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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

親がダメだと子供がダメになる社会で良いんだろうか。


前にどれかのエントリで、小4長男が学校で問題を抱えているというようなことを書いた記憶があるのですが、彼のクラスはすこし前から学級崩壊と言えるかもしれない環境になっているようです。

 

今年度赴任して来た担任の先生が問題有りだということは田舎なのですぐに話が回ってきました。保護者の間にもじわじわその話が伝わり、子どもたちからも不満の声が聞こえるようになり。

嫌な予感がしていたのですが、その影響をもろに受けたギャングエイジの子どもたち、一部が授業をまともに受けられないとか落ち着かない、喧嘩が頻発する、課題に取り組まないなどの様子を見せ始め、その中にうちの息子も含まれていました。

 

家での様子もおかしかったので、担任との会話の中で異変に気づいてからは学校に何度も足を運び、担任や校長教頭と対応策について話す時間を取って頂き、学校内外の相談機関も利用し、あちこちに奔走すること数ヶ月、気づいたら長男はクラスでもほぼ落ち着きを取り戻しているようです。

 

今でも気は抜けないと折りをみては学校に足を運んで担任と話す機会を持たせてもらったり、他の保護者と連絡をとりあったりすることで息子のことも含め、クラス全体の様子がどうかとずっと気にかけている状態ではありますが。

 

 

この事件に関する一連の私の行動について関係各所からちらほらとお褒めや感心の言葉を頂くことがありました。直ぐに動いてくれたから何とかなっている、迅速で的確な対応だった、等。

 

その言葉を受けて、心のどこかでそれを自負として自分が感じていたことに気づきました。

 

「私が一生懸命動いたことで息子は窮地を脱することができたのかもしれない」

と思っていたような気がするのです。

 

それは事実ではあるのかもしれないから、そう思うこと自体が悪いとかではないとも思う。問題を抱える子の親としてで前向きにその事態に取り組んで行こうという状況の中で、同じような、自分が頑張れているということを心の支えにしている方も少なからずいらっしゃるのかもしれないな、と思う。

 

親なんだから一生懸命動いて当たり前なんだから、という声もありそうだなとは思うのだけど、そういう声に動じてブレないためにも、軸みたいなものを持って頑張って行く必要があることだろうなと、自負を持つ自分を肯定するような、そんな気持ちもどこかにありました。

 

そう思いつつ、でもそれがベースになっている学校という場所はどうなんだろう、という気持ちも湧いてきました。

 

というのは、長男のクラス、長男以外に担任や他の先生方が手を焼いている子が複数いました。幸い長男は落ち着きを取り戻しつつありますが、他の子たちは変わらないか、悪化しているような状態です。そしてその子たちの多くが、親と連絡がとりづらいと以前から言われている子だったり、複雑な家庭環境にあったりする子たちで。

 

その子たちがどうなっていくのか、それは余計なお世話だとわかってはいるし、うちの子のことだけに集中すれば良いということも事実ではあるんだけど、でも小さな学校で1年生の頃から、いやもっと前から知ってる子もいる中で、この子たちがどうなっていくのか、というのはとても気がかりでもあります。

 

親が円滑に動けばいろんなトラブルが回避出来る、というのは、自分自身が小学生の親になって改めて痛感していることです。

学校の先生方、保護者、地域の子どもたちと接する大人たち、我が子の周りにいる子どもたち…実子を取り巻く沢山の人たちと私や夫が好意的に接して関係を良い状態で保つことで、色々な場面で日頃から目をかけてもらえたり、問題が起こったときに助けてもらえたりする。これが関係がもし良くなかったら攻撃に転じられてしまうこともよくあるということを知っているからこそ、日頃関係を保つことの重要度については夫とともに常に気にかけていたことでした。

 

でもそれだからこそ解決する、で良いんだろうか,という気持ちもあるのです。

 

ネットでもあちこちで、親がDQNだと子もDQN、という表現やそれに近い言葉は目にします。親がダメだったから子供もダメだ。それは、仕方の無い現実なのかもしれないけど、そこで思考停止したくないとも思ってしまう。

 

親が手を広げられるから、行動出来るから、学校で起こった問題を解決出来た。

子供自身が抱える問題が改善された。

 

それは一つの解決法ではあるのだけど、それが基準になっちゃうのは怖いなと。

親が解決出来る人はそうすればいいとは思う、でもそうじゃなかったケースだと解決出来ない、っていう体制のまま止まっちゃってたらそれは問題有りなんじゃないかと思う。

 

現状の学校ではそれが、簡単には出来なくなっちゃってる。人が足らないから。

Twitterで何度も何度も言ってることなんだけど、本当に今現場に人が足りてない。資質がどうのっていう人もいるけど、そんな次元じゃなく先生の数がとにかく足りてないのを現場見てて思う。人の数さえいれば何とかなるのに、人手があれば親の手が届かなくてもケアできる子もきっといるのに、と思う。

 

でも親がいつでもフルに動けるわけでもないし、親だけにその負担が偏っているというのもなんか違うような気もする。

私は今健康で、仕事もわりと自由が利くからなんとかなっているけどそれがいつまでも出来るとは限らない。子どもたちが大きくなって世界が広がって行く中で私の手が届かないこともきっとどんどん増えていく。

そんな中で、学校を含め子どもたちを取り巻く環境が「安心して関われる場」「問題を抱えたときに対応してくれる場や対応できるところに繋げられる場」であって欲しいと強く願うのです。

 

人手不足や親次第の現状に振り回されている今の小学校の先生たちはとても大変そうで、とてもそんな余裕が生まれるようには見えない、そこがまず何とかなって欲しいなぁといつも思います。

 

学校に限らず、どんな親のもとに生まれた子でも、どんな資質を持って生まれた子でも、子どもたちがみんな、平和に、幸せに、健やかに、大人になれる社会であって欲しい、と思う。

 

机上の理論なのかもしれないし、絵空事なのかもしれないし、頭にお花畑がって言われるかもしれない。

 

でも、無理な話でも、そこを目標にして目指して行く社会であって欲しいと思うのです。

 

親の頑張り次第でまともに育てるか育てないかが決まってしまう。

それは現代の日本ではどうしようもない現実なのかもしれないのだけど、だから仕方ない、とは言いたくないなぁと、でもどうしたらいいんだろうと、そんなことをここんとこぼんやりと考えています。

 

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