築けるか、というところです。

話を十分に聞かなかったり、大人の論を押し付けたりするとまず心は開いてもらえないので会話の対象には入れません。

 

そこをクリアして彼らと会話していく中で大人が意識しないといけないのは、彼らが「どこまで見通しを立てられた上で話しているのか」という部分です。

会話の能力が大人相応にある子と話していると、ついその判断能力や見通しを立てる能力も大人と同レベルであると誤認しやすくなります。

 

そこが、落とし穴です。

 

どんなに大人と同レベルの会話に長けた子でも、やはり中学生は中学生なりの、高校生は高校生なりの脳みそしか持ちません。

その年齢までの経験しかありませんし、見通しを立てる能力も大人に比べたら劣ります。

 

うまく計画を立てられたと思って話してくれている内容が、大人から見たら穴だらけ、ということはよくあります。

 

でも、前述したようにそこを直球で指摘してもいい顔はしません。

自分では「できる」と思っているので。

 

ここで並走する大人としてできるのは「成功するよう道を整備してそこに乗せること」ではなく「バレないように失敗も想定しつつ、表向きは静かに様子を見守る」スタンスなんだろうなぁ、と思っています。

 

思春期の彼らに対して大人がとるべきスタンス、できること

ここまで整理してきた彼らの状況から、性交同意年齢について振り返ってみたいなと思います。

 

例にあがっていた14歳は法的には未成年なので、大人の庇護下に置かれるべき、守られる存在です。

法的にはその方向で議論していただいて良いのだろうと思います。

 

ただ、現実の彼らと接するときはまたちょっと違う。

14歳でも見た目が大人と変わらないくらい成長している子もいるし、性体験のある子もいるでしょう。性交の快感を知っている子がいてもおかしくはないと思います。

「子供が大人を誘うわけがない」と断定するのは危険です。その行為そのものが彼ら彼女らから表出する可能性は十分あります。

彼ら彼女らの体とコミュニケーション能力はもうその年齢では十分に、大人からそう見える行動を取ることができる程度には育っていると考えてもおかしくはないのです。

 

ここで大人が試されることになるな、と思います。

 

表出する言動を、大人のそれと同等に真っ直ぐに受け止めていい年齢ではないからです。

思春期の子供たちの見せる言動は、その全てが「未完成な人間のそれ」だということ、それを、私たち大人は絶対に忘れてはいけないと思うのです。

 

ここで間違えてはいけないのは「だから大人と同等に扱わなくていい」という話ではありません。

 

まず大前提として法のもと彼らの人権は保障されるべきであり、不当に侵害されてはいけません。

また、発言や行動の責任は法で定められている範囲内で求められるべきことです。

「子供だから大人の言うことをきけ」ではいけないし「子供だから何をしてもいい」わけでもありません。

 

そして、未熟だから丁寧に対応せず適当にあしらっていいわけでもありません。

彼らの精神を守るために、対等な人間として尊厳を傷つけないように接する必要があります。

 

ただ、その前提を守った上で「それでも未熟な言動なのだから、真っ向から受け止めてはいけない」ということを大人が理解し、彼らに適した対応をしなければならないのだろうな、と思うのです。

 

性交同意年齢についても同じです。

たとえ、本当に大人に対して性的なことを誘ってきたり、また大人の同意にのるような素振りを見せる子がいたとしても、大人と同じ世界が見えた上での言動ではないわけです。

しっかりしたことを言っていそうに見えても、14歳は14歳なりの世界しか見えていません。その狭い世界しか見えていない子供がたとえ性的な誘いを見せたとしても、大人としてあるべき対応は「そこにはどんな背景があるのか」を慮り、また保護するために自分にできることを模索することではないかと思うのです。

 

性的な誘いを真っ向から受け入れても責任を問われないのは、大人から誘われた場合だけだと私は思います。

未成年の、それもまだ義務教育下にあるような年齢の子が見せた行動を「大人のそれ」と同等に受け取るのは愚かです。これは、性的な誘いに限らず、どんな問題のあるように見える行動にも言えることです。

 

ここは、大人が絶対に忘れてはいけないことなのではないかなと思うのです。

 

おわりに

思春期の子たちは、個人差はありますがかなり一人前に大人と同等の言動を取ることができます。

高校生にもなると、社会人として求められる行動のほとんどは能力的には実行可能なのではないかなと思います。

(まぁ中卒で働く子もいるので当たり前っちゃ当たり前ですね)

 

でも、前述した思春期の期間、8歳ごろから17,18歳ごろまでの子たち、個人差も大きくありますがどんなに大人に近しい言動を見せたとしても、やはりどこか未完成です。

 

彼らの人としての尊厳を大切に守りながら、でも成人と同じ判断能力を持つわけではないということは決して忘れてはいけない。

そう思いながら今日も彼らと暮らしています。

 

余談ですが、発達障害の特性のある子たちの思春期は、定型よりの子たちのそれよりも桁違いに難しいなぁという印象があります。

具体的にいうと、前述したような心と体と頭のアンバランスさの開きがより大きい感じでしょうか。

 

この辺のこともまた、言葉にしてかけたらなぁと思ったりしております。

今日はこの辺で。

スポンサードリンク