スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

役員を「やらなかった」ときのリスクについて考える。


今日は時事ネタというわけではないんですが、昨日ふと感じたことを書いてみようかなと。

 

私は今、子供たちが所属している学童クラブ(放課後児童クラブ)の運営に委員として関わっています。

ご存知の方も多いかと思いますが、国が平成27年4月施行を目指している「子ども・子育て新制度」というものがありまして

(詳細はこちら→少子化対策 / 子ども・子育て支援新制度:政策統括官(共生社会政策担当) - 内閣府

 

要は待機児童を減らそうとか幼保一体化をどうするかとかそういうことを国全体で取り組みましょうという大枠を今有識者の皆さんが色々と検討されていて、それを受けて各自治体もそれぞれの現状に合わせた条例を制定しなきゃいけない、という、今そういう状況です。

 

小学生を対象とした放課後児童クラブもこの制度の枠の中で議論されていまして、現行3年生までが主な対象となっている学童を原則6年生まで受け入れるようにしようとか、児童1人当たりの面積を決めることで各施設の定員を明確に決めようとか、そういうことが法律として決まろうとしています。

 

そして、その法律では明確に決まっていないけれど各自治体の現状に合わせて考えて決めてね、という条例について、今それぞれの自治体ごとに有識者や学童関係者の代表が集って色々と検討を重ねている状態です。

 

私も関係者のひとりとして意見を出したりする立場にあるので、いろいろと調べたり聞き取りをしたりと関わらせていただいています。

 

 

昨日もその関係の方と電話で色々と話し「もうすぐ決まってしまうから、きちんと考えて各クラブにとって悪い方向へ行かないようがんばらないといけないですね」と話しながらふと、怖いな、と思いました。

 

もうすぐ条例は制定されて、来年の4月には施行されてしまう。その決定に自分たちは決定権はないものの関わっていて、主張をちゃんとしないとわが子も含めたくさんの子供たちがお世話になっている学童保育が苦境に立たされることになるかもしれない、その方向を決めることに自分は関わっているんだなぁと。

 

そして同時に、私を含む数名の委員しか知らないその大きな方針変換のことについて、学童に子どもを預けている多くの保護者のみなさんは条例が変わるとうちのクラブがどうなるかも詳しくは知らないまま、知らないままで役員を引き受けている数名に委ねている状態なんだなぁと。

 

こんなに大きなことを役員が担って決定に関わる、変更をする、ということは数年に1度あるかもわからないようなイレギュラーなことなのだけど、日々の小さなことを決めること、行事の内容を決めること、お金の使い道を決めることなど、役員の特性にもよりますが何かを担えばその裁量の中で何かを決めるということはよくあるんですね。

 

私はこれまで、役員って半ば押し付けられてやらされている、とどこかで思っていました。みんながやりたくないことをやらされる役回り

でも良く考えたら決定する権限は役員を引き受けた側にあるんですね。

何をやるか、何をやめるか、何にお金を使うか、誰に払うか、等々、決めることが出来るのが役割であり、役員決めに来ないこと、決めるときに手を挙げないこと、誰かに決まったときに承認の拍手をすること、それは、決まった方に自分の権利を委譲します、という意思表示でもあるのではないかなと。

 

PTAなどの役員をやる、というと前年度から決まっている役割をルーティンにこなすことを押し付けられる、というイメージがあったんですね。

でも

「PTAは変えられます、というか、変わりましたね」──楽しむ学校応援団「PTO」の始め方! | サイボウズ式

の山本さんもそうだけど、抜本的な改革をやっている方というのは役員、特に会長など権限の大きい役割を担っている方じゃないかなと思う。

役割を引き受けるということは、自分の判断で変えることもやめることも出来る、ということなんだなと。

 

私も、小さい規模ながら学童保育の運営に関わっているので、おやつをいくらくらいにするか、どんな本やおもちゃを買うか、それはどこで買うかなどの決定に関わることはよくあります。変な話ですが、その業者を自分の身内や友人から選ぶことも自由に出来る立場でもありますし、バス旅行の行き先を自分の子が行きたいところにすることも、やろうと思えば出来る(やったことはありませんが)。

そんな些細な日常のなかの小さな選択から、組織そのもののあり方を変えることが出来るような大きな判断まで、役割を担うことで決定権を持つことになる。

 

私は、誰でも役員を平等に担うべきだとは思わないし、事情があるときはそれを避けることも、やりたくないからやらないという選択も、どれもありだと思う。

でもそれを決める場で、自分以外の誰かが役を担うことになったら。

そのときはその担った人が、これから任期の間にその組織の方向を決める立場にあるのだということ、その権限を自分は委譲するのだということを考えておかなくてはならないのだな、と思いました。

 

もちろん事情があって出来ない方にとってはその委譲も心苦しいものだったり不安なものだったりするのかもしれないし、そう思うからこそ変な方向へはやれないという責任を負って役にあたってはいるんですが。

 

でも中にはというかかなりの数、とりあえず嫌だから避けるというのがギラギラ見える方もいてときにモヤったりはするわけで、で。

 ここまでツラツラと書いてきたことを一言で平たく言うと、やりたくないから逃げたのに手を挙げなかったのに決まったことに文句言うなよ!っていうことではあるんですけどね。

いやそんなこと、現実にはなかなか言えませんが。

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