スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

親の勘違い〜子どもが本当に求めていたもの


「一緒に寝て良い?」

ここで何度か触れましたが、息子が学校で色々と問題に直面してしまって不安定になっておりまして。スクールカウンセラーさんと面談したり学校側と話し合ったりと色々な形で凹みきった彼のために何が出来るのかを考えたり試してみたりの日々でした。

 

彼を連れて二人で出かけてみたり、学校を休みたいという時は私も仕事をセーブして家でゆっくりしてみたり、好きな食べ物を買って帰ってみたり、家族で遠出してみたり。

 

そんな中、いつもは自分のベッドで寝ている長男が「一緒に寝て良い?」と言った日がありました。私は末っ子三男と同じベッドで寝ているのですが、ちょっと狭いけどお隣どうぞ、とお迎えして、3人並んで休みました。いつもストレートに甘える次男ではなく反抗期にさしかかったツンデレ長男がそんなことを言うのがちょっと意外でなんとなく印象に残る出来事でした。

 

思えば長男は学校でのトラブルが始まったころから夫がやっているゲームをやりたがったり、私が録画して見ている朝の連ドラを一緒に見たがったり、という行動がポツポツと増えていったような気がします。もちろん親の真似をしたがるのはよくあることなのでそれがイコール不調の前触れってこともないとは思いますが。

 

子どもと親のすれ違い

先日、仕事柄ストックしているとある小学校のPTA広報紙を眺めていたときにあるアンケート記事が目に留まりました。「家族と過ごす好きな時間」という特集の中で親が子どもと一緒に過ごした思い出として挙げているのが「旅行」や「キャンプ」といったイベントであるのと対照的に、子どもたちの回答に並んでいるのは「一緒にお風呂に入っているとき」「みんなでご飯を食べているとき」といった、家族で一緒に過ごした日常ばかり。

 

その違いに驚きつつ、そういえばと少し前に書いた自尊感情についての記事を思い出しました。


職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。

 

この中で

子どもたちが社会の中で自信を持って問題にぶつかりながら生きていくための基礎となる自尊感情をどうやって育てていくか、番組の中でその方法の一つとして「共通経験をすること」が挙げられていました。

たとえば「一緒にテレビを観る」

同じ番組を一緒に観て、同じように笑ったり、それについて話したりすること。

家族で同じ経験をして「自分が感じたこの感情に共感を得られる」という経験を積み重ねること、それを通して、自分は自分で良いんだという基本的自尊感情が培われていくのだそうです。

 他にも、家族で自然に触れる、一緒にご飯を食べる、家族でドライブをする…

要は「家族と一緒の経験を積む」ということ。

 え、そんなこと?と思ってしまったんですが、それが実はとても大事な事だった、ということなのかもしれません。

と書いたのですが、番組で大人の見解として語られていたこと。自分の根っこになる自尊心(基本的自尊感情)を育てるために必要だとされていること、それを、子どもたちはそんな知識もなく自然に求めて、自分たちにとって必要なものだと示してくれていた。

 

「共通体験」という栄養素

アンケートの結果に出ていた子どもたちが求めてたもの、それはお腹がすいた時に自然と母乳やミルクを欲するように、食べ物を食べたがるように、基本的自尊感情を培うための精神的な栄養を欲することも子どもは本能的にやってるってことなのかもしれない。

 

私は、夫は、過去にそれを十分に子どもたちに与えてこれたのか。

 

思い返せば長男次男がまだ小さい頃、家の中にずっといるとお互いに詰まっちゃうからよく外に出ていたのだけど、そのときに親としてつい「水族館行こうか」「動物園にしようか」って感じにテンション上げて遠出、っていうのをついやってしまってました。自分が行きたかったからでもあるんだけど、子どもをそうやって大掛かりなお出かけに連れ出すのが子どもの為になるような気がどっかでしてたような気がします。イベントを企画して実行してあげることで子どもが喜ぶと思ってたし、自分たちも楽しいと思ってた。そんな私たちに両親や義理の両親はよく「小さい頃から連れ回ったって覚えてやしないし疲れさせるだけ」なんてグチグチ言ってたなぁと。

その頃はそんな親たちを煩わしく思ったりもしたし、そんなこと言っても初めてイルカを見た長男の顔はとてもステキで良い経験させたはずだし!と思ってた私と夫。

 

それはそれで、良い経験だったのかもしれないんだけど、でも子どもたちが本能的に求めてたのはそれじゃなかったのかもしれないなぁ…って、アンケート記事が書かれた広報紙を前に数年前の自分がなんかちょっと恥ずかしくなったりしたのでした。

 

「イベントで取り戻したい」という勘違い

もちろん私が煮詰まらないように、出かけて外で楽しむのは有りだったと思うんです。そして子どもたちも喜ぶお出かけだった。我が家でも遠出や旅行を楽しみ、それを子どもたちと振り返ってはまた行きたいねえと話すこともあります。

でも、それを「やらなきゃ」って思わなくても良かったんだな、家に居ても良かった、いやイベントで楽しませないと喜ばせないとっていうことにとらわれて家に居ることを軽んじ過ぎてたんだなと。

 

日頃の接触不足を大きなイベント的お出かけで取り戻そう!って思って企画して連れ出す、って私も経験あるし夫もやりがちなんだけど、でも実際に子どもたちがそれを求めてるのか、喜んでるのか、必要としてるのか、って改めて考えると親のエゴもかなりあったなぁと微妙な心境です。

 

「ただ一緒に居る」時間が培うもの

家の中でただゴロゴロしながらおしゃべりしたり一緒にゲームしたり、近くの公園で何ってわけでもなく遊んだり、お昼ご飯一緒に作ったり、そんな、大人からしたら何の成果もあげてないような、こんなんでいいのかなっていう何でも無い平凡な時間も、その中で子どもたちの基本的自尊感情を培う役に立ってたのかもしれないんだなぁと。何にも得てない、何にもなってない、とつい思いがちな何気ない日常は無駄な時間じゃなかった。それどころかそれこそ、子どもたちのためには必要なものだったんだなぁと何を今更そんなことに気づいてんだととても悔やまれます。

3歳にして2人の兄になった長男にとって、ただ一緒に居る、という時間は日常なようで実は十分に満足が得られるものではなかったのかもしれない。

 

親としてときに煩わしくもある「一緒にやりたい!」という小さな子どもたちの声は、イルカのショーやテーマパークのような大人からしたら特別で貴重な体験よりも、もしかしたらもっとずっと大切な、子どもたちの求めている栄養素なのかもしれません。

今になって私と一緒に寝たいと思った長男に、小さい頃もっとその時間を作ってあげていれば良かったのかもしれないなと反省しつつ、今後息子たちとどうその時間を共有していこうかなと思案する日々です。

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