相変わらず適当な更新頻度です。
昨夜、次男の聴こえ方と家族との関わりについて本人と話したことを覚書として書いておこうと思います。
きっかけは、次男の発するゲームや動画の音量でした。
狭い我が家では、リビングやキッチン周りのような共有スペースでゲームしたりテレビや動画を見たりするときに周囲の人間が「うるさい」「もうちょっと静かにして」と音量を下げるように声をかけることは日常茶飯事ではあります。
その中でも、次男が家族からそれを指摘される頻度はずば抜けて多く、テコ入れをしたい課題だとずっと思っていました。
彼に対して防止策として
①音を出すものは自室で利用する
②共有スペースではヘッドホンを着用する
などいくつかの提案をしてきましたが、なかなかうまくいきません。
ヘッドホンやイヤホンの質の問題もあるのかもしれませんが使用感が良いものは天井知らずであることや、買うたびに無くした壊したが発生する彼の特性を考えてもあまり高いものには手が出せません。
大きな音を出したければ自室へと促しても、それが家族により自分の行動を制限していると受け取られパニックに繋がることも多々。
そして昨夜も、リビングで私と三男が録画したドラマを見ている横で大きな音で動画を見始めた次男。
三男が怒り、私が音のことを指摘したら次男は怒り出しました。
クールダウンを待ってテーブルに座って話そう、と持ちかけました。
ここしばらく、彼と話すときは白い紙と紙を用意するようにしています。
認知特性のテストとその後の観察で彼が視覚の認知が飛び抜けて高く、また聴覚認知が弱いことがわかってきたからです。
白い紙に、テレビを見ていた私と三男、その横で音を立てた次男の絵を描きました。
こんな感じで、適当ですが位置やそこにある物が見えるように描いています。
この絵を見ながら、次男の出している音のこと、私と三男が見ているテレビのこと、状況を整理して話しながら、この場面で次男がどこまで知覚していたかを探ります。
話を掘り下げていって、彼に、こうして見せました。
最初に描いた絵の「彼以外の部分」を手で覆って見せると、ハッとした顔をする次男。
そうです、彼にとって見えていたのはこの部分だけ。
目の前で起こっているのに、私と三男がテレビを見ていること、その音を聴いていること、自分が出した音がそれと干渉するということは、彼の中にはない状態で世界を見てたんだろうなということがわかります。
でも、私や三男は次男の見えている世界がそんなに狭いと思って生活していません。
私は知識として彼の特性を理解はしていますが、残念ながら日常生活全てにおいて彼のその特性を十分考慮しながら生活できるほどの余裕も持ち合わせていませんし、三男を含むきょうだいはなおさらです。
次男が大きな音を出していたら咄嗟に、自分と同じ感覚の持ち主だという前提でものを見てしまいます。
つまり、
私と三男がここでテレビを見ているのが目の前で分かっているはずなのに大きな音を出した
→こちらに配慮がない=喧嘩を売っている?もしくは邪魔をしようとしているのか?
