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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

預けてるのに電話してくる父親の心理と、育児に対する価値観のズレ

夫婦・家族のこと


あけましておめでとうございます。

相変わらず、色んなことを考えながら生きております。

今年の最初は、父親の子守りの責任感のこと。

 

預かってるのに電話してくるお父さん

子供たちに翻弄される冬休みでさっき久しぶりにTLを眺めていたら見つけたのが、子供を預けられているお父さんについてのツイート。母親の体調不良ゆえに子供を連れて公園に出て来た父親が手を焼いて妻に「どうしたらいいのかわかんないから出て来てよ」と電話する場面やお茶をしている妻に同じく子供に手を焼いて何度も電話してくる夫の姿、それに対して「妻に電話せずに自分で試行錯誤してなんとかしてほしいなぁ」というお母さんの声。

 

これ、自分の経験がまじまじと思い出されます。

上の子たちは特に私が自宅で仕事をしながら預けず面倒を見ていたこともあって私以外を拒絶していた時期もあり、たまに日中家に居る時間が少ない夫や実家の母や義理の実家に預けると預ける段階で離れずに泣いてしまうことも多く、無理矢理預けて少ししてから「泣き止まない」と着信やメールが入っていたり。

そのプレッシャーがしんどくて結局自分の時間を犠牲にして「預けない」方向にシフトしてしまって自分の首を絞めていた時期もありました。

 

預かったんだから電話して来ずになんとかしてよ、というのは私も抱いた切実な思い。実母に対してすらそう思って居たのだから、夫から何度も着信があれば育児の共同責任者と思っている相手に対してその意識の低さに余計に腹が立つ気持ち、とても良く解るなぁと色々と思い出してしまいました。

 

なんで電話してくるんだろう

不思議に思うのは「何故電話してくるんだろう」ということ。

預かって欲しい理由があるから預けているわけで、すぐに戻れない(戻りたくない)事情があるのは相手も解っているはず。それなのになんで助けを求めるのか、大変さを母親に知らせようとするのか。

 

状況を理解するために置き換えて考えてみたのだけれど、例えば仕事場で隣の席の違う業務を請け負っている同僚がある日突然休んだから「じゃあ代わりにやって」と言われたら出来るか、と。もしその状況で突然背負わされたら、何か問題に直面するごとに欠席してる同僚に逐一確認の電話を入れることになるのは容易に想像がつくのです。

 

この書類はどこにあるの?

こう聞かれてるけどどう返事したら良いの?

これについては誰に聞けば良いの?

 

いちいち確認しないと不安なんだろうなと。

やったこともないわけがわからない作業、先が見えない中で自分が仕事をやりとげないといけない不安。

 

「プロチチ」の中にも

逢坂みえこさんのマンガ「プロチチ」の中に、男女を逆転させてのまんまこの様子が描かれているシーンがあります。

家族3人ででかけた動物園で突然姿が見えなくなった夫の直、日頃専業主夫の直に育児を任せている母親の花歩は泣き止まないちょうど1歳になる息子とベンチに取り残されます。あやしても何をしても泣き止まない息子、通りすがりのおばさまの群れから「のどがかわいたんじゃない?」と声をかけられますが手持ちの水筒は空っぽ。お財布を片手に自動販売機の前に立って花歩が気づいたこと、それが「何を飲ませたら良いかわからない」ということ。

同じ家に暮らしていて、休みの日を一緒に過ごしていても息子に食べ物飲み物を与えるのは夫の仕事だったから、花歩には息子に何を与えていいかわからない、お茶?ミネラルウォーター?それとも?

 

どうしたらいいか全く解らない状況の中でパニックになったとき、答えを知っている(はずだと思っている)人にまず電話をしてしまう、その結果が何度も電話したり無責任に思える要求だったりするのかな、と。(マンガの中では花歩は夫に電話することなく流れていくのですがその辺は本編を読んで下さいませ)

 

育児の責任は半分このはずなのに

ここで妻側に湧く感情、それは「夫婦として育児の責任は半々なはずなのに」ではないでしょうか。日頃いくら接する時間が短いとはいえ、直接的なお世話をしていないとはいえ、責任は半々のはずだからいつでも交代出来るような下準備くらい「していて当然のはずなのに」やってない、なんで?

