スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

【教員の年度途中での産休】に保護者が言及する問題について考える。


相変わらずブログを放置しているスズコです、こんにちは。

 

今朝Twitterを眺めていたら #教師のバトン タグのとあるツイートを目にしました。

(燃やしたいわけではないのであえて引用はしないでおきます)

 

大まかな内容としては「先生産休に入らないよね?」と保護者から言われることについて。保護者批判的な内容も含むのでそれ以上には触れませんが、何年も何十年も温存されているこの問題について「いまだに保護者のせいにして終わられてしまうのか」という残念な気持ちがあるので、掘り下げて考えてみようと思います。

 

 

「そんなことを言っちゃう」保護者という存在

女性教員が産休に入ることで保護者からクレームが入る、というのは今に始まった話ではありません。

遡れば私たちが子供の頃からあったと思いますし、私が小学校の保護者になった12年前にも見聞きすることのあるものでした。

 

この歴史の古い問題について紐解くとき、まず前提として考える必要があるのが「そんなことを口に出しちゃう保護者」という問題です。

私が目にしたツイートの教員の方が想定して語っておられるのはおそらくそういうケースだと思います。

 

女性教員の妊娠出産について迂闊に言及すると「女性教員には産む権利はない」「我が子たちのために私生活を犠牲にして滅私奉公せよ」という、非常に前時代的でかつ差別的な思想を含む主張と受け取られかねない危うさがあります。

表出した言葉だけを受け取れば、私が見たツイートの先生のように「自分には子供を産む権利はないということか」と言われた先生が憤ってしまうのも仕方ないと思います。

 

だからこそ、私たちはそうそう口にはしないのです。

だからこそ、「そういう保護者」だけがうっかり口に出してしまうのです。

 

そして「一部の心無い保護者が無茶なことを言う」という話として現場で共有されてしまい、水面下に潜む大きな課題が放置されたままになっているのではないか、と思うのです。

 

水面下に潜む大きな「仕組みの問題」

では、水面下にどんな問題が潜んでいるか、について考えていきましょう。

小学生の保護者をしたことのある方、特にハンディのある子や繊細で周りの影響を受けやすい子を育てたことのある親御さんにとって「担任」という存在による影響が非常に大きい、というのはご理解いただけるのではないかと思います。

 

私も4人の子を育てながら、毎年の人事異動や担任発表をハラハラしながら見守ってきました。「誰が担任になるのか」でうちの子たちのその一年にかなり大きな影響を受けるからです。

 

子供たちにとって学級担任というのは学校という環境の中で影響を受ける要因としてとても大きな存在です。

これは、小>中>高と年齢が低いほど大きい傾向にあります。

 

小さい子ほど身近にいる大人に影響をより受けやすい、という年齢の問題がひとつ。

 

そして、年齢が上がるごと、進学するごとに教職員の配置は手厚くなる傾向にあり、副担任の存在や教科担任制など「一人の教員」の影響が薄れやすいというのもひとつだと考えます。(この辺りのことは次男の高校進学のことを書いたときにかなり言及しましたが、入学式のときにひとクラスに関わる教職員の多さに圧倒され、小中学校との違いを痛感しました)

 

担任が交替することによるリスクについてはずっと昔から保護者の中には懸念としてあったと思います。

 

それでも大きな問題になってこなかったのは、我々の幼い頃は保護者がそこまで学校のことに介入すべきでないという価値観があったことも影響としては大きいかもしれませんし、何よりもかつてはそれなりに校内で対応できていたというのもあると思います。

 

私たちが小学生だった頃の教員の在り方と今のそれは、誰の目から見ても明らかにブラック化しているといえるからです。

 

そこに、もっとも大きな課題がさらに潜んでいると私は見ます。

それが「担任が年度途中に変わるリスク」に対応できない、という仕組みの問題です。

 

「担任交替」に対応しきれない学校の現状

学級にいる子たちの中には「誰が担任になるか」の影響をほぼ受けない子ように見える子から、担任交替で不登校まっしぐらになり得る過敏な子まで多様ですが、年齢が低いほどそれぞれの子たちに交替の影響は色濃く出ます。

 

そしてそれをクラス全体という枠で考えたとき、担任が年度途中で変わることによりクラスの雰囲気全体が大きく影響を受けることにつながりやすいのです。

 

そして、その子供たちにとっての大きな変化に柔軟に流動的に対応できるほどの人材の余裕が、今の学校、特に公立の小学校にはありません。

 

産休に入る先生の代わりを見つけるのも大変と言われるような状況の中で、やっと見つかって入った先生のクラスが学級崩壊、というのも近年珍しい話ではありません。

また、そうやって崩壊しそうな状況にある学級に担任外の教員やサポート役が手厚く介入して問題を未然に防ぐのもとても難しい。

 

柔軟に対応できる管理職がいたら何とか成り立つ程度で、そんな「デキる」管理職がいたとしても人員不足に対応するのはかなり難しく、そしてその皺寄せが現場の教員に寄ってしまっているのが現状だと思います。

