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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

エルサの特性 〜アナと雪の女王を発達障害という視点から

そのときどき


今更ですが、一昨日初めて、まともに最初から最後まで「アナと雪の女王」を観ました。
娘はかなり前からどハマりでキャラになりきって踊ったり歌ったりしていたもののなかなか一緒に観る機会が無く、一昨日の台風19号のおかげで1日家に缶詰になり図らずも初視聴となりました。

 

※あらすじに関して著作権法等のご指摘を頂いたのでばっさり消しときます。

 

見ながら感じたこと。

それは、エルサの力をエルサ自身がコントロールすることが出来てないということ。

コントロールしようと言う視点で描かれていないこと。


幼児から20歳までの長い時間、城の自室に籠っていた間に何故その力をコントロールするという訓練が行われなったのか、トロールという「知識を持つ対象」がいたにも関わず何故幽閉され、手袋をはめることによる抑圧だけで成長させてしまったのか、という点について憤りつつ見続けました。

 

エルサの力。
それは、発達障害を持つ子にとっての特性と良く似ているなと感じたのです。
小さい子が自分ではどうする事も出来ない能力の偏り。

その特性ゆえ感情や行動がコントロールできず結果的に人を迷惑をかけたり、傷つけてしまうこともある。大人になっても自覚無くトラブルを起こしてしまう人も少なからずいるわけで。

 

即位式後のパーティーの場で力を使ってしまったエルサがはっと我に返る表情。
特性ゆえの暴走で一方的に喋ったり極端に近づいたり、感情がコントロールできず怪我をさせてしまったり、そして周りの人がそれを見て驚いているのにはっと気づいたり指摘されたりして「そんなつもりじゃなかったのに」と問題を起こしてしまった自分を振り返りその場から逃げてしまったり落ち込んだりする。発達障害を持つ方の傾向としてよく見られることです。

エルサが、長い幽閉の期間に自分の力をコントロールする訓練を十分に受ける事ができていたら、きっと閉じこもらず胸を張って女王になれていたのだろうなと思わずにはおれませんでした。

いやそうだったらストーリーそのものが成り立たないのだけど。


エルサは、手袋をはめ、扉の中に籠ること、つまり、抑圧だけで力を制御しようとしていました。親にそう勧められて。
しかしその力は暴発し、たくさんの人を苦しめ傷つけてしまい、結果的に自分以外と接しないという解決策を見いだしてしまいます。
コミュニティになじめない自分をそのままにして閉じこもることで自分を守る、「ひきこもり」と似ているなと見ていて思いました。

そしてそうやって閉じ込めた国王の親としての心情も、分からなくもないのです。
閉じこもっていてくれたらとりあえず問題は顕在化しない。本人が傷つくことも周りを傷つけることもない。そして、そうやって時間を過ごしているうちにいつか「まともになってくれるんじゃないか」「周りに馴染めるようになってくれてるんじゃないか」という淡い淡い、根拠のない期待もどこかにある。


発達障害を持つ子にとっての他害も、ひきこもる子にとって部屋から出ないことも、エルサが力を使ってしまうことも、すべて自分を守るための行動です。もっと言うと、短期的に解決する為の方法。目の前の問題だけをなんとかする為の、先を見据えているわけではない行動です。

苦しみに繋がる要素を抱えた当事者が先を見据えるというのはとても難しいことです。
でも先を見ないと、エルサのように閉じこもり、そしていつか暴発してしまうかもしれない危険性を孕んでしまう。


それを防ぐ為には、閉じこもることで解決を待つのではなく、抑圧し隠すことでもなく、その特性をコントロールして人の輪の中で生きて行く為の技術を本人が身につけることが必要になってくる。周りが変わることではなくて、自分が変わってしまうことでもなくて、自分が自分の特性を理解し制御出来るようになることでトラブルの発生を最小限に抑えることに繋げられる。


力をコントロール出来ないと、エルサのように自分がダメだと思い込み自己否定を続け、結果的に「ありのままで」いるためには人里離れて閉じこもらなくてはならないということになってしまう。あの環境なくしては自分らしくもいられないという結果を生んでしまう。


「ありのままで」の英語の歌詞の中には「自分は頑張って来たけどもういいわ」的なニュアンスがあるのですが、その「頑張って来た」のは「制御の努力」ではなく「抑圧のための労力」という意味だと思います。それが役に立たなかったからもういいや!と投げ出すことを如実に示す歌とあの場面が、日本語の歌詞だと分かりづらくてちょっと残念。

