まったり朝のコーヒーを飲みながらTLを眺めていたら、
育児中に30分でも喫茶店に行って一人で過ごす時間があったら嬉しい。そういう時間をママにあげて。
というような主旨のツイートが流れてまいりました。
なるほど、うん、そういうのが嬉しい人もいるよね。と思いながら自分を振り返ったら、そういう時間をもらえたら嬉しかったかなぁとちょっとしっくりこない感じになりました。
子守ばっかりでしんどかった時期にどんな時間が嬉しかったかなぁと振り返ったとき、新生児~1歳くらいまではとにかく寝たかった。うん、ただ寝たかった。
んで、少し大きくなってきたら…今度は一人になりたかった?
いや違うなぁと。私は一人で出かけるより、溜まった家事を誰かがやってくれるなら子どもたちと片手間でなにかしながらじゃなくゆっくり遊んだりおしゃべりしたりしたかったなぁと。
夫なりに家事を手伝ってくれてそれをフォローしてくれることもたまにあって、それはとても有難かった。もちろんうまく回らなくてムキーとなった日も多かったですが。
そういう過去を振り返ると、私にとって「30分こどもたち見てるからゆっくり喫茶店に行っておいでよ」というフォローは有難いかもしれないけどピンポイントではたぶんなかった。育児中の誰もが一人の時間がほしいわけではなかったりするんじゃないかなぁと私は思う。
少なくとも私はそうだった。誰にもまとわりつかれずにゆっくりご飯食べたいとか、トイレくらい一人で行きたいとか、スーパーに連れて行くと大変とか、そういうことは確かにあったから夫や実家に預けて出かけるのは快適でもあったけど、でもそれで自分が満たされてリフレッシュできるというものでは多分なかったと思う。
ゆっくりお茶が飲めるなら、同じ室内にこどもたちの存在を感じながらがいいなぁと思ってしまう。ご飯も、こどもたちの姿が見えないところで一人で食べても多分美味しくない。
それは、私が母親としての出来が良いとか悪いとかそういうことではなくて、ただ単に私が「ひとり時間」を必要としてない人間だからなんだろうと思う。それは、生い立ちに起因するのかもしれないし、先天的な性格かもしれないし、何かのトラウマからなのかもしれないし、その要因は私にはわからないけど、でもとにかく、ひとりで出かけるということがリフレッシュにはならなかった、私はね。
だから、最初の誰かのツイートに、私はこう付け加えたいの。
ひとり時間が必要な人にはそれをあげて欲しい。でも何が欲しいかはそのママによってきっと違うから、だから、紋切り型にこれがいいんでしょ、というフォローではなくて、自分の大事な人が何を求めているかをゆっくり話してそこを重点的にフォローしてあげてほしいなぁと思う。
そういう、しんどさを共有することそのものが、育児のフォローの根幹なのかもしれないなぁと、ふと思ったのでした。
ここからはおまけ。
そんなことを考えてTwitterでぶつぶつ言ってた中で、じゃあ旦那さんに子供を任せてゆっくり出かけたらその間に義理の実家に勝手に預けられてたことに憤慨した知人のことを呟いたのですね。
それに対して「自宅で自分で見るのがデフォルトじゃないと」というご意見や「苦労をわかってもらうために預けたのに思ったようにならなかったことがムカつくんじゃないか」というご意見等々頂きました。
うん、私も上の子たちの産後しばらく、ダンナに父親らしくなって欲しくてなるべく自分ひとりで面倒みろよ、と思ってたし、そうしないことに腹たってケンカもしたし、義理の両親に預ける事自体が怖かった時期もあったから、その感情はなんとなく分かる。
ただね、通り過ぎて来て振り返ったからこそ思えることだけど、そういうケースで「旦那さんが実家に頼った」ことを責めることはあまりお勧めしない。あなたが見てくれると思って安心して預けたのにそれを放棄した、という精神的な部分については反省を促しても良いと思う。
義理の実家との関係自体は、産後は悪化しがちだよね。私も子どもが可愛いばっかりで疑心暗鬼になって必要以上に義理の両親に預けることを拒んだ時期もあったもん。それはホルモンの関係とか、ほんとに義理の親が注意力散漫とか家が危険とか不潔とか、いろんな事情もあるから簡単に頼れとか預けろとかは言えないと思う。
ただ、もしそう言う極端なケースではないなら、義理の実家を預け先として確保しておくことは後々自分が楽になるために必要なことだと思うからかたくなに拒むのはあまりお勧めしないというだけ。
この例を出したのは、最初に戻った時に「義理の実家に預けて出かける」ことが奥さんにとっての希望したフォローではなかったということ。大事なのはひとり時間でも夫の家事負担でも義理の実家に預けないということでもなくて、コミュニケーションをちゃんと取るということ、そこで相手のしんどさを共有して、気持ちを汲み取ってそれを叶えようとすること、だと思う、というお話でした。