三男は咄嗟にそう判断して、次男に対して怒りに近い苦情を言葉にしました。
でも次男にとっては私が手で隠さなかった範囲しか見えていません。
なぜ自分が怒られるのかも、音のことで指摘を受けるのかも、咄嗟にはわからなかったんだろうと思います。その理解できない状態で、パニックが怒りに変わった。
時系列で彼と私たちに起こったことを絵に描きながら、次男に説明していきます。
うんうんなるほどと聞きながら、怒って申し訳なかったと謝る次男。
君が悪いわけじゃないよと話しながら、絵に手を乗せたり、外したりして見せます。
君が見ていたのはここ、でも周りの家族にはここまで見えてた、だからそう言った。
でも君はその時にはここしか見えていないから、なぜ家族からそう言われるかわからなかったんだよね、とゆっくり話しました。
この辺で、彼にとって必要なのは衝動的に出る怒りをコントロールすることだろうという課題が見えてきますが、それは今回は掘り下げずにおきました。
話が入る状態になったように見えたので、ここでもうひとつ話してみることにしました。
それが、聴覚認知の話。
認知特性テストでも、その前に医療機関で受けたウイスクの結果でも、彼の聴覚認知はとても弱いという結果が出ています。
聴力が弱いのではなく、耳で聴こうとする能力に神経を割いていないという方が良いのかなと思います。
声をかけても返事をなかなかせず叱られるということも良くありました。
今は学校では
- 一斉指示を聞き漏らす可能性が高い
- 呼ぶときは遠くから名前を叫んでも耳に入らないことがあるから、近くで声をかけたり、肩を叩いてこちらに意識が向いたのを確認してから話し始めてほしい
などお願いしています。
今回は、この聴覚認知の弱さから自分の出す音に対する意識も低いのでは?と感じてある実験をしてみました。
ちょうど、私と次男が座って話しているテーブルから離れたところで三男が動画を見ていたので
「その音を最大まであげてみて」
とお願いしました。
次男と私は向かい合って、会話を続けます。
タブレットから流れてくる大音量の動画の音は、私にとっては会話が継続できないほど耳障りなものでした。
次男に
「どう?」
と聞くと
「全然気にならない」
と答えます。
三男に、タブレットを置いてこちらに来るように頼みます。
次男と同じ位置に来た三男に
「あの音を聞きながら会話するとしたらどう?」
と聞くと
「無理、すごい気になる」
と。
どちらが良いとか悪いとかではなく、騒音と感じる音のレベルが、恐らくは次男のそれと、私と三男のそれに大きな開きがあることがわかりました。
その場にはいなかった夫や長男、娘のそれはまた、それぞれに違うのだろうという話も次男としました。
大事なのは、どちらが偉いとか偉くないとか、どちらに合わせるべきかどうか、とかではないのだろうと思います。
今回わかったのは、うるさいと感じる音のレベルが家族それぞれに違いがあること、また次男のそれは他の家族より恐らくはかなり低い、大きな音がしていても彼はあまり気にならないでそこにいられるのだろうということがわかります。
また、視野の狭さから自分が出している音に対する配慮が欠ける側面があるのだろう、ということも話せました。
昨日の結果として、
次男にとっての課題)
次男がうるさいと思っていなくても周りの家族にとってはすごくうるさい音かもしれない
→だから、指摘されたら音量を下げたり移動できたりするといいね
家族にとっての課題)
次男がうるさい音を出してしまっていても嫌がらせや攻撃ではなく、周りが見えていないだけかもしれない
→だから、周りも咄嗟に怒るのではなく具体的な改善策を次男に伝えられたらいいね
という双方の課題が一応、共有できた状態になりました。
私や三男にとって、自分が不快な音が次男にとっては平気なものだった(自分たちの方が過敏だったとも言える)というのを共有できたのも大きな収穫でした。
どこまで次男や三男の頭の中に残り、腑に落ちたのかはわかりません。
断片くらいしか理解できてないかもしれない。
ただ、こうやって目に見える形、明らかにわかる形でものごとの認知の仕方や音に対する感覚が家族それぞれに違うということをクリアにしていくこと。
それは、次男のためだけではなく他の家族にとっても、自分と他の人間は同じ仕組みで動いていないかもしれないこと、自分を基準にしていたら危ういかもしれないことを知る良い機会になっているのだろうと思いました。
余談ですが、本文中に出て来る「認知特性テスト」はこの本の中にあったものを使用しています。

医師のつくった「頭のよさ」テスト?認知特性から見た6つのパターン? (光文社新書)
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認知特性を知るためにと思って購入した本ですが、思わぬ副次的な成果がありました。
それは、私と次男の認知特性のタイプが大きく異なっていることが明らかになったこと。
次男は視覚認知の2タイプがそれぞれに突出して高く、それ以外の項目は大きく凹んでいました。
私は逆に、言語性の2タイプが突出して高い結果が出ました。
この認知特性の傾向の違いが、私が次男に対して「何を考えているのかわからない」「彼の困難をわかってあげられない」と思ってきた要因のひとつだったんじゃないか、と考えています。(もちろん、他の要素も多分にあるのだろうとは思いますが)
ダラダラと長くなりましたが、今日はこのくらいで。