 

抑圧し続けることに疲れたら引きこもるしかなくなる。

でもそれでは関係者も当事者も幸せにはなれない。

 

特性を持ちながらコミュニティで生きていくためには、関係を絶つことではなく自己の特性を制御すること。

そうすることで自分自身がその輪のなかで生き易くなっていくのではないかなと思うのです。


制御とかコントロールとか言うととても大きな事のように感じるかもしれませんが,例えば私は注意欠陥の自覚があります。電話で話しながらそれを記憶して忘れないように実行するということが苦手です。
それを自覚せずにいたり、自覚しても「しょうがない」と開き直っていたら周囲に迷惑をまき散らしても楽しくは暮らせない。

でも自覚した上で「電話で話しながら相手の言う事を逐一メモを取る」という解決策を取るだけで自分の苦手なことがトラブルの種にならなくなります。たったそれだけのことでも、気づくだけで気持ちよく仕事ができる。
約束の時間を忘れないようにスマホのアラームを活用したり、スケジュールを夫と共有することで忘れそうな時は声をかけてもらえたり、自分の特性を補うためのちょっとした工夫で毎日をなんとか過ごせています。

 

そして自分だけでなんとかして行くという視点だけではなく、苦手を自覚していればどこまでが自分の努力でなんとかなるのか、どこからは人の援助が必要なのかの線を引くことも自ら出来るようになるのではないかなと思います。

 


怒りがコントロールできず他害を起こす子の為にアンガーマネジメントの方法も色々と工夫されています。


先日なないおさんのブログ(怒りのコントロール 娘のアンガーマネジメント - うちの子流~発達障害と生きる)で紹介されていたこの本はうちでも活用しています。

だいじょうぶ 自分でできる怒りの消火法ワークブック (イラスト版 子どもの認知行動療法 2) (イラスト版子どもの認知行動療法)

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自分の力をコントロール出来るようなったエルサはそれを上手く活かしながら、城の門を開けみんなと一緒に幸せに暮らす事ができるようになって物語は終わります。

発達障害の特性も、それ故に人に迷惑をかけるものと受け取られがちですが私はそうは思いません。
当事者に合わせた工夫の仕方を本人や親やサポートしてくれる人たちがみんなで考え身につけていくことで、その特性のマイナス面を補い、良い面を活かす事が出来るようになる。

アナと雪の女王の映画の中で、その特性を活かすためのコントロールの手法についてはまったく描かれておらず偶然手にしたような印象になっているのが若干残念では有りますが、特性を持っていてもそれをうまく制御すれば活かしながら楽しく人と接する事が出来る、というメッセージを発信しているのかもしれないという点ではとても良い映画だなと感じました。

 

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余談ですが「ありのままで」というあの歌。公開直後も色々と議論がなされていましたが改めて見るとあの場面であの歌にはやはり違和感がありました。
英語の歌詞も見てみましたが、抑圧していた自分の力と自分そのものを解放して氷の城に閉じこもって好きに生きるわ、もういいわ!という歌と場面なのに「自分を肯定して生きていくってステキ」的な、映画の総括的な歌詞になっちゃってるのだなと。


あと、この映画全体で「扉を閉める/開く」という行為が象徴として描かれているんですよね。

エルサの魔法を隠す為に城の門を閉じ、部屋の扉を閉める。
即位を前に部屋の扉を思い切って開ける、城の門を開けて飛び出す。
力がバレて氷の城の扉を閉め閉じこもる、城の門も閉ざす。
氷が溶けて城の門を開け国民が入ってくる。


その中の,エルサが閉じこもるために氷の城の扉を閉めるシーンで歌われる歌で、英語の歌詞の中にも「Turn away and slam the door (背を向けて扉を閉める)」とい部分があるのに和訳の歌詞ではすっぱり無くなってしまっててちょっと残念な感じがしました。映像で実際に閉めるのでわかるっちゃあわかるんですが。

元の英語の歌詞や映画全体からのメッセージとしては <自分が変わらず「ありのままで」いることをよしとしてる>わけではないんですよね。

映画の中のエルサは「ありのままで」いるためには引きこもらないといけない。
ありのままでいたいから、抑圧するのはもうしんどいから、私のいいようにさせてよ!ドア閉めて引きこもるからね!というある意味ものすご我が儘な宣言。
でも結果的にそれじゃみんな困っちゃうから制御して一緒に楽しく暮らそうよ、と言う流れなんですけどね。

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