 

本来やっておくべき下準備を日頃からやっていなかった、怠っていた、同じ家の中にいたのに、そばにいたのに。

 

プロチチでもそうだけれど、妻は家には居るのです。帰って来て子供と一緒にお風呂に入ったり遊んだりしてる。でも大まかなお世話は夫に「任せっきり」になってる、その状況が産んだのが「何を与えていいかわからない」という日頃お世話をしている担当者からしたらあり得ない無知に行き着いてしまう。

 

この、共有されているはずのことが共有されていないという状況、双方の感覚の違いが妻側の不満や困難を引き起こしているのではないでしょうか。ネット上でよく話題になる「当事者意識」というやつです。

 

TwitterのTLで見たような電話をしてくる父親のケース、妻からしたら「いつでも交代出来るように準備していた仕事」のはずだった我が子のお世話、夫からしたらそうではなく「交代することなど考えたことも無かった同僚の担当業務」なのかなと。この感覚がズレていることがお互いの違和感の根っことなっているのではないかと思います。

 

ズレを解消するために

お互いが、ズレているのです。

どっちが合っていてどっちが間違っている、という話ではなく、どちらもが自分の価値観のもとで答えを導きだしている、それがズレている。

 

この打開策としてネット上でよく見るのは、夫への叱咤です。

そのスタンスは間違っている、妻に寄り添うべく変わるべきだという意見。

確かに「男はただ稼ぐもの」という考え方はもはや古くさいのかもしれないし妻側の環境に対する無知も含まれているのかもしれない。改善の余地はあるのかもしれない。無関心無責任に感じられるその言動に腹が立って一言もの申したくなる気持ちも痛い程解ります。

 

でも、私はその指摘だけで解決するようには思えないのです。

面と向かって指を指されて「お前は間違っている」と言われたら。「はいすみません改めます」と反省して心を入れ替えられる人はそう多くないと思う。その方法で改善が見込めるのは一部の意識が高い男性だけなんじゃないかと。そうでない大多数の家庭ではその思いと叱責が相手との間の心理的な溝がどんどん深めていくだけのような気がするのです。

 

誰が正しいかは大事じゃない

夫側は夫側で、自分なりの考えや仕事の実情や周囲の環境から自分なりのスタンスを構築している。でもそれを貫かれたら妻としては困る。

そう、困っているのは妻の側、ここは大事な要素だと思うのです。

 

ある事柄について双方の感覚が大きく異なっていてズレが生じている、修正をしないと妻が辛い状況が生じている、だからなんとかして欲しいという妻側の切実な事情がある。どっちが親として正解かという話ではないのです。親としてのあり方に正解なんかない。どっちが正しいかという話でも、どっちが間違っているとか悪いとかの話でもない、そこは大事じゃないんです。

 

大事なのは、今この家庭の中がどうなっていればいいのかということ、うまく回っていくためにはどうしたらいいかということ、そのために価値観がズレていることをお互いが意識出来る状態にしていくこと、そこをお互いに掘り下げていく必要があるのかなと。

 

この辺からのことは前にも色々と考えてるのでよかったらご参考までに。

 

おわりに

自分の直面する困難の打開を考える時、相手の変化を求める必要があったらそのときは否定よりまず先に相手の事情を考えること、それに寄り添うことからスタートした方が解決が早いのではないか。

 

これは夫婦関係でも育児でも対人関係でも色々な場面で意識しておくと役に立つことなんじゃないかと考えています。

自分の障害となるような言動をとられてしまう場合、必ず相手には相手の事情があります。そこを無視して変化だけを求められても相手には負の感情しか残らない。関係の改善やその人との関係を維持した上での状況の打開を考えるときには相手のあり方を尊重すること、存在や考え方を否定しないこと、これ、とても大事です。

 

 

補足ですが。

こういう話の中で、それでも話が噛み合ない、育児をお前の仕事だと押し付けられる、それを我慢しろというのか、というコメントを頂くことがあります。「我慢しろというのか」の答えはNOです。どちらかが一方的な我慢をしなければ生活が成り立たないのは虐待やモラルハラスメントを含む不健全な状態の家庭環境です。「モラハラ」等で検索すると色々と出てくると思いますので、そこから相談先を探したりされることをお勧めします。

 

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「モラル・ハラスメント」のすべて  夫の支配から逃れるための実践ガイド (こころライブラリー)

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