 

私が小学生の保護者になった12年前から今日までの間だけでも、副担任がつかない学級が増え、ここ数年は小規模校では担任を持たない教員がほぼいない状態が続いています。

担任一人の負担はより増え、イレギュラーな状況に対応する人員に乏しい状態が続いているのが現状です。

 

矛先を保護者に向けられることの弊害

私はTwitterで噴き上がる教員の保護者批判を見かけるたびに仕組みの不備について言及してきました。

保護者と教員が対立関係になることを避けたいからです。

そこが対立してしまったら苦しむのは狭間にいる子供たちだからです。

 

今回目にした担任交替に関する課題でも同じことが言えると思うのです。

 

現状の学校、特に公立の小中学校では担任一人にかかる責任がとても大きく、学級に与える影響も大きすぎるほどに大きい。

安定している学級の担任が変わっただけで学級崩壊まっしぐらになるケースを私が見てきたのは我が子のクラスだけではなく複数あります。

 

このような惨状において「子供の学級担任が交替する」というのは保護者にとっては大きな問題です。

もちろん、妊娠出産の権利を侵害することは誰にもできないし、おめでたいことを祝福し受け入れるのが筋だとわかっています。

だからこそ、学校に向けて簡単に口にすることは避ける保護者がほとんどだと思います。

 

しかし、ツイートされている先生方のように「矛先を保護者に」で留まってしまうことを私は懸念しています。

表面上の対立を産み、そして水面下にある根本的な仕組みの問題から目を逸らすことができるようになってしまうからです。

 

職員室の中で特定のクレーマー保護者が無茶なことを言ってくるよね、という話にしておけば管理職にとっては、さらに上のお役所にとっては、国にとっては、水面下に潜んでいる大きな問題で現場の不満が噴き上がるのを先延ばしにすることができてしまいます。

 

皺寄せは弱い方へ、弱い方へ

「一部の心無い保護者のせい」で教員が大変な目に遭っており、そういう人たちが改心し行動をあらためてくれたら済む、という話になってしまっていることが今の学校現場にはたくさんあります。

 

しかし、実際にはそれぞれの問題について学校内部、また公教育全体の仕組みの問題は大きく、保護者がおとなしくなれば改善するような小手先の課題ではないものばかりです。

 

しかし、水面下の課題を放置したまま教員と保護者の間に対立構造ができてしまう。

そしてそこで一番の被害に遭うのは、はざまにいる子供たちに他ならないのです。

 

保護者は教員の資質や在り方のせいだと断じ、教員は常識のない保護者のせいだと嘆く。

仕組みの問題はいつまでもそのままそこに放置され、どんどん悪化の一途を辿り、教室の中でより弱い子たちに皺寄せがいく。

私が小学校の保護者として学校とやりとりをしてきた12年間で、どんどんこの傾向は強まっていっているように感じています。

 

おわりに

長くなりましたが、そろそろまとめましょう。

 

年度途中での担任交替で学級に大きな影響を与えてしまうような教育制度の仕組みがある、というのがまず古くから日本の公教育の課題のひとつ。

 

その担任交替により学級への影響を最小限に防いだり、トラブルが起こったりしたときに校内でそれなりに対応してきた経緯があったと思われるが、近年の教員不足によりその対応に割ける人員が極端に減っているのが現状で、その傾向は年々顕著に、悪化傾向にあると思われる。

 

この、過去から温存されてきている2段階の課題がまずあること。

そして、多くの保護者はその問題を感じていないわけではないけれど、近年の人権意識の高まりにより言及することは憚られるため、ごく一部の「言っちゃう」保護者が目立つこと。

それにより、公教育の大きな課題であるこの問題が「理解のないクレーマー保護者により無茶を言われる事案」と受け取られやすいこと。

 

そうやって保護者と教員の間に不要な対立構造を生み出すことで子供達にその皺寄せがいくこと、また子供の中でもより弱い方弱い方へと皺寄せがいってしまうこと。

 

また、学校の中でもより立場の弱い先生方のところに皺寄せがいってしまうこと。

 

理想を持って現場に臨まれたのに、数年で心を病み現場を去る先生、長く教員を続けてこられた現場主義のベテランなのに管理職との間で苦しんで早期退職してしまう先生…私の周りでも学校の在り方に苦しみ現場を去っていく先生は年々増えています。

 

また、Twitterでは保護者批判を繰り返す教員アカウントも多く目にします。

 

変えなければならないものはもっと違うところにあるはずなのに、改善しなくてはならないことはもっと他の場所にあるのに、矛先は私たち保護者ではないはずなのに。

 

いつももどかしい気持ちで、どうか対立を避けてほしい、どうか先生方の環境がもっとよいものに、これからの先生方が保護者を恨まずに済むような環境に恵まれるように…と願い続けています。

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